8月11日 (金)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第223弾! 2017年8月11日(金)たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第223弾! 2017年8月11日(金)たかやん

夏休み22日目
久しぶりに懐かしいメンバーが我が家に集合した。直人、夏香、つぐみ、めぐ、亮そして紀。みんなでよく食べ、よく語り・・・最後に歌を歌うことに・・・紀と二人でギターを弾こうとしたのだが・・・コードが思い出せない。「大丈夫、父やんなら指が勝手に動くはず」と紀は言うが、どうしても思い出せない。紀はスラスラ弾くのに・・・その音楽についていけない・・・(紀はきっと、ずっと練習してたんだな・・・それに引き替え、俺は何もしてこなかった・・・・)紀のギターに合わせて、みんなが楽しそうに歌い始めた。僕一人がその輪に入れずに・・・泣きそうになって、目が覚めた。ココアが僕のお腹の上で寝ていた。今朝の4時過ぎのお話。

5時半過ぎ
200mの決勝を見た。ハキーム選手は残念ながら7位だったが、3年後のオリンピックでは期待できそうである。そして、彼の隣にジャスティンが並んで走っている姿を想像するのだ。二人が並んで決勝を走り、そしてリレーで一緒に走る・・・そんなことを夢見ている。

夏期講習
「政府の詐術」   佐藤 優 まさる(東京新聞 本音のコラムから・・)
政府が沖縄県民の生命と安全を考えていないことがよくわかった。米軍普天間飛行場所属の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイが5日、豪州で墜落し、乗員3人が死亡。2日後、沖縄でオスプレイが飛行を再開した。
 <当初は、米軍が日本政府の飛行自粛要請を無視し、飛行を強行したとみられていた。だが、そうではなかった。政府は「運用上必要な物を除く」との条件を付けていたのである。これでは、飛行再開を米側に捉したも同然だ>(9日「琉球新報」社説)。
 軍用機を遊びで飛ばすことはない。運用に必要だからオスプレイは飛んでいるのだ。「運用上必要なものを除く」という条件を普通の言葉に言い換えれば「どうぞ自由に飛んで下さい」ということだ。前出の「琉球新報」社説は、政府の姿勢を<気脈を通ずる日米両政府が「運用上必要なものを除く」との条件を意図的に付けた可能性がある。「日米共犯」の飛行再開は看過できない。強く抗議する。オスプレイの飛行再開の口実を米側に与えていたことを直ちに説明しなかった小野寺五典防衛相の姿勢は不誠実極まりない。小野寺氏が国内での飛行自粛を米軍に求めたのは、要請自体が目的だったと疑わざるを得ない>と厳しく指摘する。その通りだ。政府は拙い詐術で沖縄人を騙そうとした。このツケは高くつく。
(作家・元外務省主任分析官)
*オスプレイMV22の危険性は昔から言われていた。「欠陥ヘリ」と米国では言われているのだ。米海兵隊が2010〜12米会計年度にアフガニスタンに配備した航空機12機種のうち、ヘリ機能を持つ6機種のなかで、垂直離着陸型輸送機MV22オスプレイの運用率が1・02%と極端に低く、ほとんど使われていなかったことが分かっている。MV22オスプレイの事故の割合は、全12機種平均の約41倍と突出している。

教師を目指す人へのメッセージ
第十七歩 「感想」
「義務教育」という言葉を使って、子どもを縛ろうとしてはいけない。「君たちは学校に来なければいけないんだ。義務教育なんだから…。」という教師が存在するのは事実である。行きたくないけど、「義務教育」だから行かなくてはいけない。そういう子供達が増えてしまうのだ。だから僕は「権利教育」なのだといった。『君たちには権利しかない。義務などはないのだ。だから学校に来る義務などないのだよ。大事なのは君たちに学校で勉強する権利があるということ。そしてその権利は誰にも奪うことなど許されないのだ。』僕はそう言い続けてきた。『その大切な授業を邪魔することは誰にもできない。いいね?』人が必死で聞こうとしている授業を邪魔することはいけないことだ。それを「義務教育」という言葉で説明してはいけない。「権利教育」という言葉で説明すると子供達は納得する。

第一「義務教育」というと、いかにも授業がつまらなそうだ。つまらない授業をしても「義務」だから「我慢」して勉強をしなくてはいけない。そういう教室が目に浮かんでくる。違うのだ。授業は楽しくなくてはいけない。子供達がワクワクしなくてはいけない。分かるように仕組まれてなくてはいけない。「授業」とはそういうものなのだ。勿論毎回そういう授業にするのは難しい。クラスに40人もいれば色んなことが起きる。でも…少なくても、そういう授業にしようとする努力を教師はしなくてはいけない。

教師という仕事の恐いところは、去年と同じことをしていても飯が食えることである。去年から何の努力をしていなくても、給料は上がっていく。分からない授業をして、子供達が苦しんでしても、「授業をちゃんと聞いていないからだ!」と生徒のせいにする教師は多い。僕は空き時間に授業を聞きにいったことが何度もあるが、それこそ授業のレベルは1から10まであった。こどもの目を見もしないで授業を淡々と進めている人も随分いた。自己満足型授業である。多いのは、子どもが質問すると「話を聞いていないからだろう!」と怒るタイプ。責任転嫁型授業である。いずれにしても、基本的には分からないのは授業のやり方に問題があるのだ。

ではどうするか…。子供達に毎回「感想」を書いてもらうのだ。50分授業の最後の五分は「感想タイム」。最初の五分で子供達を引き付け、40分集中させて、最後の五分は感想。僕の場合はこれが一番上手くいった。勿論授業は自分で作っていく方が面白いから色々やってみるのがいいだろう。同じパターンは子供達を安心させるが、飽きさせることも事実である。時々刺激を与えることも大切だと思う。それこそ、子供達の目を見ていれば自分の授業のレベルが分かるし、自分の授業に何が足りないかが分かるようになるのだ。子どもの目にやる気が無かったら、こどもにやる気が無いのではない。自分の授業が下手糞なんだ、そう思った方がいい。少なくてもプロの教師はそう思わなくてはいけない。勿論感想に点などつけてはいけない。「つまらない!」「わからない!」と書かれても怒ってはいけない。それをありがたく受け入れなれないようではプロにはなれない。お客様の声を大切にすることを忘れてはいけないのだ。こども達の感想は僕たちへの「通知表」なのだ。
*授業の感想は今も書いてもらっている。それがまた面白いのだ。毎日の感想が、毎日の僕の通知表である。

開いた口がふさがらない
閉会中審査の茶番劇を見ている国民の不快指数が上昇し続けている。野党が要求した証人は全て拒否、ごまかし通す気が見え見えである。内閣改造とやらで、防衛大臣は確かに交代したが、「無能」から「危険」に交代しただけのこと。

子宮頸がんワクチン1347 
打つまでは健康そのものだった女子中高生達の苦痛の叫びが届かないようでは人間ではない!「精神的なものじゃないの?」「摂取により健康被害が生じたとは言えない」という医者や国は、「いじめがあったとは認められない」という、どこかの学校や教育委員会と同じで、被害者に寄り添う共感能力に欠けている。自民党の人相の悪い国会議員達と同じだ。副反応に悩む子達は運動もできなければ、学校にも通えないのだ。恋をして、悩むことも出来ないのだ。それは人生を奪われたのと同じ事。そういう悲劇を繰り返してはならない。戦争も原発事故も同じ。共謀罪や規制改革とやらで人生が台無しになるのは、いつも弱者なのである。国民を守るための「安全第一」という「規制」を壊してはならない!それが岩盤規制であることこそ、今の日本にとって必要なことである。

今日の写真1
川遊びですから、子どもたちは川で遊ぶ訳です。普段はないようなものを使って遊びます。その仕掛けは大人が作ります。何往復もして、大人はちょっぴり疲れますが・・・・

今日の写真2.3
その大人もこの日はカヌーで遊びました。栄治や宣樹の中に「子ども」の表情が見えて、笑いました。いつまでも「遊び心」を持った大人でいたいものです。二人ともいい顔していたなあ・・・
*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・

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