6月19日 (月)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第170弾!  2017年6月19日(月)たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第170弾!  2017年6月19日(月)たかやん

川掃除のお知らせ
今月の川掃除は25日(日)の予定です。持ち物は「黒目川を綺麗にしたい」という心だけです。トング・軍手・ゴミ袋はこちらで用意します。栗原一丁目公園に9時に集合です。途中からの参加、途中までの参加も大歓迎です。夕方、石神集会所で「反省会」があります。反省会だけの参加も大歓迎です。
連絡先 たかやん 090-6497-5737

休会日
6月議会は明日で終わり。今日は休会日である。明日はいくつかの議案に反対討論をし、そしていくつかの議員提出議案に賛成の討論をすることになるだろう。どんな討論をするかは未定・・・俊さんと相談はするだろうが・・・その場の雰囲気で登壇することになりそうである。明日が終わると、9月までは議会がない。そう市議会は3ヶ月に1度しか議会がないのである。

せめて・・
3ヶ月に一度しか議会が無いのだから、議会中はなるべく自分の意見を述べることを心がけている。黙って立ったり座ったりするのは楽ちんだが・・・それでは僕を選んでくれた人に申し訳がない。議会で発言し、そして、せめて、月に一度は幻であってもいいから「議会報告」を書いて、駅で配る。それが、僕がすべき仕事の最低ラインだと思っている。

五中時代
最初の数年間は教材研究が大変だった。何せ見たことも無い理科の教科書で授業をするのだから・・・今は誰も使ってないだろうが・・・OHPって何?って感じだった。理科は実験があるので、その準備も大変。おまけに3年の担任で・・・おまけに軟式テニス部もやらなきゃいけなくて・・・でも、本当にきつかったのは、最初の1年だけで・・・あとの9年間は楽しいことの連続だった。2年目からは1年生で、しかも1年生の理科だけをやればよかったからだ。1年目、僕の仕事の最低ラインは中三の4組の子達と常に一緒にいることだった。そして、2年目からは、「いい授業をして、理科嫌いを無くすこと」「一生懸命、子どもたちと一緒に燃えること」「仲間を大切にして、五中のレベルを県のトップにすること」だったような気がする。

六中時代
最初の学年は大変だった。行く前から「五中からとんでもない奴がくる」という噂になっていたらしいのだ。山口常義や甲神嵒に認められていても、六中では全く評価されることはない・・・そんな雰囲気の中で、1年目がスタートした。六中での十年での僕の仕事の最低ラインは「一生懸命」という学級通信を毎日書くということだった。授業は楽しくて当たり前、部活も燃えて当たり前・・・年間244号の「一生懸命」を10年間続ける・・・それことが、僕の仕事の最低ラインだったのだ。勿論、部活は頑張った。六中のテニス部は10年間、毎日学校の周りの掃除をし、外トイレの掃除をした。10年間、毎日である。全国大会で優勝したことよりも、僕はそのことを誇りに思っている。そして、地域の人は勿論、高校生も大学生も社会人もテニスをする人なら、誰でも受け入れて、あのコートで練習をしたことも僕らの誇りである。僕らが測量して、作ったコートは全てのテニスマンを受け入れたのだ。全日本のチャンピョンから、近所のおじさん、おばさん、小学生まで誰も拒否したことはない。それが六中のテニス部の誇りでもあったのだ。
僕は週に100時間は六中にいた。一番いた時は、週に168時間・・・過労死のレベルなど、何度も超えてしまった・・・それが六中での10年間だった。

二中時代
最後の1年は「楽しい授業をして」「一生懸命」を毎日書く・・・それが僕の仕事の最低ラインになった。6月にはやめると決めていたので、心残りになるであろうサッカー部の練習には顔を出さないと決めた。一度出たら・・サッカー部の子どもたちが可愛くて、やめることが出来ないことを知っていたから・・・僕は二中の仲間達にも心残りがないように、極力友達を作らないように気をつけていた。それでも数人の仲間から「やめないで」と言われたのが嬉しくて、苦しかった。

たかやん塾1
最初のたかやん塾は石神2丁目で始まった。太陽のお母さんの「やるわよ!」の一声で、「たかやん塾」は始まった。太陽の理科の点数が3点から86点に上がり、他の子達も成績が伸びて・・・塾生は自然に増えていった。その頃の僕の仕事の最低ラインは子どもたちの成績を上げる・・・それだけだった。

たかやん塾2
僕の塾は新堀に引っ越した。その塾の1階はうどん屋で2階は塾という無茶苦茶な塾だった。そう、僕はどうしても一度「うどん屋」をやりたかったのである。その頃の僕の仕事の最低ラインは「旨いうどんを打つこと」と「子どもたちの成績を伸ばす」ことの二つだった。新堀の塾ではよく遊び、よく学んで・・・合宿をして、みんなで料理を作ったり、殆ど家には帰らない・・・そんな生活だったかも知れない。

たかやん塾3
石神3丁目のたかやん塾は我が家での塾。考えてみると、五中時代に戻ったような気もする。1期生から10期生までは、みんな我が家で「合宿」をしていたからだ。西大泉、所沢、野寺、畑中・・・石神井台以外は、いつも誰かが我が家に居候していた気がする。流石に今は誰も居候していないが・・・雰囲気は似ているかも知れない。

6キロ
今日はジムで6キロ走った。途中で左足がまた痙攣して・・・困った。腹筋.背筋は調子がよかったなあ・・・。少し締まってきたかも知れない・・・。

校庭
空を菅原接骨院に連れて行くので、久しぶりに五中に行った。校庭では陸上部が練習をしていた。開校当初からあったニセアカシアの木が随分と大きくなっていた。変わらないのは五中の校庭の臭いとそこから見える空、そして頑張る子どもたちの姿だ。陸上部の若い二人の顧問の先生達がいい顔をしていたなあ・・・。

絶対に打ってはいけない!子宮頸がんワクチン1293
打つまでは健康そのものだった女子中高生達の苦痛の叫びが届かないようでは人間ではない!「精神的なものじゃないの?」「摂取により健康被害が生じたとは言えない」という医者や国は、「いじめがあったとは認められない」という、どこかの学校や教育委員会と同じで、被害者に寄り添う共感能力に欠けている。自民党のあの復興担当大臣と同じだ。副反応に悩む子達は運動もできなければ、学校にも通えないのだ。恋をして、悩むことも出来ないのだ。それは人生を奪われたのと同じ事。そういう悲劇を繰り返してはならない。戦争も原発事故も同じ。人生が台無しになるのは、いつも弱者なのである。

今日の写真1.2
五中の校庭と五中の校庭から見える空です。40年前と、30年前となーんにも変わりません。僕が最初にこの校庭に足を踏み入れたとき、校庭を整備していたおじさんに「僕、この学校に入るの?」と中学生に間違われました。五中はまだ完成していなくて、工事のおじさんが何人もいたのです。その時の空もこんな感じでした。

今日の写真3
塾が終わって、迎えが来くる間・・・こうして遊んでいます。一日一回は誰でも笑顔になる権利があると思うのです。「一日一回は誰でも抱きしめられる権利がある」のとおなじように・・・

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになれますように!

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