4月13日 (木)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第103弾!  2017年4月13日(木)たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第103弾!  2017年4月13日(木)たかやん

川掃除・議会報告会のお知らせ
今月の川掃除は4月16日(日)に行います。持ち物は、「黒目川を綺麗にしたいという心」だけです。軍手、ゴミ袋、トングはこちらで用意します。9時に栗原一丁目公園に集合です。よしのり(吉田よしのり県議)が来ます。夕方、17時から石神集会所で市民と語る会の「議会報告会」があります。俊さん(木村俊彦)が来ます。川掃除の反省会は19時からです。「川掃除」も「報告会」も途中からの参加、途中までの参加、反省会だけの参加も大歓迎です。*どちらも、参加の場合は連絡してから来て下さいねーっ!
連絡先は  たかやん090-6497-5737 です。よろしくお願いします。

木曜日
朝から忙しい一日になった。忙しすぎて、テニスに行く時間もなければ、母さんの顔を見に行く時間もなかった。

皮膚科
近くの梅沢皮膚科クリニックに行った。低周波治療器で長時間治療していると、貼っている場所が炎症を起こすのである。混んでいて、1時間近く待ったのだが・・・その間、ずっとヨーロッパからアジアの国と位置を暗誦していた訳で・・・名前と位置を全部、完璧に覚えきった頃、「高邑さん、どうぞ!」と呼ばれたのだった。

仕込み
学校の授業も塾の授業も仕込みが大切である。もっとも、塾の場合どんな質問が来るか、分からないので、質問が多いと、仕込みが使えない時もあるが・・・・小学生、中学生の塾の仕込みにはそれだけの時間がかかるわけで・・・その仕込みがまた面白いのである。

苦しかった
五中の1年目仕込みは苦しかった。昭和52年・・・日本でたった一人だけ・・・大学を卒業したばかりの新任で3年の担任をやったのだから・・・。しかも、理科の授業は3年1組から4組まで理科の4時間×4クラス=16時間。更に2年6組の理科を4時間やって、20時間。それに学活と道徳とクラブで23時間。空き時間が殆ど無いのだから参った。どこの世界に合併してできた新設校で新任に3年の担任をやらせる?しかも2年生の1クラスだけを付けて・・・1クラスだけだって、学年が違えば、仕込みは同じだけやらなきゃいけないのだ。今は感謝しているけれど、本当に酷い先輩達だと思った。
その中で「高邑さん、大丈夫だよ」と言ってくれたのが嵒だった。進路のことなど何も分からない僕に、知っている全てのことを教えてくれた。高校の偏差値や確約の内容は勿論、高校の進路担当の先生の名前、その他の情報も全て・・・そして、高校に行くときはいつも二人一緒だった。嵒がいたから、僕は3年生の担任をやれたのだ。僕が4組の子どもたちにしてやれたことは、一緒に勉強することだけだった。それだけは、全国の中学校3年の担任の誰にも負けない・・・23歳の僕はそう思っていた。

階段
中学生の塾の時間に面白い話を聞いた。「学年によって、使っていい階段と使っちゃいけない階段があるんだよ」「何それ?」「うちの学校(久留米中)もそうだよ」「そんな馬鹿な・・・俺が居た頃は、五中も六中も二中も自由だったぜ・・・何それ?」「荒れた時代に作ったルールみたい・・・」「馬鹿じゃねえのか?」本当なのだろうか・・・俺がいた頃にも他市から来た教師が「他学年の教室に入ってはいけない」とか言い出して、(頭、どうかしてんじゃないの?)と、思った記憶があるが、今は「他学年の廊下に入らない」というルールがあるらしく・・・どうやら、そのルールを無くすような学校にする努力はしていないらしい。

あの頃
僕が五中にいた10年間、他クラスルールも他学年の廊下ルールも階段ルールも全くなかった。ただ、五中から六中に行くと・・・やたらと「先輩」と「後輩」が分かれていて・・・
1年生はジャージの袖を折ってはいけないとか、スカートを長くしてはいけないとか、ポニーテイルはだめだとか・・・生徒の間で糞みたいなルールがあったっけ。下級生は上級生の姿を見ると、最敬礼して「おはようございます!」と繰り返し、上級生はそれを無視して通り過ぎる・・・当時の六中はそんな学校だった。
 1年生の担任になった僕は、何とかしなきゃ!そう思った。最初にやったのは、学校指定の通学靴を無くすことだった。子どもたちは体育の時間も学校指定の運動靴で走らされていたのだ。「足が痛い」「足に合わない・・・」と子どもたち。そこで、113人のテニス部員全員に「明日からテニスシューズで登校しろ」「体育の授業はテニスシューズでうけろ」「責任は俺がとる」という指令を出した。その週の内に、六中の通学靴は自由になった。教師の方は1人や2人だったら集中的に指導できたのだが、100人を超えると、どうにもできなくなったのだ。それは上級生も同じで・・・自分たちも本当はその靴が嫌だったので、2.3年も自分の足にあった靴を履くようになり・・・六中全体から指定の靴はあっという間になくなってしまったのだった。
 次にやったのが、スカートの丈だ。当時のツッパリは長いスカートを履いていたので・・・生徒指導担当の教師達はスカートの丈を物差しで測り、「長い!」「膝が見えない!」といかに長いスカートを短くするかに必死だった。
 その馬鹿馬鹿しい光景を見ていた僕は、テニス部の女子全員に「明日から膝が見えるスカートで来い!」「ミニスカートがいいねえ」という指令を出した。数十人の1年生が短いスカートで登校すると、六中はパニックに陥った。3年生のツッパリの女子が1年2組の教室に来て、テニス部の女の子に「なんでてめえらミニスカートはいてんだよ!」と言って、テニス部の女の子の顔を引っぱたいた。1年生の女子は俺の顔を見た・・担任は(いいよ!)と目で合図した。次の瞬間、1年生が3年生の顔を引っぱたいた。3年生は困った・・・どうしたらいいか分からない顔になった。そりゃあそうだ。3年のツッパリが1年生を脅しに来たまではいいが、そこでやり返されたのだから・・・しかも、1年2組全員が相手になりそうな雰囲気になっている。彼女は一人で来たことを後悔していた。
 1年2組の担任はそのツッパリを理科準備室に呼び出した。そして、こう言ったのだ。「俺のクラスの子には手を出すなよ。」「テニス部にも」「1年生にもだ」「・・・・」「それだけ約束してくれたら、お前が何かあったときは、俺が絶対にお前を守るから・・・」「ホント?」「ああ、約束する」その後、ツッパリの女子が僕のクラスに手を出すことはなかった。
 それでも、馬鹿な男はいる訳で、3年の男子が1年2組の男の子をトイレでボコボコにする事件があった。担任は国語の授業中に3年のクラスをガラガラっと開け・・・「1年を殴った奴出てこい!」と叫んだ。ぽかーんとする国語の先生。
そして、廊下で数人をぶっ飛ばした。「いいか、何があっても俺のクラスに手を出すなよ。何があってもだ。」「・・・・」「それだけ約束してくれたら、お前達に何かあったときは、俺が絶対にお前達を守るから・・・どこの学校が攻めて来ても、守るから・・・いいな」実際に、どこの中学校が攻めてきても、俺は体を張って、六中の子どもたちを守った。守りすぎて、五中や他の学校の子を殴りすぎたこともあったけど・・・・ごめんね。これはマジで反省、反省。
何を書こうとしたのか忘れたよ。学校はね、男女が一緒でいいの。学年が混ざるから面白いの。そんな発想でいるから、同じクラスや同じ学年でいじめがあっても見えないんだよ。後輩達よ。大事なことは子どもたちの表情を見ることだよ。学年なんか、誰だって見分けられるでしょ?そうじゃなくて、いつも一緒にいるグループの中にも泣いている子がいるんだよ。その子を救うのが君たちの仕事じゃないのかな。
後輩達よ、まずは子どもたちを信じることから始めよう。それが「教育」だと思うよ。裏切られたって、裏切られたって、信じる・・・俺も何度も裏切られたさ。それでも信じるんだよ。そうすると、何かが待っているのさ。経験したことのない何かが・・・それが「教育」って奴さ。なーんて、今夜は君たちと腹を割って話したい気分だよ。
あれ・・・少し酔っているかも・・・もう直ぐ2時を過ぎる・・・明日は5時起き。
寝ないとね。英語と世界地図のトレーニングしてから寝よっと!


今日の写真1.2.3
2008年1月14日の朝の黒目川です。幸せそうな鴨の家族がいて、幸せそうなおばあちゃんと孫がいて・・・撮影している僕も幸せな気持ちになったのを思い出しました。人も鳥も
こうして誰かと繋がって生きているんですね。
*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになれますように!

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