8月7日 (月)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第219弾! 2017年8月7日(月)たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第219弾! 2017年8月7日(月)たかやん

夏休み18日目
久しぶりの花火大会。しかも、高校生の超綺麗な彼女と二人で手を繋いで見るのだから緊張する。「ねえ、緊張している?」「え?・・・うん。少し」「手に汗かいてるよ」「え・・・あ、ごめん!」「可愛い!」「・・・・」中学生の僕は両手の汗をタオルで拭くがなかなか手の汗が止まらない・・・「いいのよ、気にしないで」「うん」彼女の手はひんやりして、そして温かかった。(え?ひんやりして、温かい・・・?)僕の右手はココアの冷たい鼻と温かいお腹をまさぐっていた。お腹を上にして、気持ちよさそうなココア。今朝の4時過ぎのお話。

仕込み
午後からの「夏期講習」に備えて2時間準備に使った。子どもたちのリクエストにはちゃんと応えないとね。決められたカリキュラムで「授業」をするのは実に「楽」だということを再認識する。しかも、教科が決まっていれば実に楽な訳で・・・。とは言っても「楽しい」「分かり易い」授業にするには努力と経験が必要な訳で・・・いつの世も「準備」「仕込み」は大切なのです。

13時
夏期講習スタート。今日は1年生がお休みで2.3年だけ・・・少数精鋭って奴だ。「長時間椅子に座っていると血流が止まって、体に良くないらしいから・・・時々立つようにするよ」「無理!」「動きたくない!」『でたな、婆さん!』

17時
夏期講習が終わり、ジムへ。ベンチを先にやって、6キロ走って、ダッシュでお風呂に入って、世界一周のトレーニングと日本列島をやって・・・戻って来たのだった。

プレゼント
本当はひとみの誕生日プレゼントを買う積もりだったのだが・・・ジムへ。塾があるのでプレゼントは買えず・・・

夏休みの宿題
20時、中学生の塾が始まった。毎年のことだが、子どもたちの夏休みの宿題の多さに驚く・・・
「終わらないよ」「どうしたらいい」『俺なら・・・』「俺なら?」『やらないかな・・』「嘘!」『発明創意工夫に全員参加なんてあり得ないだろ!』「そうなの?」『東京の学校もある?』「ないない」『だろうな・・・』「いいなあ」『みんな内申、内申って言うから、やらないといけない雰囲気になるんだよねえ・・・』「宿題も出さないと内申下がる・・・」
『生徒も教師も大変になるのに、何でこんなに出すかねえ・・・夏休みの意味が無いねえだろ!』「たかやんは出さなかったの?」『出したこともあるけど・・・自然の中で遊べ!炭酸飲料は飲むな!くらいだったかな。』「いいなあ」『だって、宿題出したら、それを見なきゃいけないんだぜ!しかも、それを評価したりしたら・・・そんな面倒くさいことやれないよ。』「うちの先生達にも言ってよ!」『みんな周りの先生達の空気を読んでるんじゃないの?』「KYは嫌だから・・・?」『テストの点数だけでつければ簡単なのにねえ・・・』「それいいなあ・・・」『そのうち、それに気づく人が出てくるよ。』「早く出てこーい!」

教師を目指す人へのメッセージ
第十三歩 「掃除」
トイレ掃除に燃えた時があった。メチャクチャ汚かった外トイレをみんなでピッカピカにした。便器の中に手を突っ込んできれいにした。何度も顔に得体の知れないものがひっかかった。トイレの前で取った写真がある。みんな笑顔一杯だ。子供達は実は掃除が好きなのだ。仕事が好きなのだ。それを好きにするか、嫌いにさせるかは教師の言動にかかっている。

「清掃点検」に燃えている学校があった。毎日美化委員がチェックしてまわる。駄目なところに×をつけていく…。体操服に着替えてないと、×をつける。掃除をしているかいないかではなくて、体操服に着替えているかどうかで判断する。教師も「なんで制服なんだーっ!」と怒鳴る。これは教育ではない。勿論ある程度学校はきれいになるだろう。だけどだ、学校をきれいにするのが目的ではないはずだ。もしそうなら、業者を雇って掃除をしてもらえばいいのだから。
 実は五中時代、僕は子供と一緒に掃除をしなかった。先輩の先生に習って、掃除を監督していた。「清掃点検」の片棒を担いでいたのだ。六中に行き、最初の赤ジャージの学年で、斎藤一男先生と向井進先生という二人の先生と同じ学年になった。二人の先生達はあたり前のように毎日子供達と一緒に掃除をしていた。子供達が遊んでいても、その二人の先生は黙々と掃除をしいていた。僕は彼らを見て、子供達と一緒に掃除をするようになった。半袖短パンで額に汗しながら一緒に雑巾がけをはじめた。すると子供達も同じように膝をついて拭き始めたのだ。今まで足で拭いていた子供達が雑巾がけの楽しさを一緒に味わい始めたのだ。子供達は雑巾がけのテクニックと楽しさを伝授されてなかっただけだった。雑巾の濯ぎ方、絞り方、姿勢そしてかけ方…やって見せればみんなできるのだ。それから教室とトイレがどんどんきれいになっていった。きれいにすればする程愛情が湧いてくる。子供達は段々教室を汚さなくなった。「物にも心がある。」ということを感じ始めたのだ。「物にも心がある。」それは僕が父から教わったことの一つだ。小さい頃からよくそう言われたものだ。「新しいものがいいものではない。」「大事に使えば使うほど、物だって嬉しいんだ。」僕はその言葉を子供達に伝えた。本物だと思ったから…。

「清掃の時はジャージに着替えること。」そういうルールをいくら作っても、子どもの心は教育できないのだ。一生懸命掃除してきれいにしても、清掃時間内に終わらなかったので×などというのは教育ではない。トイレの便器にへばりついたババ糞をきれいにするのに時間をかけて何が悪いのだ。掃除は毎日のことである。毎日のことだからチャンスは広がる。子供達に大切なことを伝えるチャンスが広がるのだ。自分の国を汚さない子供を育てたい。自分達の地球を汚さない子供達を育てたい。それには心を育てるしか方法はないのだ。「取り締まり」ではポイ捨ては無くならないのだ。子供たちに掃除をやらせたかったら、やらせないのも一つの手だ。ダラダラしていたら一人だけで掃除をするのである。楽しそうに且つ必死にやるのだ。当然帰りの学活は遅くなる。だがそれを一週間も続けていると、子供達の方から「あたし達にもやらせて!」と言って来る。『やる気の無い奴はいらない。』「やる気あるから、やらせて!」という会話になるだろう。それから掃除のテクニックを教えるのだ。箒や雑巾の使い方を子供たちは知らない。そこまでいけば教室はあっという間にきれいになっていく。
*その時の掃除の心が、黒目川の川掃除を8年続けさせたのだと思うのです。やればやるほど黒目川が好きになっている自分がいます。黒目川の川掃除がいよいよ9年目に突入します。
絶対に打ってはいけない!子宮頸がんワクチン1343 
打つまでは健康そのものだった女子中高生達の苦痛の叫びが届かないようでは人間ではない!「精神的なものじゃないの?」「摂取により健康被害が生じたとは言えない」という医者や国は、「いじめがあったとは認められない」という、どこかの学校や教育委員会と同じで、被害者に寄り添う共感能力に欠けている。自民党の人相の悪い国会議員達と同じだ。副反応に悩む子達は運動もできなければ、学校にも通えないのだ。恋をして、悩むことも出来ないのだ。それは人生を奪われたのと同じ事。そういう悲劇を繰り返してはならない。戦争も原発事故も同じ。共謀罪や規制改革とやらで人生が台無しになるのは、いつも弱者なのである。国民を守るための「安全第一」という「規制」を壊してはならない!それが岩盤規制であることこそ、今の日本にとって必要なことである。

今日の写真1
「さあ、この魚はどっちかな?」「こっちかな?」「それともこっちかな?」「こっち!」「こっち」「名前で言ってごらん!」「アユ!」「オイカワ!」「さあ、どっちだ!」

今日の写真2
「この魚の名前はなんだろう」「アブラハヤだ!」「よく分かったね。どうして分かったの?」「体の表面がヌルヌルしているから!」「そうだね!この魚がいるということは綺麗な湧き水があるということなんだよ。湧き水のない川にはいないんだ。だから、自慢出来るんだよ!」へえ、そうなんだ・・・と頷くお父さん達。学校の先生達にも聞いて欲しかったなあ・・・そんなことを思いながら、佐藤先生の青空教室を見ていました。

今日の写真3
お魚教室の最後は勿論、復習。習ったことを直ぐに思い出すやり方は学校の教室でも、青空教室でも正解。子どもたちの魚に対する記憶と気持ちをしっかりと固めてくれた授業でした。本当に素敵な授業でした。
*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになれますように!

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