2月15日 (水)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第46弾!  2017年2月15日(水)たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第46弾!  2017年2月15日(水)たかやん

川掃除のお知らせ
今月は2月26日(日)の予定です。9時に栗原1丁目公園に集合です。持ち物は、黒目川を綺麗にしたい!という心だけです。トング、ごみ袋、軍手はこちらで用意します。
連絡先は090-6497-5737 たかやん

駅立ちのお知らせ
来週20日(月)から駅立ちをします。143弾!を配布する予定です。20日(月)ひばりヶ丘北口、火曜日は議会初日なのでおやすみ。休会日の22日(水)に保谷駅北口、23日(木)に新座駅南口、本会議がある24日(金)の志木駅南口は8時半までやり、議会の前に配布します。次の週の月曜日は清瀬駅南口で火曜日に東久留米東口の予定です。議会が始まってしまうので、休会日以外は全て8時半までになると思います。

最初の5日目
僕の人生の残りの4分の1(21年)の最初の5日目は大忙しの一日になった。母さんが引っ越しをしたのだから、当たり前か・・・ちょっぴり疲れた一日だったかな。

発熱
空が朝から38度近い熱で・・・学校に電話をした。五中の電話番号は暗記しているからいい。78-2010僕らは「菜っ葉二把10円」と覚えた。六中の電話番号は78-2764これば「菜っ葉煮ないと虫が付く」と覚えた。新宿の我が家に最初に電話が付いたときの電話番号は03-368-1536・・つまらないことを覚えているものである。

堀之内
母さんは9時に口腔外科に予約が入っていて・・・僕は10時半に整形外科に予約がはいっていて・・・しかも、12時が通告の締め切りで・・・・母さんは下の兄貴が連れて行ってくれた。その間に、通告を書き、メールで議会事務局に送る・・・その通告、今回から簡潔に箇条書きにするというのを忘れていて・・・いつものように出してしまったら。病院の予約時間まで残り30分。長文を箇条書きに書き換えるのに集中して・・・何とかギリギリで間に合ったのだった。

昔から・・・
小さい頃から「忘れ物の帝王」と呼ばれていただけのことはあって、今日も大切なものを忘れて、家に取りに帰った。そのせいで兄貴が嫌な思いをしたわけで・・・申し訳なく思う弟であった。

14時
サニー・ライフには14時には行く予定だったのだが、持って行く物が後から後から出てきて・・・書類を揃えたり、コピーを取ったり、おじちゃんに報告の電話をしたり・・・昼も食べずに向かったのだが・・・着いたのは15分過ぎ。もう母さんは部屋に入っていて・・・ちょっと疲れた顔をしていた。それでも母さんは幸せだと思う。駅前で新しい部屋に入ることができたのだから・・・これで、早く友達を作って、沢山お話をして、子どもたちや従兄弟達が顔を出してくれたら・・・言うことはない。

16時
空が熱を出した状態で置いてきたので、夕飯の買い物をして、ダッシュで家に戻った。通告でつかった頭と引っ越しの疲れがどっと出て・・・それでも空の熱が下がったと聞いて、安心したのだった。

アドラーの言葉から4
「人は怒りをねつ造する」アドラー曰く、「怒りは出し入れ可能な道具であり、相手を屈服させる為に使う手段である」成る程なあ、と思うことがよくある。駅での理不尽な怒りも、学校や家庭での理不尽な怒りも、結局は、相手を屈服させる為に使う手段なのだ。論理的に話すことをせず、手っ取り早く相手のミスを指摘して、自分が正しいということを伝える手段・・・それが怒りの原点だとアドラーは言っている。最近、どうも怒れない自分がいるのだが、中学校の教員時代は、本当によく怒っていた・・・テニスコートでは勿論、教室でもね。それを考えると本当に恥ずかしくなる。人生で、怒りながら幸せを感じることはない。怒っている人は、それだけで「自分は不幸な人間です」と宣伝しているようなものだ。「どうして、俺の上司は俺のことを評価してくれない」「どうして、俺の部下は全く仕事ができないんだ」「悪いのはみんな相手」「可哀想な自分」そう思うことで、人生の大半が不幸せになるのだから「怒り」の習慣は恐ろしい。鈍感でもいい。許容という言葉をいつも携帯していたいものである。

怒り
最近、余り怒らなくなってきたのだが・・・タバコの吸い殻をポイ捨てする大人を見たときは「タバコを捨てるんじゃねえ!ド阿呆が!!」と叫ぶ自分がいる。勿論、怒るのはその一瞬だけなのだが・・・瞬間湯沸かし器のように怒るのである。そして、忘れてしまう・・・怒って、忘れるのは中学校の教員時代に覚えたテクニックかも知れない。

絶対に打ってはいけない!子宮頸がんワクチン1167
「激しい痛み医師も理解せず」昨日の東京新聞の夕刊にこういう見出しが載った。国が摂取を呼びかけた結果、副作用を引き起こし、苦しんでいる女性達の思いが東京地裁で述べられたのだ。「摂取により健康被害が生じたとは言えない」という国は、「いじめがあったとは認められない」という教育委員会と同じで、被害者に寄り添う共感能力に欠けている。国が製薬会社の側に立つのか、被害者の女性達の側に立つのか・・・そこに注目したい。こういう時に、僕らは「怒り」を持たなければいけないのだ。自分のためにではなく、人のために「怒り」を持つ・・・そのことにはアドラーも反対しないだろう。自分の怒りが誰かの役に立つ・・・それが大事なのだ。

今日の写真
五中4期生で東大に合格した大と京大に合格した秀行が、「合格しました!」と野寺の家に報告に来たときの写真だと思います。3年1組は本当によく勉強をしたクラスでした。3年生の1年間・・・他のクラスよりも毎朝1時間早く来て、勉強をしたのです。「朝勉」という言葉はこのクラスが初めて使い始めたのです。学年で10番以内が5人もいたのですが、3年の2学期の期末テスト前日の日曜日に担任が「詰まらないから学校で野球しようぜ!」と電話をすると、男子全員が校庭に集合してしまう・・・そんなクラスでした。勿論、その時も学年でダントツで1位でした。

左の大に抱かれているのが亮で、秀行の後ろにいるのが雪です。両親が離婚するとき、「どっちと暮らしてもいいよ」というと、雪は母親を亮は父親を選びました。僕は娘に捨てられ、息子に救われたのです。アドラーは言います。「他者の課題に踏み込んではいけない」子どもであっても、決めるのは子どもの意思であって、自分ではありません。その時の選択が正しいのか正しくないのかは分かりません。彼らの人生を彼ら自身が選択した。それでいいのだし、それには誰も踏み込んではいけないのです。

この日記を読んだ全ての人が、幸せな気持ちになりますように。    たかやん

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