8月20日 (日)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第232弾! 2017年8月20日(日)たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第232弾! 2017年8月20日(日)たかやん

夏休み30日目
夏休みが終わり、2学期の最初の授業が始まった。『はい、みんな宿題出して!』「えーっ!」「宿題出さないって言ったじゃん!」「そうだ、そうだ」「そんなこと言ったっけ?」「言ったよ!」「なんだよ、嘘つき!」「信じられない!」「こんな授業やってられっか!」「そうだよ、みんな出て行こうぜ!」『あ、いや・・ちょっと待て!』「校庭でサッカーやろうぜ!」『あれ・・・俺も入れて・・・』職員室に戻ると、みんなが怖い顔をして僕を見ている。「なんの授業ですか?」『あ、いや・・理科の・・・』「理科の授業で校庭でサッカーやらしてるんですか?」『あ、いや・・そうじゃなくて・・・』「じゃあ、何なんですか!」
『まだ、8月だから、夏休み中じゃないですか・・・』先生達の顔が一気に笑顔になった。「そうでした。まだ8月中でした。」その時、後ろから金子校長の大きな声がした。「違います!今年から8月29日から2学期なんです!」『えっ!そんな馬鹿な!』「全教職員に伝えた筈です!」『いや、俺は聞いてませ・・・聞いてたような気も・・』そして職員室から加藤教頭が「校庭でサッカーをしている3年1組の諸君、今すぐ職員室前に来ななさい!」と絶叫したのだ。(やばい!!このピンチをどうやって乗り越えたらいいんだ!!)そこで目が覚めた。僕は汗びっしょりになっていた。今朝の3時半過ぎのお話。

準備
明日から夏期講習が再開される。午前中はその準備で忙しかった。少しだけ庭でテニスをして、お昼過ぎ、ジムに行って・・・7キロ走って・・・ベンチと腹筋・背筋をやって、お風呂で世界一周のトレーニングと英語の暗誦をやって、家に戻ってきたのだった。8月に入って80キロ。残り20キロで目標の100キロに到達である。家に戻ってから、また準備。朝霞の川遊びにも、脱原発ウォークにも行けず、母さんの所にも行けず・・・只管パソコンに向かっていたのだった。


教師を目指す人へのメッセージ
第二十六歩 「副担」
僕は二十一年間、ずっと担任をしてきたので副担の仕事をしたことがない。だから副担の気持ちもよく分からない。副担といっても実に色々で、担任のサポートをしてくれる人から邪魔をしてくれる人まで本当に様々だった。一番感動したのは宮下先生が副担になったとき。僕より5年先輩の体育の先生なのだが、あっという間に新学期の事務的なことをやっておいてくれるのだ。新学期の担任は名簿を作ったり、教室の整備をしたり、学級通信を書いたり、それこそ何とかいいスタートを切ろうと必死になる。出席簿、学級保健簿、生徒指導票・・・そういったものを副担が作ってくれたら・・・これはもう万々歳である。宮下先生はそういうことを実にさりげなくやっておいてくれる先生だった。そして学期末の通知表。今はパソコンにデータを打ち込んでというパターンが多いようだが、昔は全部手書き。勿論所見は担任が書くのだが、それ以外のところは全部宮下先生がやっておいてくれるのだから嬉しかった。
僕がいないときにクラスで問題が起きても、「たかやんだったら何ていうかな?」「あたしは知らないわよ。担任はあたしじゃないんだから。」と言って、子ども達と僕との関係を大事にしてくれた。そして女の子達が僕にもいえないことがあると、宮下先生に相談に行っていたらしい。
一方で、事務的なことは何でも副担の仕事にしようとする担任もいる。もともとは担任の仕事なのだから、それはいただけない。担任と副担、お互いを思いやらないといい関係にはならないのだ。どんな人間関係も同じだと思うけど・・・・
僕は一度も副担をしなかった。僕にとってクラスというのは「生きがい」そのものだったから。僕が管理職試験を受けなかった理由は「担任」ができないから。校長になっても
「担任」ができて、「授業」ができて、「部活」ができるというのなら、今頃は校長をやっていたかも知れない。僕は部活人間のように言われていたらしいけれど、それは違う。僕はクラス人間である。テニス部とクラスとどちらを取るといわれたら、間違いなくクラスを取るタイプなのだ。それは通信にも表れている。学級通信「一生懸命」は毎日発行できたが、部通信「ボール行きます!」は年間70号がいいところだった。学校に自分の「学級」があるということは、学校に自分の「家族」がいるということだ。だから僕は教師という職業を続けられたのだ。
僕には副担という仕事はできない。そういう能力に欠けているのだ。だから担任を持たない学年主任にも教頭や校長にもなれない。そういう意味では実に幸せな教師人生だったと思う。21年間、僕には「家族」がいた。そう不思議なことがある。「家族」の名前は忘れないということ。顔も名前もみんな覚えている。何十年経っても忘れないから不思議である。自分の学生時代の友達は忘れているというのに・・・・担任というのはそれほど子ども達にのめり込んでいくものなのだ。
*僕は校長にはなる気も無かったし、ならなくてよかったと思っているが・・・後輩達、特に優秀な後輩達にはなって欲しいと思っている。だって、校長がダメだと学校全体がダメになる訳だから・・・

子宮頸がんワクチン1356 
痛みのある人生を生きるのは辛い。打つまでは健康そのものだった女子中高生達の苦痛の叫びが届かないようでは人間ではない!「精神的なものじゃないの?」「摂取により健康被害が生じたとは言えない」という医者や国は、「いじめがあったとは認められない」という、どこかの学校や教育委員会と同じで、被害者に寄り添う共感能力に欠けている。自民党の人相の悪い国会議員達と同じだ。副反応に悩む子達は運動もできなければ、学校にも通えないのだ。恋をして、悩むことも出来ないのだ。それは人生を奪われたのと同じ事。そういう悲劇を繰り返してはならない。戦争も原発事故も同じ。共謀罪や規制改革とやらで人生が台無しになるのは、いつも弱者なのである。国民を守るための「安全第一」という「規制」を壊してはならない!それが岩盤規制であることこそ、今の日本にとって必要なことである。子どもたちを守る規制がしっかりしていれば、この悲劇は起こらなかったのである。

今日の写真1
たかやん塾の卒業生の二人です。五中の陸上部です。まさか空の部活の先輩になるとはこの頃は思っていませんでした。本当に頑張り屋の素敵な先輩達です。

今日の写真2
久しぶりに幸弘の写真を見つけました。本当にいい奴で、僕は大好きでした。幸弘と新座の未来を語った日のことは今でも覚えています。

今日の写真3
小学生の低学年の頃の空です。小さくて、可愛かった空も今は靴のサイズが27センチになりました。靴は可愛くないですよ、26.5の僕より大きいのですから・・・でも身長はまだ低いので、可愛いです。

*この日記を読んだ人が今日一日、幸せな気持ちになりますように・・・


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