7月31日 (月)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第212弾! 2017年7月31日(月)たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第212弾! 2017年7月31日(月)たかやん

川遊びのお知らせ
来週の日曜日、8月6日に「第19回わいわい川遊び」があります。多くの方の参加をお待ちしています。詳しくはwww.takayan-world.com/cheeringparty/index.html
で見て下さいね。
連絡先 たかやん 090-6497-5737

夏休み11日目
僕らは連絡船に乗っていた。二人でデッキに出て、暗い海を見つめる。僕らの人生を決める旅になりそうだ。これから先、二人で一緒に生きていくのか・・・それとも・・・僕らは手を繋ぎながら、空を見た。そこには満天の星が煌めいていた。「僕らの人生は明るいよ」「きっとそうだよね」(流石に今回は夢じゃないぞ!)(この唇の感触・・・ウワっ!!)
ココア!!いいところで起すんじゃねえ!!

6時
「空、6時だよ」「・・・・」「起したよ。」「・・・うん」部活はお休みらしいのだが、体育祭の練習があるらしく・・・朝ご飯を食べて、暫くして学校に向かった空であった。

胃がもたれて・・・
昨夜、お祭りで久しぶりに脂っこいものを食べたせいか、胃がもたれている。朝食はサラダと冷や麦に納豆。その後、午後からの夏期講習の2セット目に備えて、準備に取りかかったのだった。

夏期講習6日目
想像力の欠如  宮子 あずさ   (東京新聞 本音のコラム 7月17日から)
 民進党代表・蓮舫氏が「二重国籍」の解消を証明するため、戸籍の公開を迫られ続けている。私は何より、戸籍を公開しろと言えるようになった世の中がとても恐ろしい。 
 言うまでもなく、戸籍は親の婚姻や血縁関係など、デリケートな情報が記載されている。部落差別の元にもなる。そのため、戸籍にはなるべく触れない。世の中にはさまざまな事情の人がいるのだから・・・。こうした配慮がようやく定着してきたはずなのに。いったい私たちはいつから鈍感にもそれを忘れてしまったのだろうか。
 同質の違和感を、私は最近流行の「二分の一成人式」にも感じる。十歳になった記念に、親への感謝と共に自らの生い立ちを語らせる。 
 私ならばどうするか。間の悪いことに、あの時期は、家族のトラブルが、次から次に襲ってきた。「二分の一成人式」がない時代で良かったと思う。
 世の中が変わり、複雑な事情をカミングアウトする人もいる。私もそのクチ。しかし、それを人に強制する気はない。語りたくない人は語らなくていいのである。
 戸籍公表の圧力と「二分の一成人式」は、個人的な事情を躊躇なく晒させる点で、共通している。そこにあるのは、絶対的な想像力の欠如。さまざまな事情を抱えて生きる人が生き難くならないように。そんなさり気ない気遣いを取り戻したいものだ。(看護師)
*民進党代表の蓮舫さんが党内の圧力に負けて、戸籍を公開し、その後辞任した。このコラムは彼女が辞任する前のもの。戸籍には確かに本人でも知らないような情報が隠されていることがある。君たちももう直ぐ自分の戸籍を見る時が来るだろう。君たちには想像力を欠如した大人になって欲しくない。
「二分の一成人式」にも色々なタイプあがり、それぞれ問題点があるかも知れない。勿論、我々が子どもの時代にはそんなものはなかったし、教師だった時代にもなかった。昔から、複雑な家庭は多かった。自分が育った環境が普通で、当たり前ではないということに気づけない大人にはなって欲しくない。


夜は中学校1年生だけの塾。学校は違っても、同じ学年ということで話が合うらしい。「明日から8月じゃん」「もう夏休みが終わっちゃうよ!」「嫌だあ!」1回脱線すると大変である。でも、集中するところは集中して、楽しい2時間だった。

旧ホームページから
第六歩 「言葉の力」
「言葉」の持つ力を知らずに教師をしてはいけない。子ども達には「いい言葉といい栄養で育つ権利」があると僕は思っている。心からでた言葉にはそれだけの力があるのだ。
朝から「おはよう!」ではなく、「何だお前そのスカートは!」「何でジャージなんだ!制服はどうした!」と叫ぶ奴がいる。彼らにはその言葉が子供達にどういう影響を与えるか考える力がない。想像力がない。それでいて、生徒には「挨拶は大切だ!」などというからちゃんちゃらおかしくなってくるのだ。「先生」は先を生きているのだから、何でも真っ先にやらなくては「先生」じゃあないのだ。こどもに気持ちのいい挨拶をさせるのは簡単だ。教師が自分から「おっはよーっ!」と笑顔で挨拶しつづければいい。勿論一日では駄目だ。最低2週間、子供達から挨拶が返ってこなくても笑顔つきでやり続ける。「継続は力なり」子供達は間違いなく笑顔つきの挨拶をするようになる。職員室の中には大声で挨拶しても、まったく返事をしない凄い奴もいる。さすがに大人だとむっとくるが、それでもし続けるとやっぱり返ってくるようになる。人間ってそういう生きものなのだ。学校にいる間は全ての時間が授業。廊下で会っても、校門で会っても、勿論授業中でも「言葉」には最大の敬意を払わなくてはいけない。僕は教育実習を函館中部高校の定時制でやらせてもらった。僕はそこの1年生で生物の授業をしたのだが、ひどい内容だった。何しろ自分でも何をしているのかよく分からなかったのだから。それでも生徒達はみんな真剣に聞いてくれた。眠い目をこすりながら、真剣に聞いてくれた。8割以上が看護学校の生徒だったと思う。本当にありがたかった。最後の日にそこの教頭先生から僕らはこういう言葉をもらった。
「君たちの授業は確かに下手です。ひどいものです。しかし、君たちには僕らにはないものがある。それは言葉です。彼らと共通の言葉です。その言葉をいくつになっても失わないでください。お願いします。」
その言葉のお陰で僕は教師をやってこれた。「彼らと共通の言葉」それは上からものをいう「言葉」ではない。もちろん子供達と対等の言葉だ。別にこどもたちのいうところの「タメ語」で話せという意味ではない。ではどういう言葉なのか。それは子供達と何でも一緒にやっているうちに分かってくる言葉である。苦しい事も楽しいことも一緒になってやる。やらせるのではなくて、一緒にやる。それが味噌である。大きな声で校歌を歌って欲しかったら、自分も一緒に大声で歌う。一生懸命勉強して欲しかったら自分も一緒に一生懸命勉強する。そうすると彼らの言葉が聞こえてくるのだ。言葉はまず耳から覚えなくてはいけない。彼らの言葉が聞こえるようになったら、自分がしゃべるのは時間の問題なのだ。大学卒業してすぐの新米教師は特にその能力が高いはずだ。何しろちょっと前までは文字どおり「学生」だったのだから…・ところが「先生」になった瞬間にその言葉を忘れてしまい、二度と話せなくなる教師がたくさんいるのも事実である。彼らは残念ながらプロの教師にはなれない。言葉が話せないということはコミニュケーションができないということだ。それこそ最初が肝心である。言葉の力は恐ろしいのだ。笑顔つきのいい言葉より強いものはない。大丈夫。貴方ならきっとできる。
*数日前に市内中学校の運動部のことを書いたが、顧問の先生には是非読んで欲しい。子どもたちは馬鹿にされる為、汚い言葉を聞くために練習をしているのではない。顧問の顔色を伺う為に部活に入ったのではない。子どもたちを強くするのに、汚い言葉はいらない。子ども達には「いい言葉といい栄養で育つ権利」があるのだ。きっと人生の途中でそういう指導者に出会ってしまったから、自分も真似をしているのだろうが・・・それは間違っている。そのことに早く気がついて欲しいものである。(頼むから議会で取り上げられるようなことがないようにしてくれ!!教育長や学校教育部長に恥をかかさないでくれ!!)

稲田
あの嘘つきおばちゃんでも防衛大臣が務まるのなら、日本中に防衛大臣になれる女性はゴマンといるだろう。北朝鮮がミサイルを発射した日に、防衛省の幹部を集めて、笑顔で敬礼って・・・本当に何をしてくれるのだ。あのおばちゃんは・・・防衛省も防衛省だ。いくら嘘つきおばちゃんが居なくなって嬉しくても・・・国土の防衛を優先にしてよねえ。昔も今の世の中も、「油断大敵」なのだから・・・。
絶対に打ってはいけない!子宮頸がんワクチン1338 
打つまでは健康そのものだった女子中高生達の苦痛の叫びが届かないようでは人間ではない!「精神的なものじゃないの?」「摂取により健康被害が生じたとは言えない」という医者や国は、「いじめがあったとは認められない」という、どこかの学校や教育委員会と同じで、被害者に寄り添う共感能力に欠けている。自民党の人相の悪い国会議員達と同じだ。副反応に悩む子達は運動もできなければ、学校にも通えないのだ。恋をして、悩むことも出来ないのだ。それは人生を奪われたのと同じ事。そういう悲劇を繰り返してはならない。戦争も原発事故も同じ。共謀罪や規制改革とやらで人生が台無しになるのは、いつも弱者なのである。国民を守るための「安全第一」という「規制」を壊してはならない!それが岩盤規制であることこそ、今の日本にとって必要なことである。

今日の写真1.2.3
レースが終わった後、顧問の先生のアドヴァイスを受ける空です。歩きながら、寄り添いながらアドバイスをしてくれていることが後ろ姿から分かります。自分が若い頃、こんな風に寄り添えていたんだろうか・・・冷静に的確なアドヴァイスが出来ていたんだろうか・・・怪しいものです。五中時代の僕はただ、子どもたちと同じように緊張し、子どもたちと同じように興奮し、声を出していた顧問だったような気もします。六中時代の僕は30代・・・少しは子どもに寄り添えていた・・・そんな気がしています。でも、それを判断するのは子どもたちです。五中・六中時代の顧問としての僕はどんな顧問だったのか・・・子どもたちに聞いて見ないと何とも言えませんね。

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになれますように!

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