2月2日 (金)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第33弾! 2018年2月2日(金)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第33弾! 2018年2月2日(金)   たかやん

駅立ちのお知らせ
本日2月2日(金)清瀬駅南口での5時55分〜8時半の駅立ちは雪の為、来週に延期します。多分ですが・・2月4日(火)5時55分〜8時半になると思います。

川掃除のお知らせ
来月の川掃除は18日(日)の予定です。栗原1丁目公園に9時集合です。持ち物は「黒目川を綺麗にしたいという心」だけです。軍手・トング・ゴミ袋はこちらで用意します。途中からの参加も途中までの参加もOKです。夕方6時から石神集会所で反省会があります。多くの方の参加をお待ちしています。連絡先 090-6497-5737  たかやん

指導死
12月議会で「指導死」を敢えて取り上げたのは・・・やはり空が中二であることと関係があると思う。陵平も空と同じように、真面目な中学二年生だったのだ。そういう真面目な子程、「指導死」に近いということを僕は知っている。陵平と兄の走太は同じ両親に育てられたが、全く同じ指導を受けても、絶対に死ぬことはなかっただろう。走太には怒られるかも知れないが、走太は俺と同じで、教師が間違っていると思えば、反抗するような子だったのである。その点、陵平は真面目だったのだ。青森のひさゆきもそうだ。
全国で多くの子ども達が教師の「指導」で命を落としていることを、多くの教師達は未だに意識出来ないでいる。今まで誰も死んでいないから・・・。今までのやり方で何も問題がなかったから・・・陵平が特別だったから・・と。そんなことで・・・その思い込みがダメなのだ。学年全体の教師集団に信じて貰えなかった子どもたちの心は教師が思った以上にズタズタになるのである。
僕自身も21年間担任をしてきたが、今までと同じ子など誰一人としていなかった。全ての子が初めてのタイプの子だということに気がつくのに、それほどの時間はかからなかった。教師は経験を積みながら、自信を深めていく職業だが、子ども達は常に一人の教師幅からはみ出るものだし、そうでなければならない。大切なのは、そういう子どもと向き合ったときに、その子には勿論、どの子にも寄り添うという気持ちで接することなのだ。それさえあれば、子ども達も教師も笑顔で生きていける。そのことを理解できない教師が「生徒指導担当」になると、その学年の子ども達は悲惨である。

アドヴァイス
さて、全国の若い先生達に僕の経験から1つアドヴァイスをしよう。小学校から入学してくる1年生の生徒指導を間違えると大変なことになるということだ。4月から1年生を大声で怒鳴る馬鹿教師集団になってはいけない。「子どもの脳を傷つける教師集団」になってはいけないのだ。「最初が肝心」と言うのは本当だ。大切なことは最初から「心から可愛がる」ということである。中一というのは小学生が入学してくるようなものなのだ。
大声を出す必要など無いし、何をやっても笑っていればいいのだ。弱い者虐め意外は真剣に怒ることなど何もない。1年生から思い切り可愛がって育てた子達は3年生になっても、君たちを裏切ることはない。誰だって、好きな先生の言うことは聞くものだから。
大切なことは「分かる授業」「楽しい授業」をすることであり、「怖い授業」をすることではない。クソみたいな校則を作り、「内申」という言葉を最初から吐きまくるのは「最低レベルの教師集団」だということを知っておいて欲しい。「内申」で脅しながら生徒達を指導することなんぞ、現役の高校生にだってできることだ。プロのやることではないのだよ。
簡単なことを教えよう。君たちが中学生だったら、どんな先生に習いたいか考えてごらん。今の君たちに習いたいと思えば、正解。絶対に習いたくないと思ったら、今君たちがやっていることを変えなくてはいけないんだよ。一番大切なのは「授業」。子ども達が黙っていても勉強したくなるような「授業」と「評価」をすれば、学力だって自然に上がっていくのだよ。教師は「授業をする職人」なんだ。先輩の教師から技術を盗み、自分の授業の技量を常に高めていく・・・その背中を見て育つ子ども達は幸せである。
「内申」は思い切り、可能な限り「いい内申」にすればいいのだ。絶対評価の時代に子ども達の足を引っ張るような真似だけはしてはいけないよ。

生徒指導
本当の生徒指導を理解できない教師が生徒指導をやると、「厳しさ」だけが当たり前の指導になっていく。その「厳しさ」に意味があるのならまだいいのだが、「理不尽」な厳しさになってしまうことが多い。そうやって、全国でブラック校則が生まれ、子ども達を死に追いやるような生徒指導が繰り返されてきたのである。下らない校則を作り、警察のように取り締まる・・・そんな北朝鮮のような「生徒指導」が今の日本に存在すること自体が異常である。子ども達に寄り添う「生徒指導」が出来ない教師は、教師になってはいけないし、なったとしても、生徒指導担当にだけは絶対になってはいけないのである。生徒を「信頼」し、生徒から「信頼」される教師が生徒指導担当にならない学校・学年はアウトである。力を見せつけたり、言葉で児童・生徒の心を踏みにじるような教師は、生徒指導から外れて、滝に打たれるか、駅立ちでもやって、修行してみるといい。「先生」と呼ばれていい気になっている自分の間抜けさに気がつくまで・・滝に打たれることだ。

先生
実は僕も「先生」と呼ばれていい気になった時代があった。最初に五中で3年生の担任をして、何とか卒業させて・・・・1年生と出会った24歳〜26歳の3年間を「先生」「先生」と親からも呼ばれ、いい気になってしまったのだろう。若い教師が年配の方からも「先生」と呼ばれる・・・そりゃあ、悪い気はしなくなる訳で・・・・子ども達に教科を教えるだけの若造が、「人生の師」にでもなったかのような錯覚に陥るのである。学校という狭い社会で、教師は絶大な力を持つ。僕は子ども達からは「たかやん」と呼ばれることの方が圧倒的に多かったのだが、それでも「先生」と呼ばれるとその気になってしまう自分がいた。そのことに気づいたからよかったものの、気づかないでいたら・・・とんでもない馬鹿になっていたと思う。そう気づかない教師達も多いのである。そういう人達は学校だけにいるのではない。その典型的な例が国会議員や県会議員、そして市議会議員で「先生」と呼ばれたがる人達である。どこかの市議会議員で職員が「先生」「議員」と呼ばなかったことに腹を立てて騒いだ馬鹿がいたが、僕は「高邑議員」と呼ばれることが嫌いである。「高邑さん」とか「たかやん」で呼ばれた方がいい。僕のことを「先生」と呼べるのは、僕から何かを習った「弟子」達だけである。

先生2
この年になっても、僕が尊敬している先輩達から「先生は」と言われると、一瞬勘違いしそうになる。その先輩達の子どもの「先生」だったかも知れないが、僕はその先輩達には何も教えてなどないのだ。子どもの先生を「先生」と呼ぶのは親にとっては仕方がないことなのだと思う。

先生3
63歳になった僕にも「先生」と呼びたくなる若者達がいる。その一人は「長久保大樹」先生である。僕の五中、六中時代のテニス部の教え子達の後輩であり、僕の五中時代の後輩の教え子でもある20代の若者なのだが・・・彼のテニスの技術と生徒を見る目は本物であり、僕にとって立派な「先生」なのである。五中陸上部の顧問の二人も大樹先生と同じように「先生」と呼びたい若者達である。多くの生徒を抱えながら、その一人一人の体調や精神面にまで気がいく目は本当に凄いと思う。空にとって、同時に二人の「本物」と出会えたことは人生の「奇跡」のようなものだ。日本一になった子にも、怪我をして走れない子にも心を寄せられる顧問は日本中を探しても、何人もいないと思う。少なくとも、若い頃の僕は彼らのような「目」を持つことができなかった。そういう意味では僕は「教師失格」だった。ただ、僕が出来たことは、辛いトレーニングを一緒にやったことだけ。何があってもそれだけはやり通すことができたと思う。

父やん
教え子達の中には僕のことを「父やん」と呼ぶ子達がいる。嘗て我が家で一緒に生活をしていた子達である。のり、賢一、おたんこ、あき・・・僕と寝食を共にし、一緒に風呂に入り、僕のパンツを知らないうちに履いて・・・雪や亮の面倒を見てくれた子達だけが僕のことを「父やん」と呼ぶのである。ちょっと照れくさいが・・・悪い気はしない。立派な息子達がたくさんいてくれるのだから・・・。

注射
左肩が痛くて上に上がらないので、野火止の整形外科に行って注射を打って貰った。それで治るといいのだが・・・今の時点では「痛み」は少し増している訳で・・・いてててて。


久しぶりに母の部屋に入った。僕らを見て母さんはちょっと驚いた顔をしてから、嬉しそうに笑った。「よかったね!」「うん」「どこも痛いところない?」「うん」「何が欲しい?」「蜜柑」「わかった」母さんと少し話をして、青汁を飲ませて、写真を撮って、母さんの髪を梳かして、母さんと握手をして、母さんにさよならしてきたのだった。


夜は塾。2年生の図形と超難関校の数学の図形問題に燃えた。立体図形の平面図を頭の中で組み立てる能力が遅いことが分かった。糞ったれ!脳みそを良くするぞ!!

打ってはいけない!2132
インフルエンザはB型が流行しているようだが、多くの人が接種したワクチンは何型だったのだろうか。少し考えれば分かる話だが、ワクチンは無駄である。我が家は今年もワクチンの接種はしない。もしかしたら、ワクチン接種こそが、インフルエンザの大流行に繋がっているかも知れないから・・・。第一次世界大戦時のスペイン風邪の大流行は軍隊へのワクチン強制接種が原因だったのだ・・・・。

「子宮頸がんワクチンは唯一がんを予防できるワクチンです」そういう人が未だにいる。確かに製薬会社はそう言って売り込んだ。所謂ロビー活動である。しかし、ワクチンの効用書にはそうは書いてないし、それを証明した人は誰もいない。検診で十分に防げる癌とも言われているのだ。一方でワクチンの副反応の被害は甚大である。痛みのある人生を生きるのは辛い。打つまでは健康そのものだった女子中高生達の苦痛の叫びが届かないようでは人間ではない!「精神的なものじゃないの?」「摂取により健康被害が生じたとは言えない」という医者や国は、「いじめがあったとは認められない」という、どこかの学校や教育委員会と同じで、被害者に寄り添う共感能力に欠けている。自民党の人相の悪い国会議員達と同じだ。副反応に悩む子達は運動もできなければ、学校にも通えないのだ。恋をして、悩むことも出来ないのだ。それは人生を奪われたのと同じ事。そういう悲劇を繰り返していつも弱者なのである。グローバリスト達から国民を守るための「安全第一」という「規制」を壊してはならない!岩盤規制が今の日本には必要なのだ。子どもたちを守る規制がしっかりしていれば、この悲劇は起こらなかったのだから・・。

今日の写真1.2
お母さんと話が出来て、お母さんの髪を梳かす・・・当たり前に出来ていたことがどれだけ幸せなことだったのか・・・それを教えて貰ったこの1ヶ月でした。生きているから、思いを伝えられのです。生きているから喧嘩も出来るし、生きているから抱きしめられる・・・生きているって当たり前のことじゃあないんですね。全ての命に感謝しながら生きていきたいと思う今日この頃です。

今日の写真3
この展開図から出来る立体の体積を求めるのですが・・・制限時間8分では解くことが出来ず、惨敗!それでも2つの解き方があることを発見して・・・少し利口になりました。数学の問題も経験が大切なので、頑張らないと・・・。

*この日記を読んだ人が今日一日、幸せな気持ちになりますように・・・おやすみなさい!

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