9月8日 (金)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第251弾! 2017年9月8日(金)たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第251弾! 2017年9月8日(金)たかやん

川掃除のお知らせ
9月の川掃除は今度の日曜日、10日に行います。9時に栗原1丁目公園に集合です。途中からの参加、途中までの参加も大歓迎です。夕方5時から石神集会所で反省会があります。反省会だけの参加も大歓迎です。持ち物は、「黒目川を綺麗にしたいという心」だけです。ゴミ袋、トング、軍手はこちらで用意します。連絡先 090-6497-5737 たかやん
多くの方の参加をお待ちしています。

駅立ちのお知らせ
本日8日。保谷駅北口での駅立ち、無事終わりました。残るは来週11日(月)ひばりヶ丘北口と12日(火)の清瀬駅南口だけになりました。

赤ちゃん2
我が家に待望の赤ちゃんがやってきた。もう無理かなあと諦めていたのだが・・・出来る時は出来るものなんだねえ・・。僕らの赤ちゃんは僕らのベッドの直ぐ脇の水槽で元気に泳いでいる。その数50匹以上・・・そう、メダカの赤ちゃんである。

し・あ・わ・せ
今朝も4時半起きで、シャワーを浴びてから保谷駅北口へ。5時50分、駅立ちが始まった・・・ホワイトボードを使っての駅立ちはここでは初めて・・・・結構、多くの人がチラっと見てくれたかも・・・今日も終わりは8時半。風が気持ちいいし、沢山の笑顔と会えたので、実に幸せな2時間半だった。

朝ご飯
我が家に戻って、ダッシュで朝ご飯を食べて市役所へ。朝ご飯を食べられたので、パワー全開である。

委員会3日目
全ての議案に対する説明と質問が終わり、いよいよ結論。大きいところでは「28年度一般会計決算」に対して認可せず、「28年度国保特会決算」に対して認可せず、「28年度介護特会決算」に対しては認可すべき、「28年度後期高齢者特会決算」に対しては認可せず・・・とう態度を取ったのだった。

陳情2件
その後、多くの傍聴人の前で陳情2件が審査された。僕は2件とも「採択」という立場だったのだが・・・最初の陳情は「継続」に決定。傍聴席から失望のどよめきが・・・。しかし、2件目の陳情はいきなりの「不採択」に傍聴席から声は出なかった。

意見書
その後、決算に対する委員会としての意見書を厚生委員の全員で考えた。僕の意見も入れて貰って・・・副委員長の僕がそれを読み上げて、3日間の厚生常任委員会は終わったのだった。


夜は中二・中三の塾。質問が沢山来て・・・幸せ、幸せ。子どもたちが「分からないこと」を僕に質問して、「分かった!」という顔をした時が一番幸せである。ああ、僕はこの顔を見るために生きているんだ・・・そんな気持ちになるのである。

自分の捧げた愛を受け取る人は (島 至)
自分の捧げた愛を一番受け取るのは
相手よりも自分自身である
だから自分にしてもらいたいことを
相手にしてあげるのである
それが自分にしたことになるからである

他人に対して優しくしたときは
その優しさを自分が一番受け取るのである
だから自分が癒やされ
そして優しい人になっていく

*この詩は僕の親友、島至(しま いたる)の詩です。駅立ちをしていると、嘗て愛した子どもたちと再会できます。その時、僕はこの詩のような「愛」を感じるのです。教え子達と笑顔でハイタッチやハグをして「おはよう」「行ってらっしゃい!」が言える僕は本当に幸せです。

子宮頸がんワクチン1374
28年度、新座市で子宮頸がんワクチンを打った女の子は3人。
痛みのある人生を生きるのは辛い。打つまでは健康そのものだった女子中高生達の苦痛の叫びが届かないようでは人間ではない!「精神的なものじゃないの?」「摂取により健康被害が生じたとは言えない」という医者や国は、「いじめがあったとは認められない」という、どこかの学校や教育委員会と同じで、被害者に寄り添う共感能力に欠けている。自民党の人相の悪い国会議員達と同じだ。副反応に悩む子達は運動もできなければ、学校にも通えないのだ。恋をして、悩むことも出来ないのだ。それは人生を奪われたのと同じ事。そういう悲劇を繰り返してはならない。戦争も原発事故も同じ。共謀罪や規制改革とやらで人生が台無しになるのは、いつも弱者なのである。グローバリスト達から国民を守るための「安全第一」という「規制」を壊してはならない!それが岩盤規制であることが今の日本には必要なことなのだ。子どもたちを守る規制がしっかりしていれば、この悲劇は起こらなかったのだから・・。

今日の写真1
石神井の同級生です。「たかむら おはよう!」と名前を呼び捨てにしてくれる仲間は大切です。「たかやん!」も嬉しいけれど「たかむら」「おまえ」と呼んでくれる人は少ないですから・・・。3年生の時に男子クラスで苦楽?を共にした彼は都立日比谷の先生をしています。

今日の写真2
久しぶりに一早とのツーショットです。五中の「男子テニス部」を「硬式テニス部」にしてしまった世代です。僕にテニスを習ってしまった子達はこの一早たちを恨まなければならないし、僕にテニスを習ってテニスの楽しさを知った子達はこの一早たちに感謝しなければなりません。五中の硬式テニス部は子どもたちがつくり、学校が壊しました。六中の硬式テニス部は僕がつくり、壊されそうになった時期もありましたが、今も続いています。二中の硬式テニス部は作ることさえできませんでした。

今日の写真3
五中男子テニス部の純一です。五中の4期生までは純一のように軟式テニスだったのです。僕は実にちゃらんぽらんな顧問で、県大会までは行っても、その先に行きたいという情熱はゼロでした。そんな時代の僕に出会ったのに・・・こういう関係でいられるのだから幸せです。

*この日記を読んだ人が今日一日、幸せな気持ちになりますように・・・

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