1月4日 (木)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第4弾! 2018年1月4日(木)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第4弾! 2018年1月4日(木)   たかやん

川掃除のお知らせ
2018年最初の川掃除は1月7日(日)に決まりました。9時に栗原1丁目公園に集合です。トング、軍手、ゴミ袋はこちらで用意します。持ち物は「黒目川を綺麗にしたい」という心だけです。途中からの参加も、途中までの参加も大歓迎です。夕方5時から石神集会所で反省会があります。反省会だけの参加も歓迎します。090-6497-5737 たかやんまで。

仕事始め
今日は仕事始め。最後の年賀状(であって欲しい)を書いて、午後からの冬期講習に備える。そして、13時から冬期講習がはじまって・・・慶応だの開成だの灘だのの難問を解いて・・・英語の基礎トレーニングをやって、歴史の勉強法を伝授して・・・あっという間の4時間が終わってしまった。

乱入
笑ったのは、残り30分というところで、「ピンポーン」とチャイムが鳴って・・・見ると、小学生達が騒いでいる。「裏から入っておいで」というと、裸足の5年女子トリオが「たかやん!助けて!」と叫んでいる。「何やってるの?」「足が汚れちゃって・・・」「あのう・・・本当に汚いから・・・」「あのねえ・・・まだ中学生勉強しているんだけど・・・」「たかやん、お願い!」「しょうがねえなあ・・・」彼女達は這ってお風呂場へ・・・シャワーで足を洗いながら、キャーキャー騒いで・・・「煩いんだよ!受験生がいるんだ!!」「はーい」と言いながら、直ぐに騒ぐ女子3人。それを見た中学生「小学生、元気過ぎる」「パワー全開だね」と優しい。それを聞いた小学生女子3人、調子に乗ってスマホで自撮りを始める。気がつくと、靴下を穿いているから、「あれ?靴下汚れたんじゃなかったっけ?」というと、「うん、真っ黒!」「馬鹿チンが!何のために足を洗ったんだよ!」「ここも、ここも泥だらけじゃないか!!」「ホントだ・・・」もう親の顔が見たいというか・・・・途方に暮れたのであった。

突然
小学生達との塾がはじまって、暫くして・・・その電話は突然来た。「お母さんの血圧が急に下がって、救急隊が今病院を探している」という兄貴からの電話だった。直ぐに“尿管結石”を連想した。昨日の40度の発熱の時に教えてくれていたら、病院に連れて行ってたのに・・・そう思った。小学生と一緒に勉強しながら、母さんの無事を祈った。

救急隊
そして、救急隊からの電話が来た。小学生達の塾を5分早く終わらせて、朝霞にいる兄を迎えに行った。そして富士見市の病院に向かっている途中で「急いで下さい。意識のレベルが低く、危険な状態です」という連絡がはいった。僕らは焦った。走って病院に入った。ところが病院の受付では書類に色々書いてくれという。こっちは1秒でも早く行かなきゃと思っているのに・・・・その男性の説明も信じられないくらい・・・

延命措置
先生は「声を掛けても聞こえません。反応するかも知れませんが、それは意識があっての反応ではありません」「危険な状態です」「延命治療は・・・93歳と高齢なので、心臓マッサージとかすると骨が折れるんですよね」「延命治療は結構です。母がそう望んでましたから。」と、僕はとっさに答えていた。母さんの写真には明らかに石が写っていた。やはり尿管結石だったか・・・医者は「炎症の原因を突き止めて、治療はしますが厳しい状況です。重篤な状態です。血圧を上げる薬は投与しますが、それ以外はやりません」という。

お母さん
医者は聞こえないと言ったのだが・・・そのまま逝かせる訳にはいかない。「お母さん!」と声を掛けてみた。すると、反応したのだ。目を開けて、僕の顔を見たのだ。「お母さん!分かる?」と聞くと頷く母さん。兄貴も必死に母さんの手を握る。「お母さん!頑張るんだよ!」頷く母さん。「では検査しますので、外で待っていてください」僕らは処置室を出て、廊下の椅子に座った。

電話
それからが長かった。千葉の長男に電話をするが、何度しても繋がらない。家に電話しても誰も出ない。亮に電話すると、泣き声になっていた。雪も亮もおばあちゃん子だったから・・・特に亮は一緒に住んだ時間が長かったから、亮の気持ちが痛いほど伝わってきた。


それからICUに移されるまで、僕はその時の気持ちをfacebookに書き込んだ。母を失うかも知れない・・・その恐怖と一人で戦う自信が無かったのかも知れない。母さんにみんなの「元気玉」を送って欲しい・・・そう思ったのかも知れない。母さんは一人で頑張っていたのに・・・お母さん!という言葉を口にする度に涙が止まらなくなる自分が情けなく思えてしかたなかった。

ありがとう!
僕はどうしても母さんに「ありがとう!」って言いたかった。「今までありがとう!」「僕を産んでくれてありがとう」「僕の母さんでいてくれてありがとう!」どうしてもそれを伝えたかった。それが出来ずに母さんが逝ってしまうことが怖かった。

元気玉
facebookで沢山の人から「元気玉」が送られてきた。本当に有り難い「元気玉」だった。ICUに入って暫くして・・・僕らは面会を許された。看護婦さんから入院手続きの説明を受けた。(え?それって、取りあえず大丈夫ってこと?)予断は許さないが、完全看護なので付き添いはできないということらしかった。そして、母さんに「お母さん!」と声を掛けると・・・どうやら、分かったみたいだった。
「頑張るんだよ」「明日また来るからね」僕は何度も何度も母さんの手を握って・・・ICUを出たのだった。

兄貴
行きも帰りも兄貴と一緒でよかった。一人だったら事故っていたかも知れない。それくらい、動揺していた自分がいた。63年間、僕の兄貴でいてくれた訳で・・・小さいお兄ちゃんは本当に頼りになる。そう思った。

0時過ぎ
家に戻って気がつくと0時過ぎ。夕飯を食べてなかったので、とてつもなくお腹が減った気がした。凄く疲れて、眠れる気もしなかったので、芋焼酎を飲んで疲れをごまかす作戦でいった。そして、今これを書いている。明日の朝、兄と二人で入院手続きに行く予定である。少しでも眠らないと・・・

子宮頸がんワクチン2103
空はワクチン接種をしなかったが、インフルエンザにかかった。しかし自力で治したのでなんてことはなかった。ワクチン接種による罹患や重症化は本当に後悔するだろう。我が家は今年もワクチン接種を断固拒否する。
「子宮頸がんワクチンは唯一がんを予防できるワクチンです」そういう人が未だにいる。確かに製薬会社はそう言って売り込んだ。所謂ロビー活動である。しかし、ワクチンの効用書にはそうは書いてないし、それを証明した人は誰もいない。検診で十分に防げる癌とも言われているのだ。一方でワクチンの副反応の被害は甚大である。痛みのある人生を生きるのは辛い。打つまでは健康そのものだった女子中高生達の苦痛の叫びが届かないようでは人間ではない!「精神的なものじゃないの?」「摂取により健康被害が生じたとは言えない」という医者や国は、「いじめがあったとは認められない」という、どこかの学校や教育委員会と同じで、被害者に寄り添う共感能力に欠けている。自民党の人相の悪い国会議員達と同じだ。副反応に悩む子達は運動もできなければ、学校にも通えないのだ。恋をして、悩むことも出来ないのだ。それは人生を奪われたのと同じ事。そういう悲劇を繰り返していつも弱者なのである。グローバリスト達から国民を守るための「安全第一」という「規制」を壊してはならない!岩盤規制が今の日本には必要なのだ。子どもたちを守る規制がしっかりしていれば、この悲劇は起こらなかったのだから・・。

今日の写真1.
ついこの間まで、こうやって黒目川の散歩をしていた母さんです。桜の花が咲く季節が大好きでした。

今日の写真2.3
僕が小さい頃の母さんです。僕は母さんの笑顔が大好きでした。小学校の頃、足立区の小学生で走るのが一番速かったそうです。そして、成績も学年で1番。家が貧しくて女学校には行けなくて・・・箱屋に丁稚奉公に行った母さん。僕達兄弟は母さんみたいに勉強は出来なかったけど、3人とも大学に行かせてもらいました。本当に感謝、感謝です。明日、お母さんに「ありがとう!」って言うからね。絶対に生きるんだよ、母さん。

*この日記を読んだ人が今日一日、幸せな気持ちになりますように・・・おやすみなさい!

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