8月12日 (土)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第224弾! 2017年8月12日(土)たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第224弾! 2017年8月12日(土)たかやん

夏休み23日目
夏休みということで、久しぶりにマンハッタンにいる。セントラルパークで日本人の観光客に声を掛けられた。どっかで見た顔だなあ・・と、思ったら新垣結衣で・・・どうも彼女は英語が全く話せないらしく・・・ストロベリーフィールズまで案内する。それで終わる筈だったのだが、彼女が「お昼一緒に食べませんか」と誘ってくれて・・・断る理由もないので、二人でレストランへ。そこで彼女が何を注文するのかと思ったら・・・「チキンラーメン!」『マジか!じゃあ・・・俺も・・・チキンラーメン!』と言ったところで、「ドッキリ!でした!!」と見たことのある顔が笑って・・・こんなこと有るわけがないだろ・・・と思ったところで目が覚めた。今朝の5時頃のお話。

激痛
右足の薬指が腫れて痛い。何が起きたのかは分からないのだが・・兎に角、腫れている。歩くと激痛で・・・靴を履くともっと激痛で・・・この状態では走るのは勿論、テニスが出来ないわけで・・・困った、困った。痛風?リュウマチ?骨折?・・・なんだろね。

7キロ
それでも湿布を貼って7キロ走ってみた。そしてベンチをやって腹筋・背筋をやって・・・これで8月に入って26キロである。お風呂に入って、出てきたらまた激痛・・・どうすりゃいいのさ、俺の人生・・・弱った、弱った・・・。

教師を目指す人へのメッセージ
第十八歩 「懐かしい学級通信1」
1995.6.30 『一生懸命』幻の学級通信第62弾! 2年1組から
一日に12回
「人は誰でも1日に12回抱きしめられるべきです。生きていくためには最低4回。健全な心のために8回。元気でいるためには12回。ドラッグ(麻薬)よりもハグ(抱きしめ)を。」天声人語にね、こういうのが載ってたよ。と吉沢先生。『わかるなあ、それ。』「1日12回だよ。」『うーん、抱きしめられたい!』「言葉でもいいんだって…・。」『そうだよね。優しい言葉って、そうだよね。』「絶対必要だよね。」『子供達の事も抱きしめなきゃ。自分も抱きしめられたいけど。』「うん。」最近吉沢先生とやさしい言葉について語ることが多い。この間なんか夜電話で30分も話してしまった。朝「おはよう!」『ジャンボ!』と笑顔でしてくれる子供達の挨拶も、僕にとっては「抱きしめ」なのかも知れない。もっともっと、笑顔でいよう。もっともっと、子ども達と語ろう。もっともっと、抱きしめてあげよう…。うーん。1日12回。
これは今から7年前のお話。吉沢先生は本当に優しい先生で、この時の話はよく覚えている。1日に12回、僕らは子供達を抱きしめているだろうか……。いやいや自分の子供でさえなかなか抱きしめてはいないのだ。子供と一緒にいないとなかなか子どもが見えない。一緒にいても見えないと、誉められないし、抱きしめられない…。

テニスの世界では一人のコーチが見ることのできる生徒の数は16人と言われているが、今の学校は1クラス当たりの生徒数がまだまだ多いのである。確かにそうなのだ。その人の能力にもよるだろうが、1クラスに40人の子ども達はやはり多いと思う。修学旅行や体育祭や合唱祭のような行事では多い方が面白い。しかし、一人一人に目がいくかと聞かれると、やっぱりNOなのである。

「学校とテニスを一緒にするな!」という人もいるだろうが、子どもの可能性を引き出すということに関しては同じである。Educationを教育ではなく、「開智」と訳すのが本当だという人がいたが、その通りだと思う。自分の考え(自分の考えが無い場合は学校の考え)を子ども達に押し付け、育てようというのでは困るのである。1日に12回。半分は親に頼むとしても、6回くらいは学校で抱きしめてあげたいものである。教師は子供達が傷つく言葉を僕らは知らず知らずのうちに、あるいは意識的に使っている。そのエネルギーを「抱きしめ」の言葉を話すことに使おうではないか。勿論本当に抱きしめてあげてもいい。言葉で抱きしめてもいい。表情で抱きしめてもいい。歌で抱きしめてもいい。子供たちは一日に12回、抱きしめられる権利を持っているのだから・・・。

そんなことをしたらセクハラになるのでは・・・そう思う人もいるだろう。大丈夫だ。卒業式の日に担任と抱き合って泣く子供たち。それを見て「セクハラだ。」という人はいない。要はその時の雰囲気なのだ。子供たちと自分の信頼関係なのだ。信頼関係がないのに抱きついたらいけない。それこそセクハラである。心配な人は言葉で抱きしめればいい。

子宮頸がんワクチン1348 
打つまでは健康そのものだった女子中高生達の苦痛の叫びが届かないようでは人間ではない!「精神的なものじゃないの?」「摂取により健康被害が生じたとは言えない」という医者や国は、「いじめがあったとは認められない」という、どこかの学校や教育委員会と同じで、被害者に寄り添う共感能力に欠けている。自民党の人相の悪い国会議員達と同じだ。副反応に悩む子達は運動もできなければ、学校にも通えないのだ。恋をして、悩むことも出来ないのだ。それは人生を奪われたのと同じ事。そういう悲劇を繰り返してはならない。戦争も原発事故も同じ。共謀罪や規制改革とやらで人生が台無しになるのは、いつも弱者なのである。国民を守るための「安全第一」という「規制」を壊してはならない!それが岩盤規制であることこそ、今の日本にとって必要なことである。

今日の写真1
小松原さんの投網を見学する次郎と七風です。この場所は野寺公園の少し上流です。

今日の写真2
投網を打つ菅谷さんです。笑うのは、この投網に「文句」を言う人が毎年いるのです。「投網やっていいのかよ!」と橋の上から叫んだりします。答えは「いいんだよ!」です。佐藤さんも菅谷さんも小松原さんも「漁業権」を持っています。漁業権を持っている人はどうやってアユを採ってもいいのです。違法なのは「漁業権」がないのに、釣りをする人達です。

きょうの写真3
僕らの川の先生です。本当に毎年お世話になっています。どこかで恩返しをしないと・・・罰が当たりそうです。
*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・

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