8月10日 (木)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第222弾! 2017年8月10日(木)たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第222弾! 2017年8月10日(木)たかやん

夏休み21日目
今日は久しぶりにテニスの試合。会場は昭和の森。1回戦の相手はシード選手。(大樹先生に習ったテニスをすれば大丈夫!)そう思って試合に臨む。6-2.4-1といいペースで試合が進んで行った。後ろで見ていた大樹先生も小さな声で「いけっ!」と言ってくれた。ところが・・・気温がだんだん上がってきて・・・蒸し暑い状態に・・・息が苦しくなってきて・・・追いつかれそうに・・・それでもマッチポイントを握る。多分これは最初で最後のチャンス!必死になってボレーに飛びつき、ストップボレー!「決まれーっ!」と叫んだ自分の声で目が覚めた。汗びっしょになっていた今朝の4時過ぎ。

朝練
空は朝練へ。昨日の腹痛から復活したらしい。実は僕も昨日から酷い腹痛で、我が家のトイレは大活躍。職場が我が家でよかった!そう思った1日だった。

50本
午前中、僕が「夏期講習」の教材づくりに燃えていた時、空は「100mを50本」走っていたらしい。足が痛い筈だから、思い切りは走れなかったのだろうが・・・暑い中、それだけ走れる体力が羨ましい。小学生の時、水泳で「8キロ」泳いだ空からすると、陸の上を5キロ走ることはきつくないかも知れないが・・・いやいや、長距離の5キロ走と短距離の50本とは比較できないか・・・・暑い中、そんな空を見守ってくれる先生達に感謝である。

夏期講習12日目
旅行に行く子が多く、今日も3年生だけの夏期講習。慶応、東大寺、渋谷幕張などの数学の入試問題に燃える。問題集に「難」という字があるように、なかなかの難問だったが、それを一緒に解いていく・・・と、問題に隠された意図が見えてきて面白い。ディクテーションも一緒にやって、4時間があっという間に過ぎていった。

嫌韓、嫌中、嫌沖   鎌田 慧(東京新聞  8月1日 本音のコラムから・・)
 韓国・釜山市の南西。麗水市はその名の通り海辺の風景の美しい街である。ほぼ400年前、秀吉が挑戦を侵略した「文禄・慶長の役」(壬申倭乱)。水軍を率いて戦った李舜臣将軍の本拠地で、ここで亀甲船が建造された。
 ピースボートで訪問してはじめて「麗水・順天事件」を知った。日本の植民地から独立した3年後の1948年、米ソ対立から南北分断国家が成立した。それを認めない済州島の民衆が一斉蜂起した。(四・三事件)
 麗水に駐屯していた国防警備隊が鎮圧命令を拒否して反乱、同胞相はむ内戦となった。(麗水・順天事件)虐殺された民衆は1万人、あとの「朝鮮戦争」に繋がった。
 朝鮮半島の悲劇の遠因は日本の植民地支配にあり、敗戦直後の米ソの介入を許した。韓国は米軍支配のもとで軍事国家とされ、今ようやくまた民主化の時代を迎えた。その一方で北朝鮮の孤立化が深まっている。
 日本は400年にもわたって、甚大な被害を与えて尚、嫌韓をいう。この妄言が恥ずかしい。中国経済がくしゃみをしたら風邪をひくくせして嫌中。罰当たりだ。さらにこれまでも、苛め尽くしているのに、嫌沖縄。
安倍政治の暴力性が「土人」「シナ人」といった罵声を生み出した。弾圧に派遣された大阪府警の妄言だが、日本の教育が加害の歴史をタブーにしているのは国際的な恥だ。
*「麗水・順天事件」は僕もこのコラムを読んで初めて知った。痛ましい事件である。朝鮮半島の悲劇は南北に分断されたことだ。同じ事が日本でも起きていた可能性がある。米ソによる二重支配から救ったのが広島と長崎の「原爆」だとしたら、その地で爆死した市民こそ、日本を救った「英霊」ではないだろうか。長崎市長は昨日の記念式典で安倍首相に向かってこう訴えた。“日本政府に訴えます。核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとり、核兵器を持つ国々と持たない国々の橋渡し役を務めると明言しているにも関わらず、核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません。”彼は安倍晋三首相にこう言いたかったのだと思う。「あなたはいったい、どこの国の総理大臣なのですか!」と。
小学生
算数、英語、漢字、地理に燃えた。元気な小学生と一緒にいると2時間があっという間である。そう言えば、最近音楽をやる余裕がない。もっと音楽もやらないとね。

中学生
数学、英語、地理に燃えた2時間だった。英語の音読の練習不足が気になった。とてつもなく変な英語を書く子達は、「音読」が足りないのだと思う。世界一周のトレーニングのように、英文を何度も「音読」していれば、簡単な英文を間違えることはない筈。数学も同じ。心の中で「声に出しながら解く」ことが大事なのだと思う。

教師を目指す人へのメッセージ
第十六歩 「職員会議」
最初の年(昭和52年、五中開校時)僕は職員会議でほとんど発言できなかった。ただただ先輩達の議論を聞いていただけだった。唯一発言したのがソックスのこと。当時、新座五中では「女子のソックスは三つ折りのこと。」という、訳の分からないルールがあったのだ。いくらなんでもそれはひどいと思って、勇気を出して手を上げたのだ。『どうして、ソックスを三つ折りにしなくてはいけないのですか?』すると僕の大好きな神宮司久子がこう言ったのだ。「三折りの靴下のことをソックスというんです!」それで終わりである。僕は職員会議での初発言をこうして神バーに撃沈されてしまったのだ。

 僕のいた新座の中学校では未だに「少し許すと、どんどんだらしなくなる…限度が無くなる。」という考え方への信仰がある。例の「服装の乱れは心の乱れ」という標語を金科玉条のように唱えている人達はたくさんが存在しているのだ。そこから僕の一番嫌いな言葉「共通理解、同一行動」という言葉も生まれてきたのだと思う。彼らは生徒に同じように接しなさいと言う。その前にルールを守らせるということに対してはみんなで共通理解しましょうね、という訳だ。前にも書いたが、これが恐いのである。この考え方が教師から人間味を奪い、生徒の心をぎゅうぎゅうに縛ってしまうのである。少し考えれば当たり前のことなのだが、不思議なことに、長年学校にいると、その考え方に疑問を感じなくなる人が多くなっていくのだ。国会中継もなかなか滑稽で面白いことがあるが、職員会議をテレビで中継したら、かなりの視聴率を稼ぐのではないかと思う。少なくても「金八」よりは面白いと思う。

 一番忘れられないのは最後の学校の新座二中で新しい部活動を作ろうとしたときだ。『硬式テニス部を作りたいのですが。』「8年前の職員会議で新しい部は作らないと決めたので無理です。」『今、ここにいない人達で決めたことに、何故我々が従わなくてはいけないんですか?』「原案通りでお願いします。」『コートも予算もいりません。やりたい子達がいます。やらせてください。』「原案通りでお願いします。」今でもその時のことを思い出すと腹が立つが、要するに管理職の考え一つなのだ。職員全体の考えで物事が決まっていくのではなくて、管理職の頭の中で物事が決められていく。管理職が子供達の方を向いて能力の高い場合はいいが、子供達の方など全く見ていなくて能力が無いとアウトである。要するに結論が先に出ている訳だ。議論しても無駄だから、誰も発言しようとしないし、「原案賛成!」とゴマをする奴がかわいがられるという仕組みが出来上がっていく。反対に逆らうと、報復人事などが待っていたりするから恐ろしい。これも最近の国会と同じである。逆に自由にものが言える学校はいい。先生が伸び伸びしていれば子供達だって、伸び伸びする。当たり前のことだ。最初の職員会議でその雰囲気はつかめるはずだ。学年会議も一緒。自由にものを言えないような雰囲気の時は管理職に問題があると思っていい。そう学級会議だって同じだ。力の強いボスのいいなりになるようなクラスや学年、そして学校は御免だ。
*大分前に書いた文章だが・・・今考えると、管理職といってもみんな60前。人間が出来ていなくて当たり前。「先生」と呼ばれていい気になっていた昔の自分を思い出す。そのまま何も気が付かず「校長先生」と呼ばれて、自分が偉いと思い込めば、上からものをいうようになってしまうのは当たり前だ。ワンマンでも方向が間違ってなければ成功するかも知れないが・・・いい学校を作るには、先生方は勿論、子どもたちの考えも大切にすることじゃないのかな。そんな気がする。それにしても、僕は「職員会議」が嫌いだった。学年会議も教科部会も嫌いだった。「学級会」は好きだったけど・・・
子宮頸がんワクチン1346 
打つまでは健康そのものだった女子中高生達の苦痛の叫びが届かないようでは人間ではない!「精神的なものじゃないの?」「摂取により健康被害が生じたとは言えない」という医者や国は、「いじめがあったとは認められない」という、どこかの学校や教育委員会と同じで、被害者に寄り添う共感能力に欠けている。自民党の人相の悪い国会議員達と同じだ。副反応に悩む子達は運動もできなければ、学校にも通えないのだ。恋をして、悩むことも出来ないのだ。それは人生を奪われたのと同じ事。そういう悲劇を繰り返してはならない。戦争も原発事故も同じ。共謀罪や規制改革とやらで人生が台無しになるのは、いつも弱者なのである。国民を守るための「安全第一」という「規制」を壊してはならない!それが岩盤規制であることこそ、今の日本にとって必要なことである。

今日の写真1
8月6日に採れた魚達です。アユ、アブラハヤ、カワムツ、メダカ、カワヨシノボリ、ウキゴリ、金魚、オイカワ、ホトケドジョウ、ムサシジュズカケハゼ、カワリヌマエビ、タモロコ、ニゴイ・・・ザリガニ等々。

今日の写真2.3
採れた魚達を最後に黒目川に返します。バケツに分けて・・・子どもたちが川に「ありがとう」と言って返すのです。
*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・

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