8月16日 (水)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第228弾! 2017年8月16日(水)たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第228弾! 2017年8月16日(水)たかやん

夏休み26日目
久しぶりのクラス会。15歳だった中学生が30歳になったのだから・・・時が経つのは早い。「先生!」『ヒーコ!』「先生」『ハマベ』「たかむら!」『あはははは・・オケイ!』
僕と8歳しか違わない妹達と久しぶりの再会である。「先生」『コモ!』「先生!」『猛』「たかむら!」『友和』そうだった。最初の子達は俺のこと、普段は呼び捨てにしてたっけ・・・「先生ってさ、女子では誰が一番可愛かったの?」とハマベ。『みんな可愛かったよ』「またまたあ・・・」「俺たちには言ってたよね・・・」『シッ!』「え?誰々?」「どうせヒーコでしょ?」『いやあ、みんな可愛かったってば・・・』「嘘だね」『嘘じゃない!』「嘘だね」『嘘じゃない!』「嘘だね!」『嘘じゃないっていってんだろっ!!』その声で目が覚めた。今朝の4時過ぎのお話。

11キロ
今日は塾もお休み。雨が降っていたのでジムで11キロ走ってみた。そしてベンチと腹筋・背筋。お風呂で世界一周のトレーニング。これで8月に入って52キロ。100キロ行くといいんだけど・・・

教師を目指す人へのメッセージ
第二十二歩 「ノート勉」
子供たちに力をつけるには、いいフォームで勉強することを教えなくてはいけない。それには「ノート勉」がいい。ノート勉は簡単だ。まず授業に集中してノートを取る。目いっぱい部活をやって、疲れていても寝る前に枕元にその日のノートをちょいと並べる。そして目を閉じて授業を思い出すのだ。そして思い出せたら寝てしまう。思い出せなかったら、ノートを見て思い出すのだ。記憶は寝ることで“長期記憶”になることが確かめられている。その脳の仕組みを利用するのだ。そして朝・・・目を覚ましたら、また昨日の授業を思い出すのだ。これを“思い出し勉”という。このノート勉の効果は絶大である。嘗ての教え子で、この勉強法で学年で一番になり、浦和高校でも一番になり東大へ行った子がいた。安くて、時間が節約できて本当にいい勉強法だと思う。このノート勉が出来るようになると、自然に授業に集中するようになる。「授業に集中しなさい!」と言っても、子供たちはなかなか集中できないものだ。だけど「ノート勉は楽しいぞ!この勉強法は科学的根拠があって、しかも時間はかからないんだ!」というと、子供たちはやり始めるのだ。そして自然に授業に集中するという訳だ。
ノートの取り方も色々ある。“マインドマップ”を描いたり、絵を入れてみたり、色々工夫してノートを取ることで、脳はどんどん進化していく。自分が黒板に書いたままのノートを見てもつまらない。それは写しただけだから・・・・。だけどそれが変化して子供たちの中で消化しているのを見るのは楽しい。だからなるべく授業中に子供たちのノートを見ることだ。たくさんのノートを見て、良いノートがあったら、みんなの前で大声で誉めることだ。ユニークなノートがあったら誉めることだ。よく「ノート点検」をする教師がいるが、あれはよくない。第一にノート勉の権利を奪っている。仮にAを付けたとしても、教室でみんなの前で誉めたことと比べたらたいしたことはない。子供たちは教師に誉められるのを待っている。Aという数字で誉めるのと、教室でみんなの前で誉めるとでは全然違うのである。「ノートを提出しないと減点です!」などと言っている教師はアマチュアだと自分で言っているようなものだ。普段の授業の中で子供たちの生のノートを見ていないのだから・・・・プロの教師は“授業”というドラマの中で子供たちの変化を見なくてはいけない。そういう意味では教師は舞台俳優でもある。舞台で発言した台詞は訂正できないのだ。授業は舞台。真剣勝負なのである。そういう意味でも教師は“役者”なのだから、目にはいつも力がなくてはいけない。舞台で目が死んでいたら観客は幻滅してしまう。観客はお金を払って来ているのだ。そのお客を楽しませるのがプロなのだ。三流の役者でも毎回一生懸命演じていれば二流になる。そして魂をこめれば一流になっていく。授業の中で子供たちのそばに行くチャンスを逃してはいけない。どんどんノートを見に行くことだ。そしてどんどん誉めることだ。そしてひどいノートがあっても他の子と比較してけなしてはいけない。その子のノートの変化をみるのだ。どんなに汚いノートでもその子に真剣に接していれば、ノートはどんどん変化していく。それが面白いのである。舞台は毎日ある。だけど同じ舞台は二度とない。
*授業でどれだけ子どもたちを見ることができるか・・・今も昔も、大事なことは同じである。外見ばかり気にして、本質を見失ってはいけないのである。
子宮頸がんワクチン1352 
痛みのある人生を生きるのは辛い。打つまでは健康そのものだった女子中高生達の苦痛の叫びが届かないようでは人間ではない!「精神的なものじゃないの?」「摂取により健康被害が生じたとは言えない」という医者や国は、「いじめがあったとは認められない」という、どこかの学校や教育委員会と同じで、被害者に寄り添う共感能力に欠けている。自民党の人相の悪い国会議員達と同じだ。副反応に悩む子達は運動もできなければ、学校にも通えないのだ。恋をして、悩むことも出来ないのだ。それは人生を奪われたのと同じ事。そういう悲劇を繰り返してはならない。戦争も原発事故も同じ。共謀罪や規制改革とやらで人生が台無しになるのは、いつも弱者なのである。国民を守るための「安全第一」という「規制」を壊してはならない!それが岩盤規制であることこそ、今の日本にとって必要なことである。

今日の写真1.2.3
「市民と語る会」には色々なことがありました。4人でスタートして、3人になって・・・今は2人ですが、沖縄に行ったこの時は3人でした。視察に行って、肩を組んで写真を撮る人って、余りいないでしょうねえ・・・。
*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・

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