7月27日 (木)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第208弾! 2017年7月27日(木)たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第208弾! 2017年7月27日(木)たかやん

川遊びのお知らせ
来月は8月6日(日)に「第19回わいわい川遊び」があります。多くの方の参加をお待ちしています。詳しくは後ほど・・・
連絡先 たかやん 090-6497-5737

夏休み7日目
大樹先生が我が家に来てくれた。それも、子どもたちと一緒に勉強をしてる。その光景を見ているだけで幸せな僕がいて・・・頑張る大樹先生に「大豆茶」を入れて、持っていった。ところが、そのお茶がこぼれて・・・アチチチチ!!笑う大樹先生。そこで目が覚めた。夏休みの7日目はこうして大樹先生の笑顔と一緒に始まった。

0キロ
朝から酷い腹痛。ジムに行くのはやめた。今日は0キロで我慢。そんな日もあるさ。明日からしばらくはジムが改装の為のお休み。さて・・・午後からの夏期講習、小中学生の塾に備えて、色々と準備するとするか。

夏期講習4日目
先生の過重労働(東京新聞 5月11日 社説から)
公立小中学校の先生がいかに過酷な勤務を強いられているか。文部科学省の2016年度の調査は、その実態を浮き彫りにした。
 1週間当たりの教諭の平均労働時間は、小学校で57時間25分、中学校では63時間18分に達している。「過労死ライン」とされる月80時間超の残業を余儀なくされている教諭は、小学校で3割、中学校では6割に及ぶ凄まじさだ。
 国を挙げて働き方改革が進められる中、公立校の先生は蚊帳の外に置かれている。残業の上限を規制し、健全な労働環境を守る法的枠組みを整えるべきだ。
 最大の問題は、1971年に制定の「公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法」だろう。残業代の請求訴訟が相次いだことを契機に、先生の給与や勤務のあり方を定めたのだ。
 先生の仕事は自発性や創造性が期待され、働いた時間の長短で評価できない特殊なものとされ、時間外手当は出ない。代わりに、8時間分の勤務に相当する本給の4%が毎月一律に支給される。
 つまり、残業そのものを原則として想定していない。1日7時間45分の所定の勤務時間をやりつくし、仕事を片付ける建前になっている。例え、授業の準備ぴゃ部活動の指導、家庭訪問が長引いても、ボランティアの扱いなのだ。
 残業代を支払う必要がないので、学校は際限なく仕事を増やすことができる。しかも、先生の勤務時間を把握する意味合いは薄れるから、長時間労働が常態化しやすい。労働の無法地帯に等しい。
 連合総研の調査では、タイムカードなどで出退時刻を記録する小中学校は1割程度にすぎない。
 この法制度の欠陥はかねて指摘されてきた。なのに、国は人件費を抑制したいからか、抜本見直しに踏み込まず、仕事の量と質のハードルを上げるばかりだ。
 グローバル人材育成を目指すとして授業時間を増やす。いじめや不登校、発達障害には丁寧な対応を求め、地域や家庭との連携を促す。精神疾患で休職する先生は、高校を含め年間5000人に上る。
 もはや先生の熱意や責任感に頼る精神主義では、教育現場の崩壊を招きかねない。そのしわ寄せを被るのは子どもたちなのだ。

*僕が教師だった頃に比べて、先生達も子どもたちも忙しくなっている・・・そう感じます。そう言う僕自身、月80時間どころか、月に200時間は軽く超える程残業をしているのが当たり前でした。でも、それは例外中の例外だったのです。他の先生達はそんなに忙しくはなかったのです。今の君たちは多すぎる課題で悩み、先生達も多すぎる仕事で悩んでいる。みんな疲れている。それでは学力が上がる訳はないし、学校が楽しい場所になれる訳がありませんね。困ったものです。

ヨーロッパ・アジア・アフリカ
中二の女の子がヨーロッパ・アジア・アフリカを完全制覇した。はじめは「絶対無理」と言っていた子だったのだが・・・陰で努力していたのだろう。子どもたちの面白いところは、自分ができないと思っていても、やっている内にできてしまうことが多いということだ。   勿論、自力で制覇したのだから、自信はつくわけで・・・次はオセアニアに進み、最後に北米・中南米・南米で終わる、この世界一周。記憶力を高めるトレーニングとしては最高である。世界水泳、世界陸上の時に、自分の脳みそがどれくらい反応するか・・・驚くだろう。

旧ホームページから「教師を目指す人へのメッセージ」
第二歩 「学級通信」名前を覚えるのと同時にするのは「学級通信」の準備だ。僕は『一生懸命』という学級通信を11年間、毎日発行した。毎日というのが味噌である。前半の10年間は毎日という訳にはいかなかった。年間100号も発行できればいいほうだったのだ。それが一度毎日書き続けたら止められなくなった。大事なのはこの止められないという感覚を子供達と一緒に体験することだ。11年間には色々なピンチがあった。
一番のピンチは毎日書き始めて1年目のクリスマスイブだった。12月25日は2学期の終業式。通知表を出さなくてはいけないという時に、41度の熱を出したのだ。僕は通知表を全く書いてなかった。(通知表を1週間かけてコツコツ書くという能力は僕には欠けていたのだ。)苦しかった。悪寒が走り、うわごとで「母さん、助けて!」といったくらいだ。
通知表を書く事は諦めていた。41度の熱なんだから、みんな許してくれるだろう。そんなふうに思っていた。ところがその苦しい状態で、学級通信を書いていないということに気づいたのだ。毎日書き続けてきたのに、これで終わりなのかと思ったら、なにくそという気持ちが湧いてきた。そう思っただけで熱が40度に下がった。それが夜中の12時頃。それから震える手で「一生懸命」を書き始めた。何度も中断しながら、3時頃やっと書き終わった。不思議なのはそれで熱がまた下がったことだ。39度になっていた。普通39度は苦しいものだが、41度から下がった39度は楽なものだった。僕は通知表も書く気になり5時過ぎに通知表も完成した。熱は38度になっていた。今度は朝練にいきたくなってきた。6時、大力という子から電話があった。「熱が39度あるので朝練休みます。」という電話だった。僕はそこでこう言った。『俺も41度あったけど、今からいくぞ。』テニスコートへ行くと大力も来ていた。
「継続は力なり」と子供達にいくら言っても、その言葉には力がない。しかし、毎日学級通信を書き続ければ、その言葉には力が溢れる。学級通信を毎日書くには子どもを見ないと駄目だ。毎日書いていると、どうしても筆が進まない日がある。そういう日は忙しくて子供達を見ていない、(会ってはいるが・・)日の事が多い。逆に子どもとたくさん話をして、子どもの目をよく見ている日は、書く事がたくさんありすぎて書ききれない状態になる。「学級通信」はそういう意味でのバロメーターになるのだ。
勿論、毎日書くにはこつがある。それは自分の言葉で書くということだ。よそいきの言葉でも何枚かは書けるだろうが、子供達の心には響かないし、長続きはしないものだ。毎日書いていればひどい文章のことだってある。でも心に響く通信を書く率も上がるのだ。帰りの学活で子ども達は食い入るように「一生懸命」を読む。それまで大騒ぎだった子供達がシーンと静まりかえって「一生懸命」を読むのだ。自分の名前があると大変だ。「ほら今日は載ってるよ。」「俺も」「私も」と嬉しそうに自慢しあう。でも、それが無くても友達の発言に笑いころげ、時に涙をするようになる。学級通信はクラスの全員を主役にする力を持っている。
この写真は六中最後のクラス、3年1組の卒業式の写真。隣りの子はつぐみ。彼女はテニス部で全国3位になったメンバーでもある。黒板には『一生懸命』の第237弾!が書いてある。普段はB4の紙に書くのだが、卒業式の前の晩。自分の教室を掃除しながら、子ども達の顔を思い出しながら最後の『一生懸命』を書く。それが僕の習慣になったのは、西戸山中学校時代に担任だった、河合隆慶先生の影響である。そう、僕は先生の真似をしているのだ。
*僕のメッセージは随分前のもの。東京新聞の社説を読んでいると、先生達に「学級通信を書く余裕」など無いことがよく分かる。僕らの時代は「担任にお任せ!」だったことが多かったが・・・今は「足並みを揃えて」やらないと生きていけない社会なのだろう。
家庭学習ノートや教科の課題など、担任や教科担任に任せてしまえば、子どもたちも先生達も少しは楽になるのに・・・教師も疲れて、生徒も部活と課題で睡眠不足・・・それでは学力向上など夢のまた夢である。

補聴器?
今日の塾、終わった後にスマートフォンで音楽を聴いていた中三の女の子のイヤホンを自分の耳に入れてみる。聞こえてきたのは英語の歌・・・「ん?誰だ・・ジャスティン・ビーバーか」「たかやん!たかやんがイヤホンしていると、補聴器みたい!」と中一の女の子。みんな大笑い。「いくらなんでも補聴器はないだろう・・・」そこで、また爆笑。まあ、そんな日が近い将来・・・来るのかなあ・・・

絶対に打ってはいけない!子宮頸がんワクチン1335 
打つまでは健康そのものだった女子中高生達の苦痛の叫びが届かないようでは人間ではない!「精神的なものじゃないの?」「摂取により健康被害が生じたとは言えない」という医者や国は、「いじめがあったとは認められない」という、どこかの学校や教育委員会と同じで、被害者に寄り添う共感能力に欠けている。自民党の人相の悪い国会議員達と同じだ。副反応に悩む子達は運動もできなければ、学校にも通えないのだ。恋をして、悩むことも出来ないのだ。それは人生を奪われたのと同じ事。そういう悲劇を繰り返してはならない。戦争も原発事故も同じ。共謀罪や規制改革とやらで人生が台無しになるのは、いつも弱者なのである。国民を守るための「規制」を壊してはならない!

今日の写真1.2.3
空が陸上部に入ってから、「駅伝」の大ファンになりました。五中陸上部の「襷」に込められた、子どもたちと先生の「思い」を応援したい気持ちで一杯です。自分の子が出ても出なくても、「襷」に受け継がれていく「思い」に涙が出そうになります。空のように、思うように走れない子達の思いも一緒に五中の「襷」は走ってくれるのだと思います。僕もテニスと出会ってなかったら・・・素晴らしい指導者と出会えていたら・・・陸上をやっていたかも知れません。そんな気がするのです。

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになれますように!

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