3月2日 (金)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第61弾! 2018年3月2日(金)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第61弾! 2018年3月2日(金)   たかやん

川掃除のお知らせ
来月の黒目川の川掃除は3月25日(日)の予定です。栗原1丁目公園に9時集合です。途中までの参加も途中からの参加も大歓迎です。持ち物は、“黒目川を夕方、5時から石神集会所で反省会があります。持ち物は黒目川を綺麗にして、”綺麗な黒目川を子ども達に残したい”という心だけです。多くの方の参加をお待ちしています。
連絡先 090-6497-5737 たかやん

5時
空は今朝も早起き。どうやら英語の課題をやっていたらしい。そう言えば、昨夜も英語の教科書を見ながら何やらノートに書いていた。空の英語は1年生から筆記体。小学生の頃から、自然に筆記体で書くようになった。僕は中学1年からずっと筆記体だったのを、英語を教えるようになって、ブロック体に直した。筆記体だと子どもたちが読めないから・・・そして、現役の英語教師の中にも筆記体が読めない(書けない)という事実を知ってしまったから・・・それでも、子どもたちの中には空のように筆記体を書きたい・・・そういう子は必ずいる訳で・・・書きたければ書けばいいのである。

朝勉15
僕は6時半から朝勉。数学の朝勉は頭を柔らかくするのに最適である。特にいくつものキーを同時に必要とする問題が楽しい。

朝風呂
湯船の中で今日も世界一周のトレーニング。そして、英語の教科書の暗唱をしてから、頭と体を一緒に洗って・・・髭を剃って、朝ごはんを食べたのだった。

8時10分過ぎ
家を出る。久しぶりの歩きである。「スーパー豊田」のお母さんに挨拶をして、石神の坂を登る。それから、遅刻しそうな六中生に声を掛けて・・・六中の校庭をつっきり、ホームレス時代に小学生の亮と二人で生活した懐かしい池の前を通って、新座中の裏(水道道路)から新庁舎に向かったのだった。途中で亀田さんに声を掛けられたり、教え子の雄太にばったり会ったり・・・面白い偶然があって、楽しかった。雄太は「たかやん塾の卒業生」でもう直ぐ大学3年生らしい。時の流れを感じる。

9時半
第一委員会室で建設常任委員会が始まった。久しぶりの顔ぶれの中で懐かしい感じがした。第一委員会室は僕らの控室から直ぐ近くなので、とっても楽でいい感じである。委員会の最初は自己紹介。小野委員長、鈴木秀一副委員長、石島議員、と来たところで『若い順じゃん!』と僕。勿論、その次は僕で、次が森田議員、そして最後が伊藤議員の6人が年齢順に自己紹介したのだった。次は執行部側も自己紹介。その場にいた方たちの全員の名前を覚えたぞ!

市内視察
1水道道路拡幅用地
2新堀1丁目緑地公園
3石神幹線吐口改修工事現場
4保谷秋津線
5セントラルキッズパーク
6平林寺第五幹線工事現場
ここで昼食休憩が入った。僕は陽子(石島議員・・・五中の1期生、3年4組の生徒。僕は担任)と一緒にうどんを食べながら、いろいろ話をしたのだった。
7大和田二・三丁目土地区画整理事業工事現場
8新座駅北口土地区画整理事業工事現場
9柳瀬川ふれあい橋耐震補強・修繕付帯工事現場
10志木駅南口駅前広場等整備工事現場
午後は4か所まわって・・・市内視察が終わったのだった。

鼻血
委員会が始まる前、急に鼻血がドバっと出て困った。そう言えば、最近鼻血がよくでるのである。俺は高校生か?

15時10分
建設常任委員会再開。部長報告が始まった。その部長報告に対して、みんながいくつか質問をして・・・今日の委員会は終わったのだった。

帰り道
行きと同じように、帰りも歩いて帰ってみた。途中で六中に入ると、サッカー部の子どもたちが笑顔で「こんちは!」と挨拶してくれた。何度も、何人も笑顔で挨拶してくれたので僕も『こんちは!』を何度も繰り返したのだった。

テニスコート
懐かしいテニスコートを眺めていると、「たかやん!」と走ってきた子が二人。嘗ての教え子たちの娘たちがもう中二になっていたのだ。「教えてください!」『俺が教えたら、先生が困るだろう・・・』「教えてくださーい!」『うーむ。コートを見てごらん・・・何人の子が動いてる?』「少ない・・・」『昔の六中の練習は全員が動く・・・そんな練習だったんだよ。』「そっか・・・」『例えば・・・』「やってみます!」女の子たちはコートで動き始めた。そして、笑顔が増えていった。次は男の子たちにも練習のヒントを・・・と思ったところで、集合がかかり・・・男子との練習はお預けになった。もう教える機会はないかも知れないが・・・

凄い!
その後、サッカー部にいる教え子の息子を見つけ・・・『お父さんの名前、浩一?』「はい、何で知ってるんですか?」『お父さんの担任で顧問だったんだ。』「凄い!」彼は浩一によく似ていた。何だか、孫に会ったような気持ちになったのだった。

たかやん!
石神の住宅街を歩いていると、「たかやん!」と呼ばれた。振り返ると、塾に通っている5年生の女の子が友達と家を出てきたところだった。石神小の5年生はみんないい顔していた。彼女たちもあと1年もすると六中へ行き、僕が愛した六中の校歌を歌うのだろう。

たかやん!2
そのあと、我が家のすぐそばで建設中の保育園を通りかかった時、また「たかやん!」と呼ばれた。見ると、緑ジャージのテニス部だった龍太郎が笑顔で立っていた。『何やってんの?』「いやあ、間に合わないから手伝ってって頼まれて、床張ってるんですよ」彼は保育園の床を張ってくれていたのだ。午前中の厚生委員会の視察の時もいたらしく・・・もしかしたら、僕がいるかも知れないと探したらしい。そう思ってくれるだけで嬉しいのである。


夜は塾。『ねえ、東京の中学も朝読書の時間ってあるの?』「うん、あるけど・・・喋ってる!」『先生は?』「いるけど、喋ってる」『それが中学生だよなあ・・・』「そうなの?」『そのバッグで学校に行ってるの?』「このバッグじゃないけど、指定のバッグはないよ」『そうだよなあ・・・普通そうだよなあ・・自分の体に合ったバッグで行くよなあ・・・』

先生
最近、思うこと・・・先生ってなんだろう。どういう人のことを「先生」って言うんだろう・・・僕が思う、先生は・・・子どもたちを動かす人なのかも知れない。子どもたちの「心」を動かし、子どもたちの「体」を動かす・・・その先生と一緒にいると、自然に「心」も「体」も動いてしまう・・・そんな先生と一緒にいる子どもたちは「笑顔」になっていく。「本気」の顔になっていく。そんな子どもたちは幸せである。
裏を返すと、名前は「先生」でも子どもたちの「心」や「体」を動かせない先生は本物の「先生」ではないことになる訳で・・・
僕の人生にも本物の先生がいた。先生と一緒にいると、もの凄く勉強をしたくなり、本気で動きたくなる・・・辛いことも辛く感じなくなってしまう・・・頑張りたくなってしまう・・・そんな先生に憧れて、そんな先生に僕はなりたくて、21歳の冬、教職を目指し始めたのだ。

打ってはいけない!2162
「子宮頸がんワクチンは唯一がんを予防できるワクチンです」そういう人が未だにいる。確かに製薬会社はそう言って売り込んだ。所謂ロビー活動である。しかし、ワクチンの効用書にはそうは書いてないし、それを証明した人は誰もいない。検診で十分に防げる癌とも言われているのだ。一方でワクチンの副反応の被害は甚大である。痛みのある人生を生きるのは辛い。打つまでは健康そのものだった女子中高生達の苦痛の叫びが届かないようでは人間ではない!「精神的なものじゃないの?」「摂取により健康被害が生じたとは言えない」という医者や国は、「いじめがあったとは認められない」という、どこかの学校や教育委員会と同じで、被害者に寄り添う共感能力に欠けている。自民党の人相の悪い国会議員達と同じだ。副反応に悩む子達は運動もできなければ、学校にも通えないのだ。恋をして、悩むことも出来ないのだ。それは人生を奪われたのと同じ事。そういうひどい目にあうのは、いつの時代も弱者なのである。グローバリスト達から国民を守るための「安全第一」という「規制」を壊してはならない!岩盤規制が今の日本には必要なのだ。子どもたちを守る規制がしっかりしていれば、この悲劇は起こらなかったのだから・・。

今日の写真1
僕らが10年以上汗を流したテニスコートです。一緒ボールを一緒に追いかけた子どもたちの姿を思い出しました。ボールが何個も落ちていたのには驚きましたが・・・

今日の写真2
僕が愛した六中の校庭です。朝練の前のサッカー、体育の授業、体育祭、そして午後練の後の3キロ・・・どれだけの汗を流したのでしょう・・・いい校庭です。

今日の写真3
六中の正門前です。この池の前が僕と亮の家でした。ホームレスの先生なんて日本中探してもいなかったでしょうねえ・・・。しかも、小学生の息子と一緒にホームレス。亮はここから野寺小に数か月も歩いて通ったのです。そう言えば、野寺小からは何も言われませんでした。六中そのものが、我が家だったのです。

*この日記を読んだ、全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・・

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