8月8日 (火)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第220弾! 2017年8月8日(火)たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第220弾! 2017年8月8日(火)たかやん

夏休み19日目
結婚式でピアノを弾きながら歌う彼女の声は澄んでいた。彼女の歌は僕の心を揺さぶった。次は僕の番。ギターを弾きながら歌うと・・・彼女は涙を流しながら聴いてくれた。彼女の涙を見て、僕は一瞬で恋に落ちた。世の中にこんなに純粋な心を持った人はいない。僕はそう思った。僕らの国際結婚を父さんは認めてくれるだろうか・・・母さんはきっと「いいわよ」と言ってくれそうな気がするが・・・母さんに相談すると、「お父さんもきっと許してくれるわよ。空の上から・・・」母さんはそう言った。「え?お父さん・・・生きてるだろ?」「何言ってるの?もうとっくに死んだわよ」「え?死んだ?・・何それ・・・・」(父さんが死んだなんて、夢だよね!夢であってくれ!!)そこで目が覚めた。その話は本当に夢で・・・父さんが死んだことは夢ではなかった。今朝の5時前のお話。
夏期講習10日目
「慰安婦」博物館  (東京新聞 8月8日朝刊 本音のコラムから・・)              
 韓国の釜山市に日本軍「慰安婦」の博物館があると聞いて、ピースボートのスタッフとともに訪問した。雑居ビル二階「民族と女性歴史観」がそれで、旅行会社を経営していた金文淑(キムムンスク90)館長が2004年に私財を投入して設立した。
 「植民地の女性が軍需品として戦地に送られていた。人間扱いされていなかった。その歴史を未来に伝えたい」。お歳よりはるかに若く見える。小柄な金さんが流暢な日本語で説明したので驚いていると「私たちの国語は日本語でした。ハングルはあとで勉強しました」。
 1991年8月14日金学順(キムハンスク)さんが、「慰安婦」だったと名乗り出て韓国社会を驚愕させた。歴史の記憶から抹殺されていた事実だった。(今月13日に文京区センターでメモリアル・デー集会がある)
 金文淑さんは釜山市で電話の告知を受ける運動を始めた。いま展示室を飾っている金学順さんなど、「元慰安婦」たちの表情は威厳に満ちて輝いている。
 尊厳を奪われ、恥辱に満ちた体験を隠してきた女性たちは、名乗り出ることによって人間としてのプライドを取り戻したのだ。
 金文淑さんらが日本政府の不作為を認めさせた「関釜裁判」一審勝訴から、来年で20年。しかし、政府は一昨年の「日韓合意」にもみられたように賠償の責任を認めていない。
                                   鎌田 慧
*従軍慰安婦の問題は日本の世論を二分している。ある人は旧帝国陸軍の恥部だと認め、「元慰安婦」達に心を寄せる。そして、一方では「そんなものは存在しなかった」あるいは「慰安婦などはどこの国にも存在していた。日本だけが悪いのではない。」と主張している。
確かに言えることは、戦争という状態の中で、言い様のない苦しみを受けた女性達が数多くいたということ。沖縄では洞窟に隠れた帝国陸軍の軍人が泣く赤ん坊を母親に殺させた、自分が逃げるのに邪魔だと民間人を轢き殺した、という記録が残っている。沖縄の人達は米国兵にも日本兵からも殺された過去を持つのだ。そして、今もまた米軍の基地を押しつけられ、オスプレイの危険に晒されながら暮らしている。72年前の夏・・・日本本土や韓国や沖縄で君たちと同じくらいの少年少女がどんな思いで生きていたか・・・想像することは決して悪いことではない。

教師を目指す人へのメッセージ
第十四歩 「道徳の授業」
僕は道徳の授業が好きだった。宗教、哲学、心理学の本を読みまくり、感動したことを子供達に話すのが好きだった。職員室の片隅にある「道徳の本」を使って授業をしたことは一度もない。やはり自分で消化したものでないと、人に伝えるのは難しいものなのだ。
教員になったばかりの頃は、「道徳」の時間を持て余していた。何をしたらいいか分からず、「席替え」の時間に使ったり、「体育祭」や「合唱コンクール」の練習に使ったり…。だから子供達も道徳の時間は息抜きの時間くらいにしか考えていなかったと思う。

道徳というのは「人の生き方」を教える時間だと思っている。人生は楽しいだけではない。苦しい時もたくさんある。その苦しい時にどう考えて生きていけばいいのか…その答えが道徳の中にあると思う。僕は学校の道徳の教科書は使ったことがないが、自分だけの道徳の教科書はたくさん使った。ある時は父の詩集「三本の矢に」がそうだったし、ある時は星野富広の「絵と詩」がそうだった。自分の心が動かない教科書で子どもを教育することなど不可能なのだ。自分が感動して、涙が出たものが本物の教科書なのだと思う。

涙と言えば、授業で子供達が泣いた時、僕は物凄いショックを覚えた。勿論理科の授業ではない。国語の授業を受け持った時の話だ。僕の副担任の国語の先生が切迫流産で数週間学校を休んだことがあった。その時に代わりに「国語」の授業をやったのだ。丁度「詩」の授業だった。僕は父の詩集を教材にした。そして僕自身の書いた詩も…。その授業で子供達が泣いたのだ。授業で子供達が泣く…僕には想像できないことだった。理科の実験で子供達がどんなに感動しても、涙を流す子はいない。それが国語の授業ではたくさんいたのだ。

もう一つの涙は「歌」である。僕はギターを弾くのが好きで子供達の前でよく歌を歌った。子供達も一緒に歌った。毎日のように歌った。その歌をクラス解散の時に歌うのである。卒業式の時もあれば、終業式の時もある。何度も歌った歌であればあるほど、子供達は涙を流す。歌で記憶が蘇るのだ。勿論、結婚式でもそうだ。中学を卒業してから10年以上過ぎていても、心がその歌を覚えているのだ。それに比べて理科の授業を覚えている子の少ないこと。僕の授業は「詩」や「歌」に完全に負けていたのだ。

そして最後の涙は「言葉」だ。言葉の力を侮ってはいけない。良い言葉は子供達に力をつけるが、悪い言葉は子供達から自信と可能性を奪っていく。子供達は大人の言葉で自信を深め、大人の言葉で傷ついていく。プロの教師は自分の言葉に責任を持たなくてはいけない。ヤクザのような言葉を使う体育の教師をたくさん見てきたが、学校にはヤクザはいらない。子どもの可能性を奪い、傷つけるだけなら教師をしている意味がない。言葉の力は強い。良い意味でも悪い意味でも強い。プロの教師はそのことを肝に銘じていなければいけない。貴方の言葉で人一人の人生が決まってしまうことがあるのだから…。
本を読もう。子供たちに「良い言葉」という栄養を与えるために本を読もう。そして自分自身も元気になろう。「良い言葉」は大人でさえ元気にする力を持っている。どんどん本を読んで、その言葉を探そう。「本を読みなさい!」と言っても子供たちは本を読むようにはならない。本を読む楽しさを教えれば、子供たちは本を読み始めるのだ。

くたくた
夏期講習に小学生の塾に中学生の塾。流石に疲れた。でも、あっという間の8時間だったなあ・・今日は全く走れなかったけど幸せ、幸せ・・・
絶対に打ってはいけない!子宮頸がんワクチン1344 
打つまでは健康そのものだった女子中高生達の苦痛の叫びが届かないようでは人間ではない!「精神的なものじゃないの?」「摂取により健康被害が生じたとは言えない」という医者や国は、「いじめがあったとは認められない」という、どこかの学校や教育委員会と同じで、被害者に寄り添う共感能力に欠けている。自民党の人相の悪い国会議員達と同じだ。副反応に悩む子達は運動もできなければ、学校にも通えないのだ。恋をして、悩むことも出来ないのだ。それは人生を奪われたのと同じ事。そういう悲劇を繰り返してはならない。戦争も原発事故も同じ。共謀罪や規制改革とやらで人生が台無しになるのは、いつも弱者なのである。国民を守るための「安全第一」という「規制」を壊してはならない!それが岩盤規制であることこそ、今の日本にとって必要なことである。

今日の写真1
アブラハヤが多く採れるということは・・・黒目川に湧き水があって、綺麗な川だということですよねえ。

今日の写真2
手前の鮮やかな色の魚がオイカワです。そして、向こう側を泳ぐのが鮎。どちらも綺麗ですね。いい顔をしています。

今日の写真3
ボートやカヌーに乗った後、「スイカ割りの前に一度集合!」というかけ声に集合した子どもたちです。「来年のパンフレットの表紙の写真だからね!」「イエーイ!」川の中の子どもたちの笑顔を見ていると、本当に幸せな気持ちになるのです。
*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになれますように!

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