3月8日 (水)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第67弾!  2017年3月8日(水)たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第67弾!  2017年3月8日(水)たかやん

水曜日
一般質問の一日目。午前中に二人、午後に二人の質問があった。他の人の質問を聞くのは勉強になる。しかし、この一般質問・・・発言できるのは、一人の議員と執行部だけという時間な訳で・・・頭を垂れてしまっている人が一番後ろの席からはよく見える。花粉症の薬を飲んで、一瞬不覚を取ったことがあるので、眠くなったら、脳を使う作業をすることにしている。

ペーパーレス化
この議会から本格的な導入に向けての試運転が始まった。議場にipadを持ち込むことになったのだ。パソコンやスマホは嫌いじゃないが、やはり自分の手を動かして、紙にメモを取らないと、仕事をしている感覚がない訳で・・・我が、「語る会」の二人は「紙がいいよね」と今日は議場に持ち込まなかった。何てったって、僕らは平均年齢62.5歳の新座市議会で最高に年寄り集団の会派なのである。

だからという訳ではないが・・
二人とも書くことは誰にも負けてないかも知れない。俊さんはFACEBOOKを毎日のようにUPしているし、福祉関係の通信を定期的に書いているし・・・勿論、議会報告も議会ごとに発行している。
僕は毎月の議会報告に、毎日のこの日記に、塾日記・・・これも五中(毎日は書けなかった)、六中、二中時代に毎日書いた「一生懸命」の延長である。

歩き
予想通り、本会議が早く終わったので、歩いて帰ることにした。途中で六中にお邪魔して、校長先生に「卒業式、五中に行きます。済みません。六中には行けません。
と謝った。丁度、その時間は掃除の時間だったのだが・・・こどもたちが「無言」で掃除をしているのには驚いた。先生たちも「無言」で腕組みをしていたので、兎に角静かなのだ。
僕がいた頃の六中は、掃除の時間は大騒ぎで・・・僕は清掃監督など殆どしたことがなく・・・掃除を一緒にやるか、理科準備室で学級通信を書いているか・・・どっちかだった。

久しぶりに六中の校長室にも入り、懐かしい卒業アルバムを見せてもらい・・・懐かしい、青ジャージの子たちを思い出したのだった。

挨拶
元気のいい2年生たちが、笑顔で元気のいい挨拶をしてくれた。昔、六中で一緒だった千葉ちゃんと話をしていたからかも知れないが・・・すると、今度は用務員の篠原さんが声を掛けてくれた。篠原さんの子を昔、昔担任したことがあるのだ。そして、一日違いで、黄川田将也が六中に来て、植樹をしてくれたことを聞いた。黄川田四兄弟とは長男から四男まで縁があるのである。みんな元気だといいなあ・・・。

笑顔
コートの前を通ると、テニス部の子たちが「こんにちは!」と笑顔で挨拶してくれた。校舎の中でもそうだったのだが、形だけの挨拶ではないことがよくわかった。先生たちの表情はちょっと硬かったが、子どもたちの笑顔は本物である。

お母さん
六中から堀之内病院へ歩いて行った。病室で寝ていた母さんの髪を解かしていたら・・・目が覚めた母さん。「あら」と嬉しそうに笑った。今は、母さんの笑顔が最高の幸せである。
その幸せな時間はあっという間に過ぎて・・・手を握って、家に戻ったのだった。

母さんへ
僕が母さんに感謝していること。それは、勉強が全くできなかった僕に「勉強しなさい」と一度も言わなかったことです。中一まで最高でも5分しか、机に向かえなかった僕に、「勉強しなさい!」と言わなかったのですから、母さんは凄いです。中学に上がって、偏差値が40しかなくても、何も言いませんでしたね。小さいころ、母さんがずっと言い続けたことは・・・「勉強ができるって幸せよ」「学校に行けるって幸せよ」「お母さんも勉強したかった」ということだけでした。
尋常小学校で成績は1番だったのに、家が貧乏で女学校に行けなかった母さん。足立区で1番、足が速かった母さん。女学校や師範学校に行っていたら、どんな女性になっていたんだろう・・・。それでも母さんは「お母さんはお父さんと結婚して、とんちゃん達が生まれて、それで幸せよ」そう言っていましたね。
新大久保の公務員宿舎の庭で石の裏の蟻をバットで潰していたら、「とんちゃんが蟻さんだったら、どう思う?」と聞いた母さん。「痛くて嫌だ」「だったら、やめようね」そう言った母さん。それ以来、僕は生き物を殺せなくなりました。今でもテニスコートを歩いている虫たちをどうしても助けてしまう、自分がいます。
僕が小さい頃、朝鮮のゴミ拾いのおじさんと仲良くなっても、朝鮮の友達の家に行っても、全然気にしなかった母さん。母さんのお陰で、僕は誰かを差別するという大人になりませんでした。父さんは戦争に行ったせいか「アメ公」だの「ロ助」だの「チャンコロ」だの、酷い差別用語を連発していたけれど、僕はお母さんのお陰で、どの国の人にも悪い感情を持たない大人になりました。
近所のうるさいおばさんが「木登りして危ないから、止めさせて!」とヒステリックに来た時も「子どもは木から落ちません」と取り合わなかった母さん。落ちたら大けがをするような高さまで登っても、平気で見てましたね。
外にごみを捨てることを許さなかった母さん。「他の子も捨ててるよ」と言うと、「あなたは私の子だから、他のこと違うの」と怒った母さん。お母さんの財布から50円盗んで、駄菓子を買ってバレた時は、物差しでピシピシ叩かれ、余りにも痛くて泣きました。そして、泣いている僕を優しい手で抱きしめてくれたのです。
信じられないことですが、今の母さんの手はその時の母さんの手と同じ手なんです。優しくて、温かい手なんです。だから、僕はその手に触りたくなって、毎日母さんに会いに行っているのです。

絶対に打ってはいけない!子宮頸がんワクチン1189
29年度の新座市一般会計の“予算書には「子宮頸がんワクチン」があります。”あれだけ重大な副反応を引き起こしたのに、予算をとってあるのは何故か”という質問に対する答弁は「国の定期接種になっています」というものでした。そうなのです。あれだけの事故を引き起こしながら、厚生労働省は「副反応」を認めていないのです。子どもたちに寄り添うのではなく、製薬会社に寄り添っているとしか思えません。

打つまでは健康そのものだった女子中高生達の苦痛の叫びが届かないようでは人間ではない!「精神的なものじゃないの?」「摂取により健康被害が生じたとは言えない」という医者や国は、「いじめがあったとは認められない」という、どこかの教育委員会と同じで、被害者に寄り添う共感能力に欠けている。僕はそう思うのです。

今日の写真1
六中の正門の脇に・・・それはありました。赤ジャージだった将也がテニス部だったことを思い出しました。

今日の写真2
福島に感謝、福島の子どもたちに感謝、希望を持たせてくれた福島に感謝・・・そういう心が育てば、各地で起きている「福島の子達へのいじめ」は無くなるのに・・・将也の言葉が全国に広がるといいですね。

今日の写真3
92歳の母さんの手です。もうシワシワなのですが・・・手を握ると、若い頃の母さんの手の感覚が蘇るから不思議です。「何か欲しいものある?」と聞くと「あなたが書いた新聞」と言うので、この間駅で配った「一生懸命」を渡しました。

この日記を読んだ全ての人が、幸せな気持ちになりますように。    たかやん

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