8月18日 (金)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第230弾! 2017年8月18日(金)たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第230弾! 2017年8月18日(金)たかやん

夏休み28日目
陸上の全国大会に来ている。この糞暑い夏に走るのだから、見る方も走る方も大変である。
昔から走るのは得意だったが・・・まさか、全国大会で自分が走ることになるとは・・・周りに知っている顔は誰もいない。知っているのは顧問の潤先生と星ティーだけだ。走る前に先生達のところに行き、アドヴァイスを貰う。やはり顧問の先生の顔を見ると安心する。スタートラインに立つと心臓がバクバクしてきた。「on your mark」「set!」(え?俺の種目は3000mなんだけど・・・100mにも出るんだっけか?!)そこで目が覚めた。今朝の4時過ぎのお話。

9月号
昨日に引き続き、9月号の作成に時間を使った。そして、ジムへ。今日も7キロ走って、ベンチと腹筋・背筋。お風呂で世界一周のトレーニング。これで8月に入って66キロ。腹筋・背筋がかなり楽になってきた。

教師を目指す人へのメッセージ
第二十四歩 「絶対評価」
僕は「授業態度」を評価に入れたことはない。それは自分が中学時代の苦い思い出があるからだ。西戸山中学校の二年の時のことだ。理科のテストで僕は満点を取った。学年で一人だけだった。西戸山中学校は新宿では有名なモデルスクール。越境通学が3分の1もいた学校だった。ようするに頭のいい奴がたくさんいたのだ。その西戸山で、学年で一番を取ることはたとえ一教科でも、僕にとっては奇跡だった。通知表は当然5。そう思っていたら・・・・・評価は4だった。「授業態度」が原因だった。佐久井先生という奈良女子大を出た女の先生は授業態度にうるさかった。僕は余りにも注意されたので、頭にきて理科を勉強しまくって、その先生をやり込めるという遊びを始めたのだ。その結果テストはできたのだけれど・・・・。結局、授業態度に対する報復だった。僕はその通知表を母親の前で燃やしてしまった。だから理科の教師になった時に「授業態度」を評価にいれる教師にだけはなるまい、そう決めたのだ。ではどうやって評価するか。そうテストの結果だけで評価するのだ。だから1学期の授業のはじめに僕はこう言っていた。「テストの平均が90点を超えたら、誰でも5です。授業中に寝ようが、僕と喧嘩をしようが、必ず5をあげます。70点を越えたら誰でも4です。・・・・・・」そしてその通りに評価した。どんなに授業態度が良い子でも、1点でも足りなければ容赦なく4をつけたし、僕に喧嘩をうってきた子でも基準を超えれば間違いなく5をつけた。「相対評価」が当たり前の時代だったから、同僚から色々言われることもあった。でも、公立高校へ提出する内申以外はこの「絶対評価」を通し続けた。そしてそれは子供達に信頼される一つの要素になった。“自分の好き嫌いを評価に入れない。”という信頼である。
今の子供達の話を聞くと、相対評価の時代は勿論、絶対評価になった今でさえ、教師の「感情点」「好き嫌い」が評価に入っている。ノートを提出しなければ「減点」。チャイム着席をしていなければ「減点」授業中騒いだら、テストがよくても平気で「1」「2」をつける。そういう教師がたくさんいるらしい。そもそも子供達の評価に「1」「2」が多いということは自分の授業が下手糞だということなのだ。それがわかっていないアンポンタンが多すぎる。平均点が低いと喜ぶ教師も結構見てきたが、どういう神経をしているのかと思ってしまう。最近新座のある中学校で国語の教師が1年生の五割程度の生徒に「1」をつけた。僕の感覚では「1」というのは音楽で言えば「お前は歌うな!」という数字だ。美術で言えば「お前は描くな!」という評価だと思っている。子供たちにはそれくらいのショックをうけるのだ。絶対評価になって、他市の評価は「4」と「5」がやたらと多くなっていると言われている今、いくら力がないからといって、そこまでやる必要があるのだろうか。力が無かったら、力をつけてあげるのが教師だと僕は思う。1をつけられた子達は今は2年生。もうすぐ3年生になる。本当に心配だ。僕の塾にも小学校で習った漢字が読めない中学生はいる。だから練習するのだ。小学校の漢字からやり直す。そしてできたら誉めてあげる。漢字が読めるようになると、本も好きになってくる。ただ「本を読め!」と言っても子供たちは本を読まない。読めないのだ。まず、読む力をつけてあげなくてはいけないのだ。いくら絶対評価でも、プロの教師は気安く「1」をつけてはいけない。
*「内申」を振りかざす学校が多い。「内申」を生徒指導の武器に使ってはいけない。授業が荒れるのは自分の授業が下手くそだからだ。内申で子どもたちをコントロールする・・・・荒れている学校では特にその傾向が強い。困ったものである。それでは何のために教師になったのか分からないし、子どもたちからしても、嫌な記憶しか残らないだろう。中学時代は人生に一度だけ。それも3年間しかない。中学校は教師も生徒も楽しいところじゃなくっちゃ!!

後輩
北大テニス部の後輩二人が我が家に遊びに来てくれた。学年は4つ下なので、現役の頃は会っていないのだが・・・同じコートで汗を流した訳で・・・あっという間に、親戚みたいな感じになってしまった僕らだった。

時間の無駄
単語を覚えたかどうかはテストをしてみれば分かる。漢字を覚えたかどうかも、テストをすれば直ぐに分かる。ああ、それなのに、それなのに・・・今の中学校の先生達は「夏休みの宿題に単語や漢字を何個書け!」という課題を出すのだろう。もう覚えてしまった単語を何個も書かなければいけない子達の気持ちを考えたことがあるのかな。もう覚えてしまった漢字を何個も書かなければいけない子どもたちの気持ちと、彼らの時間を考えたことがあるのかな。頑張った子達は課題なんか見なくても、テストでいい点数を取るから直ぐに分かる。 課題を提出したって、テストで書けなければアウトじゃあないのか・・・大事なのはどれだけ書いたかではなく、どれだけ書けるか!ではないのか・・・子どもたちは我慢して頑張っているが・・・俺が中学生だったら、反乱を起しそうだ・・・。

子宮頸がんワクチン1354 
痛みのある人生を生きるのは辛い。打つまでは健康そのものだった女子中高生達の苦痛の叫びが届かないようでは人間ではない!「精神的なものじゃないの?」「摂取により健康被害が生じたとは言えない」という医者や国は、「いじめがあったとは認められない」という、どこかの学校や教育委員会と同じで、被害者に寄り添う共感能力に欠けている。自民党の人相の悪い国会議員達と同じだ。副反応に悩む子達は運動もできなければ、学校にも通えないのだ。恋をして、悩むことも出来ないのだ。それは人生を奪われたのと同じ事。そういう悲劇を繰り返してはならない。戦争も原発事故も同じ。共謀罪や規制改革とやらで人生が台無しになるのは、いつも弱者なのである。国民を守るための「安全第一」という「規制」を壊してはならない!それが岩盤規制であることこそ、今の日本にとって必要なことである。

今日の写真1
僕の選挙。最後の演説は「三吉自動車」の前と決まっています。20時ギリギリまでここで演説をして、マイクを使っての選挙が終わります。

今日の写真2
そして、少し休憩してからひばりヶ丘北口に向かいます。このシルエットは多分、ゆりちゃんだと思います。中学校1年生の時から、10年以上、僕の「一生懸命」を毎回受け取ってくれている女の子です。

今日の写真3
六中の緑ジャージの由香です。僕が36歳の頃の教え子です。いつも「たかやーん!」と満面の笑みで来てくれます。1年間、理科を教えただけなのですが・・・
*この日記を読んだ人が幸せな気持ちになりますように・・・

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