8月14日 (月)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第226弾! 2017年8月14日(月)たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第226弾! 2017年8月14日(月)たかやん

夏休み24日目
久しぶりのPTA総会である。いったい何年ぶりだろう・・・もう二度とやるまい・・・そう決めていたのに、自分が議長をやっている。男性が手を挙げた。(お、栄治だ・・・)
「PTAは任意団体ですよね」『はい』「それを保護者全員に周知しましたか?」『はい』「どうやって?」「私は知りませんでした」(おいおい、栄治・・・)『3月の段階で全家庭に通知しましたが・・・行ってませんか?』「来てません!」「うちも来てません!」
『マジか!』「会長!どう責任とってくれるんですか?」「会長!」「会長!」「会長!」
(ちょっと待ってよ!俺が会長だっけか・・・俺、いつPTAに入った?)「ちゃんと答えてください!」『あのう・・・』「家計が苦しいのに、PTAに毎年5000円も払えるか!!」「そうだ、そうだ!!」『5000円?』(5000円は高くねえか!!)「消費税10%を入れたら5500円だぞ!」(消費税がいつ10%になったの?)気が付くと汗びっしょりだった。ふーっ!会長じゃなくてよかったあ・・・今朝の4時前のお話。

激痛3
右足の薬指が今日も痛い。でも、我慢することにした。我慢してパソコンに向かう。そして8月号の作成に取りかかったのだった。

0キロ
という訳で、今日はジムもお休み。只管パソコンに向かっていた訳で・・・議会報告と塾の準備、そして一般質問の準備で午前中が終わったのだった。

お墓参り
午後から我が家全員(ひとみ、空、ココア)で所沢に向かった。ひとみのお祖父ちゃん、お祖母ちゃんのお墓参りである。みんなで手を合わせて・・・お母さんの手料理をご馳走になった。ココアは行きはどこへ連れて行かれるのか心配だったようだったが・・・帰りはすっかり安心したみたいで可愛かった。昔、北海道旅行に行ったときにココアを何日かお母さんに預けたことを覚えているのかも知れない。僕に似て、繊細な神経を持っているココアである。

教師を目指す人へのメッセージ
第二十歩 「切り札」
どんな学校にも生徒指導の「切り札」と呼ばれるものがある。例えば職員室への呼び出しだったり、校長の説教だったり。そして保護者の学校への呼び出しだったり…だけど「切り札」を早すぎる段階で使ってはいけない。そりゃあそうだ。切り札なのだから・・。そんな当たり前のことが分かってない学校が多い。僕が最後にいた二中では「自転車で登校」しただけで、親を呼び出していた。誰にも迷惑をかけずに、(そりゃあ自転車の置き場で多少迷惑をかけたかもしれないが…)誰を傷つけた訳でもないのに、いきなり親を呼び出すのだ。たかだか「校則」を破っただけで「切り札」を使ってしまったら、本当に人に迷惑をかけた時はどうするのだ。そして人を傷つけたり、自分を傷つけようとしたりした時はどうするのだ。本物の教師は「校則」を破られたことに感情的になってはいけない。大切なのは「規則」ではない。「マナー」である。教師達の言い分は「みんなが同じ事をやったらどうするの?」である。答えは簡単。「自転車置き場を作ればいいのだ。」交通事故は登校時だけに起こるだけではない。放課後だって日曜日だって起こる可能性があるのだ。そんなことをいっていたら高校も自転車通学ができなくなってしまう。そんなに交通事故が心配なら教師達も車での登校をやめたらいい。自分にはできないことを、生徒達にやらせてはいけない。煙草についても同じだ。子供達に「煙草は吸うな!」と本気で言うなら自分達も「禁煙」するくらいの信念がなくてはいけない。子供達は「本気」を見抜く才能を持っている。本気で怒れば必ず通じるものなのだ。「煙草は吸うな!」といいながら自分達は、休み時間に職員室でコーヒーを飲みながら煙草をプカプカ吸い、子供達の前に煙草臭い息で登場する。そういうセンスのなさを疑うのである。教師の煙草の臭いは間違いなく生徒を不快にさせる。煙草を吸わない同僚も、勿論同じだ。鈍感な教師達はそういうことにも気づかない。妊婦がいても平気で喫煙する職場があったりしたのだからひどい。これはもう学校以前の問題だろう。「規則」ではない。「マナー」なのだ。去年の1月から学校の敷地内は「禁煙」となったらしいが、教師たちが隠れて吸っていることは生徒達も知っている。自分達は「法律」という「ルール」をしっかり守っているから、(守っていないことも勿論あるくせに。)おまえらも「校則」という「ルール」を守れ!と言う。そこには人を思いやる「マナー」という考えは存在しない。そして一方で「ルール」といいながら「体罰」を含め、「汚い言葉」で子供達に暴力を振るう自分達には寛容である。プロの教師はそうであってはいけない。学校は楽しいところでなくてはいけないのだ。教師だけが楽しくて、子どもをいじめてストレスを解消するところではないのだ。学校に「取り締まり系」の教師はいらない。子供達の目を見ないで、服装は髪型にしか目がいかないような三流の教師になってはいけない。この学校は厳しいのだ。と本気でいうなら、まず自分達に厳しくなれと言いたい。勉強で厳しく鍛えようとするなら、教師はその何倍も勉強して自分を鍛えなくてはいけない。生徒に理解できない授業をすることがレベルの高い授業ではないのだ。生徒が理解できるような授業をすることがレベルの高い授業なのだ。そして生徒が勉強を楽しむことこそ大事なことなのだ。
切り札は最後に取っておこう。そしてできるなら、その札は最後まで使わないでおきたいものだ。切り札は子どもが泣く札でなくてはいけない。それでこそ、切り札なのだ。
*先生達には随分と厳しい言葉に聞こえるかも知れない。しかし、「先生」「先生」と言わることに慣れ、周りにイエスマンしかいなくなると、自分に正面から物を言う人を避けたくなるものなのだ。でも、「先生」と呼ばれる人の人生で必要な人とは自分の為に駄目なところをダメと言ってくれる人なのだ。そういう人が周りに居ないと、伸びないのである。 
僕の場合は高邑新太郎、神バア、嵒、敞一カ、(みんな死んでしまったが・・)山口常義、川西龍一、横山幸弘、島至、島ヒロミ・・・馬場英幸、三吉賢二、山崎久美子、田中幸弘、木村俊彦、長久保大樹・・・そして、沢山の教え子達がそれに当たる。ただ、ダメというのではない。僕の為にダメ!そう言ってくれる人が自分の人生には大切なのだ。


子宮頸がんワクチン1350 
痛みのある人生を生きるのは辛い。打つまでは健康そのものだった女子中高生達の苦痛の叫びが届かないようでは人間ではない!「精神的なものじゃないの?」「摂取により健康被害が生じたとは言えない」という医者や国は、「いじめがあったとは認められない」という、どこかの学校や教育委員会と同じで、被害者に寄り添う共感能力に欠けている。自民党の人相の悪い国会議員達と同じだ。副反応に悩む子達は運動もできなければ、学校にも通えないのだ。恋をして、悩むことも出来ないのだ。それは人生を奪われたのと同じ事。そういう悲劇を繰り返してはならない。戦争も原発事故も同じ。共謀罪や規制改革とやらで人生が台無しになるのは、いつも弱者なのである。国民を守るための「安全第一」という「規制」を壊してはならない!それが岩盤規制であることこそ、今の日本にとって必要なことである。

今日の写真1.2.3
黒目川の掃除をはじめて9年目に入りますが・・・一番腹が立つのが煙草の吸い殻だとすると、二番目が「犬の糞」です。飼い犬の糞を放置する神経が分かりません。きっと家庭でも学校でも「きまりを守る」「法律を守る」ことだけを教えられ、「マナーを守る」ことを教えられなかった人達が煙草のポイ捨てをし、犬の糞を放置できるのでしょう。僕は思うのです。「愛国心」というのは、自分の国を汚さないことだと・・・・自分の国の国土を汚さず、自分の国の国民に嫌な思いをさせない・・・それが愛国心の根っこになければ、本物ではない。そう思うのです。だから・・・原発で福島を日本を汚染させて平気な輩には「愛国心」の欠片もないし、子宮頸がんワクチンの副反応で苦しむ少女達に寄り添えない輩にも「愛国心」の欠片もないのです。勿論、国民を「戦争」に引きずり込もうとする輩に「愛国心」など1ミリもないのです。

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・

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