5月13日 (土)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第133弾!  2017年5月13日(土)たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第133弾!  2017年5月13日(土)たかやん

川掃除のお知らせ
今月の川掃除は5月21日(日)の予定です。持ち物は「黒目川を綺麗にしたい」という心だけです。トング・軍手・ゴミ袋はこちらで用意します。栗原一丁目公園に9時に集合です。途中からの参加、途中までの参加も大歓迎です。夕方、石神集会所で「反省会」があります。反省会だけの参加も大歓迎です。
連絡先 たかやん 090-6497-5737


天気予報通り、早朝から雨が降っていた。駅立ちもポスティングも雨には勝てない。こういう日は体を休めろ・・・と神様が言っていると思うことにして、5時半までゆっくり眠ったのだった。背中が痛いのが少し治ってきたような気がする。

授業参観
久しぶりに五中の授業を見に行った。2年生の廊下を歩いていると、「こんにちは!」とあちこちから声がかかった。小さい頃から知っている八石小の子からは「あ、空父だ!」と懐かしい名前で呼ばれた。陸上部の子達からは自然な笑顔の挨拶を沢山もらえた。いいねえ、五中は・・・流石我が母校である。

理科
1時間目の最初に見たのは2年生の理科。噂の通り、授業が上手な先生だった。授業の見方は人によって色々だろうが、僕は生徒の気持ちになって考えることにしている。要するに自分も子どもたちのように席について、その授業を受けたいかどうか・・・である。理科の教師が理科のその授業を受けてみたい・・・そう思ったら、本物である。

休み時間
学校の雰囲気を感じるには休み時間に子どもたちの中にいるのが一番だ。廊下にいるだけではなく、教室の中に入って、何気ない会話をしていると、子どもたちの素顔が見えてくる。教室に浮いている子がいないか・・・なんてことに目がいくのは、教師癖が抜けてないのかも知れない。そう言えば、五中で現役の頃、休み時間は大抵子どもと一緒にいた。職員室には帰らず、教室か理科準備室で子どもたちと遊んでいたのだ。

英語
僕の英語の師匠だった岸辺先生が五中を去り、心配していたのだが・・・それは杞憂に終わった。2年1組の英語の授業は、これまた僕が生徒になって受けてみたい・・・そういう先生だったのだ。名前も知らないし、顔も見た記憶がない先生だったのだが・・・英語の歯切れの良さと子どもたちとの会話のキャッチボールのテンポの良さ、切り返しの速さに、教師としての才能を感じた。

枕草子
まだ若い先生なのだが、板書がやたら綺麗で・・・子どもたちと共通の言葉を話している授業に魅力を感じた。枕草子を一応は理解できている積もりでいたのだが・・・教材作りに工夫があって、実に面白い授業だった。あの板書は僕には真似ができない。板書が綺麗だということは、それだけで「強い武器」を持っているということだ。若くても才能がある先生と出会える子どもたちは幸せである。

教え子
それにしても、何人の教え子達に会っただろう・・・あちこちにどこかで見た顔があって・・・沢山の笑顔があって・・・「たかやん!」と呼ばれて・・・幸せだよねえ・・

呼び名
みんな僕のことを色々な呼び名で呼ぶ。一番嫌な呼び名が、「議員」「高邑議員」や「会長」「元PTA会長の・・・」という呼び方。知っている人から「高邑先生」と呼ばれるのはいいが、知らない人から「先生」と呼ばれるのは好きじゃない。「高邑」「高邑さん」は凄くいい方で、「父やん」「とんちゃん」「ともちゃん」は、ほんの一部の人間だけの呼び名。「たかやん」が一番気楽でいいかも・・・そして「お父さん」と呼ばれるのが一番好きかも知れない。呼べる人は空一人しかいないけれど・・・・

友達
今日は僕よりかなり若い友達と語った。若くても魅力のある友達で・・・昔の自分よりも、かなり上を行っている二人との数時間は、とっても刺激的な時間だった。若い人達からも多くを学んで、これからの短い人生に生かしていきたいと思う。

絶対に打ってはいけない!子宮頸がんワクチン1250
打つまでは健康そのものだった女子中高生達の苦痛の叫びが届かないようでは人間ではない!「精神的なものじゃないの?」「摂取により健康被害が生じたとは言えない」という医者や国は、「いじめがあったとは認められない」という、どこかの学校や教育委員会と同じで、被害者に寄り添う共感能力に欠けている。自民党のあの復興担当大臣と同じだ。副反応に悩む子達は運動もできなければ、学校にも通えないのだ。恋をして、悩むことも出来ないのだ。それは人生を奪われたのと同じ事。そういう悲劇を繰り返してはならない。戦争も原発事故も同じ。人生が台無しになるのは、いつも弱者なのである。

今日の写真1
五中には色々な掲示物があります。懐かしい星野富弘の詩を見つけました。
「鏡に映る 顔を見ながら 思った  もう悪口をいうのはやめよう   私の口から出たことばを いちばん近くで聞くのは 私の耳なのだから」
この詩は六中の1年2組で国語の授業をやった時に使った詩です。湯沢先生がお休みの時、僕は代わりに国語の授業をしたのです。その時の「詩」の授業で、子どもたちが泣いたのを見て・・・僕は国語の授業が持つ力を初めて感じたのです。

今日の写真2.3
今の五中しか知らない人は、この写真を見て何も感じないかも知れません。しかし、昭和52年当時を知る人には、この光景が時の流れを感じることが出来るのです。職員室前のスズカケノキ(プラタナス)は小さな木でした。その成長を感じることで、時の流れを感じるのです。

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになれますように!



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