8月15日 (火)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第227弾! 2017年8月15日(火)たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第227弾! 2017年8月15日(火)たかやん

夏休み25日目
何故か新宿区PTAの「教育講演会」に講師として呼ばれた。教育講演会で話をするのは、立教大学から呼ばれて以来のことだ。あの時は池袋のタッカーホール・・・今回は区民会館。「実は僕は昔、この辺りに住んでいたんです」「百人町では評判の悪ガキで、PTAのおばちゃん達からは毛嫌いされていたんですよ」というと、そのPTAのおばちゃん達が大笑いして・・・緊張がとけたのだった。どうやら半分は小中学校の先生らしく・・・教育講演会なので「クラスと部活と授業で一番大切なのは何だと思いますか?」「授業です」「では、その授業にどれだけの準備をしていますか?」「ベテランになると余りしなくなりますよね」「授業ノートをつけていますか?」「子どもたちにノートを取らせるんだから、自分もノートを取らないと・・・なかなか伸びませんよ」「大事なのは兎に角授業です!」「同じ学校でいい授業をやっている先生の授業を盗まないとダメです」そんな話をして、質疑に入った。「高邑先生は今おいくつですか」「43です」そう言ってから・・・(あれ?俺の歳って43だったっけか・・・?)そこで目が覚めた。なんかリアルな夢だったなあ・・。

7キロ
昨日サボってしまったので、今日は7キロ走ってみた。腫れていた左足も大分良くなって、痛みが感じられないくらいになったのだ。痛みがないって・・・幸せなことだったんだよねえ。忘れちゃいけないね。痛みが無い幸せを・・・。これで8月に入って41キロ。100キロ行くかなあ・・・

終戦記念日
天皇の言葉を走りながら聞いた。心に沁みる言葉だった。嘘つき総理大臣の言葉には何も感じなかったが、天皇の言葉には「心」がこもっていた。国民に対する「愛」が溢れた言葉だった。そして「戦争」を二度としてはいけない!という強い願いが感じられた言葉だった。

被爆
核兵器による被爆は日本だけかと思っていたが、核実験をしていたアメリカや北朝鮮でも一般人が「被爆」していたことを知って、何とも言えない気持ちになった。中国人を殺す為に作られた旧帝国陸軍の「毒ガス兵器」も又、核兵器と同じように、作成に携わった日本人の死者も数多く出している。広島・長崎は勿論、日本全土への無差別空爆で多くの一般市民が殺されたが、日本もまた中国の重慶では無差別空爆を行い、罪のない一般市民を無差別に殺している。殺されるのはいつも弱い側である。戦争の一番の被害者はただの市民なのだ。国会議員が列を作って靖国に行く・・・・彼らには一番の被害者のことは念頭にないのだろう。高邑新太郎の弟の登は今でもフィリピンのルソン島に眠っている。靖国に高邑登の魂はいない。
 

教師を目指す人へのメッセージ
第二十一歩 「最初が肝腎」
「最初が肝腎」とよくいう。確かにその通りだ。しかしその肝腎を間違えてしまっている教師達がたくさんいる。「1年生の1番最初にびしっとルールをたたきこまないと。」と主張する教師達のことである。「チャイム着席」「ジャージでの清掃」「中学生らしい頭髪」「中学生らしい服装」とにかく最初にビシッと教え込まなければ、あとが大変である。と彼らはいう。答えはNOである。「1年生の1番最初にかわいがること。」それが大切なのだ。僕は21年間担任をやってきたが、ただの一度も1年生で担任をした子供達から暴力を振るわれたことはない。しかし、テニス部の子達と戦ったことはある。子どもたちに対する接し方が違ったのである。僕はクラスの子供達は徹底的に可愛がった。小学校でどんなに優秀な子であっても、どんなに悪いことをしてきた子であっても関係なく一日目で「名前」を呼んで握手をしてきた。掃除も一緒にやったし、家庭訪問にはその日の子供達全員を車に乗せて、ワイワイガヤガヤ話をしながら行ったものだ。給食は毎日くじを引いて、ジャンケンで片付けをして、昼休みは一緒にサッカーをやる。毎日帰りの学活ではギターを弾いて一緒に歌を歌う。そしてテスト前には「朝勉」で一緒に勉強し、テストも一緒に受けた。勿論、怒ることもある。泣かすこともある。だけど、1年の終わりにクラスが解散する時にはみんなで泣くのだ。
そういう子供達の中に徹という子がいた。中2、中3は僕のクラスから離れ、接触する機会が少なくなった子である。その子が3年生になり、ちょっとしたワルになった。身長、体重も僕をはるかに越え担任の教師に対してもひどい態度を取り、弱い生徒に対する態度も酷かった。そういう時に僕は彼とぶつかった。何が原因かは覚えていないが、昇降口で僕は彼の胸ぐらをつかんでこういった。『徹!なにやってんだよ。お前は!』「…・・」彼は泣きはじめた。僕より背もでかいし、力もある中3がまるで中1の子どものように泣くのを見て、僕は彼が愛しくてしょうがなかった。そして自分のやり方が間違っていなかったと確信した。子供達の心は僕と出会った時のままだったのだ。彼はそれから落ち着いた生徒になっていった。一方で五中のテニス部の子供達とは違う接し方をしていた。僕が部活動で子どもを「名前」で呼ぶようになったのは五中の終わり頃になってからで、それまでは全部「苗字」で呼んでいた。僕に対しては全て敬語を使わせていたし、接し方もほとんどが命令調で暴力的だったのだ。要するに五中の子供達はクラスと部活で全く違う僕を両面から見ていたことになる。ただキツイトレーニングは一緒にやったし、遊ぶ時はあそんだから最後はやっぱり泣けた訳だ。でも僕に対して力で向かってくる子は思い返すとみんな五中テニス部の子供達だった。勿論、素手で一対一で戦ったし、気合で一度も負けなかったし、今ではみんな笑い話なんだけれど、「最初が肝腎」なんだとやっぱり思うのだ。怒らなくてはいけない時はある。そこを逃してはいけない。怒るには気合が必要だ。ネチネチだらだら怒ってはいけない。怒ったら、さっぱり忘れてしまうぐらいの技量がなくてはいけない。それができないのだったら、怒らない方がうまく行くかもしれない。昔は学校に一人や二人、怒るのが名人という先生がいた。今はあまり見当たらない。自信のない人は鏡の前で練習することだ。気合を込めてイメージトレーニングをすることだ。笑顔も怒る顔も練習で作れるのである。

四字熟語
中学生の最後は四字熟語のお勉強。『何もしないで、毎日ぶらぶらと暮らしていること』という問題に「ニート!」と答えたのは1年生の女の子。『四字熟語だっつうの!上手いけどね・・・』「えへへへへ」『僕が好きな女性のタイプです。美しい瞳と白く綺麗な歯並びのことを・・・』「美人薄命じゃなくて・・・明、明、明・・・」『明眸皓歯』「あ、それ!」中学生と四字熟語・・・なかなか面白いわ。

子宮頸がんワクチン1351 
痛みのある人生を生きるのは辛い。打つまでは健康そのものだった女子中高生達の苦痛の叫びが届かないようでは人間ではない!「精神的なものじゃないの?」「摂取により健康被害が生じたとは言えない」という医者や国は、「いじめがあったとは認められない」という、どこかの学校や教育委員会と同じで、被害者に寄り添う共感能力に欠けている。自民党の人相の悪い国会議員達と同じだ。副反応に悩む子達は運動もできなければ、学校にも通えないのだ。恋をして、悩むことも出来ないのだ。それは人生を奪われたのと同じ事。そういう悲劇を繰り返してはならない。戦争も原発事故も同じ。共謀罪や規制改革とやらで人生が台無しになるのは、いつも弱者なのである。国民を守るための「安全第一」という「規制」を壊してはならない!それが岩盤規制であることこそ、今の日本にとって必要なことである。

今日の写真1.2.3
戦争が終わって72年が経ちました。沖縄には多くの米軍基地があります。日本人の我々が入れず、アメリカ人が入れる場所が数多くあるのです。何が「日本を取り戻す!」だ。安倍晋三はいつもかけ声だけ。本気で取り戻す気があった、とっくにアメリカから沖縄を取り戻している筈です。僕らは沖縄に行って、沖縄の人達がどう感じているか・・・肌で感じてきました。沖縄は怒っています。「金じゃないよ」「沖縄を返せよ」「綺麗な海を汚すなよ」
沖縄はそう言って怒っていました。中学校の修学旅行・・・僕が一番感動したのは二中の広島への修学旅行でしたが、沖縄への修学旅行も今の子どもたちにはいいと思います。沖縄の痛みを感じられる大人になって欲しいですから・・・。
*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・


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