3月25日 (日)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第84弾! 2018年3月25日(日)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第84弾! 2018年3月25日(日)   たかやん

川掃除のお知らせ
今月の黒目川の川掃除は本日3月25日(日)無事終了しました。来月4月は22日(日)の予定です。栗原1丁目公園に9時集合です。途中までの参加も途中からの参加も大歓迎です。雨で中止になっても5時から石神集会所で反省会があります。持ち物は黒目川を綺麗にして、”綺麗な黒目川を子ども達に残したい”という心だけです。多くの方の参加をお待ちしています。  連絡先 090-6497-5737 たかやん

朝勉38
今朝の朝勉は高校の数学。懐かしい正弦定理、余弦定理などをウォーミングアップでやったのだった。三角関数と複素数ベクトルが大の苦手だった高校時代を思い出した。授業を聞いてなかったからなあ・・・それでも、大の苦手を徹底的にやって三角関数と複素数ベクトルに関しては、どんな難関校の問題でも解けるようになった訳で・・・人間って面白いのよねえ・・・。苦手が得意に変わることもあるのだから・・・

一日練習
空は今日も陸上競技場で一日練習。昨日は走り高跳びに挑戦したのだそうだ。僕も走り高跳びは得意で、空ママも小学校の大会では市内で1位だったらしい。『俺は168位は跳んだよ』というと、「嘘だあ」というから、『高校時代だよ』「なーんだ」自分の身長くらいは跳びたい・・・そう思った記憶がある。

9時前
庭で用意をしていると、中一のりさが登場。リヤカーに荷物を積んで、リヤカーを引いてくれたのだった。

9時過ぎ
直也、文夫、りさ、直弘と僕の5人で川掃除がはじまった。りさは今回亡くなったI君と同じ学年で、学校から一緒に帰ることもあったらしい。「すっごい元気がいい子だった」「信じられない」とりさ。川掃除をしながら、I君の話をするりさ。友達の中では、SNSで追悼メッセージが飛び交っているらしい。途中で遅れてきた栄治が追いついて・・・今日のメンバーは6人。川の中に入ったのは文夫だけというシステムでの川掃除がスタートしたのだった。

理科の授業
川掃除の途中で僕はりさに「花の名前」を教えていた。五中・六中の子ども達に教えたように・・・『これがオオイヌノフグリ』『これがヒメオドリコソウ』『これがナズナで』『これがスズメの帷子』『これがホトケノザだよ』「ええ!ホトケノザとヒメオドリコソウの区別ができない!」『葉っぱの形を見てごらん。花の色は似てるけどね・・・。』黒目川には理科の授業でどれだけお世話になったことか・・・どれだけ勉強させてもらったことか・・・五中・六中時代のお礼も兼ねて、今日も掃除をさせてもらったのである。植物を観察することで、川掃除をすることで、りさの心の傷が癒えるてくれるといいのだが・・・

休憩
新宝大橋でみんなで休憩。水分を補給してから、栗原一丁目公園で大量のごみを下ろして・・・最後は直也とりさがリヤカーを引いて、分解して、洗ってくれたのだった。

テニス
今日も血糖値対策でテニス。練習をしていると、みっちゃんが声を掛けてくれて・・・半田さん・みっちゃんというチームと試合をすることができたのだった。半田さんは僕が「師匠」と呼ぶ人で、シングルスで一度も勝ったことがない先輩である。強いのに誰にも優しくて、いつも笑顔で・・・尊敬している人である。その先輩とみっちゃんのダブルスだから、苦戦すると思っていたのだが・・・今日は僕らのコンビネーションがよく・・・6−2で勝ったのだった。時間がなかったので、今日は勝ち逃げ・・・・ああ、楽しかった!!

砲丸
空は笑顔で帰ってきた。どうやら、砲丸投げでフォームを褒められたらしい。空を見て、褒めてくれる先生達。褒められて「やる気」になる子ども達。陸上競技場はそういう意味で「学校」である。子ども達を見る「目」がある先生達とその先生達に懸命についていこうと頑張る子ども達。「潤先生にこれ貰っちゃった!」日焼けした空の目は輝いていた。

反省会
17時からは反省会。初登場の淳一さんは僕と同じ29年生まれで同じ学年。3月25日が誕生日ということで、「今日、俺の誕生日だった!」と突然叫んで・・・みんなで笑った。本を何冊も出しているライターであり、海外での経験にあふれている淳一さんの話は面白く、同じ29年生まれでもこんなに違うんだ・・・そう思ったり、(ああ、そういう時代だったよねえ)と共感したり・・・兎に角、楽しい時間だった。
一方のテーブルでは「小学生の娘に好かれるにはどうしたらいいか」という身に覚えのある話題で盛り上がっていて・・・・そっちも大いに笑ったのだった。

学級通信(教師を目指す人へのメッセージ)旧ホームページから
名前を覚えるのと同時にするのは「学級通信」の準備だ。僕は『一生懸命』という学級通信を11年間、毎日発行した。毎日というのが味噌である。前半の10年間は毎日という訳にはいかなかった。年間100号も発行できればいいほうだったのだ。それが一度毎日書き続けたら止められなくなった。大事なのはこの止められないという感覚を子供達と一緒に体験することだ。11年間には色々なピンチがあった。
一番のピンチは毎日書き始めて1年目のクリスマスイブだった。25日は2学期の終業式。通知表を出さなくてはいけないという前夜に41度の熱を出したのだ。僕は通知表を全く書いてなかった。(通知表を1週間かけてコツコツ書くという能力は僕には欠けていたのだ。)苦しかった。悪寒が走り、うわごとで「母さん、助けて!」といったくらいだ。通知表を書く事は諦めていた。41度の熱なんだから、みんな許してくれるだろう。そんなふうに思っていた。ところがその苦しい状態で、学級通信を書いていないということに気づいたのだ。毎日書き続けてきたのに、これで終わりなのかと思ったら、なにくそという気持ちが湧いてきた。そう思っただけで熱が40度に下がった。それが夜中の12時頃。それから震える手で「一生懸命」を書き始めた。何度も中断しながら、3時頃やっと書き終わった。不思議なのは熱がまた下がったことだ。39度になっていた。普通39度は苦しいものだが、41度から下がった39度は楽なものだった。僕は通知表も書く気になり5時過ぎに通知表も完成した。熱は38度になっていた。今度は朝練にいきたくなってきた。6時、大力という子から電話があった。「熱が39度あるので朝練休みます。」という電話だった。僕はそこで大力にこう言った。『俺は41度あったけど、今からいくぞ。』テニスコートへ行くと大力も来ていた。(笑)
「継続は力なり」と子供達にいくら言っても、その言葉には力がない。しかし、毎日学級通信を書き続ければ、その言葉は力を持つ。学級通信を毎日書くには子どもを見ないと駄目だ。毎日書いていると、どうしても筆が進まない日がある。そういう日は忙しくて子供達を見ていない、(会ってはいるが・・)日の事が多い。逆に子どもとたくさん話をして、子どもの目をよく見ている日は、書く事がたくさんありすぎて書ききれない状態になる。「学級通信」はそういう意味でのバロメーターになる。
勿論毎日書くにはこつがある。それは自分の言葉で書くということだ。よそいきの言葉でも何枚かは書けるだろうが、子供達の心には響かないし、長続きはしないものだ。毎日書いていればひどい文章のことだってある。でも心に響く通信を書く率も上がるのだ。帰りの学活で子ども達は食い入るように「一生懸命」を読む。それまで大騒ぎだった子供達がシーンと静まり返ってプリントを読むのだ。自分の名前があると大変だ。「ほら今日は載ってるよ。」と嬉しそうに自慢する。それが無くても友達の発言に笑いころげ、時に涙をするようになる。学級通信はクラスの全員、全ての子ども達を主役にする力を持っている。

学級通信を書く担任が激減してきた。僕が大好きなG先生は朝の5時に登校し、教室で「学級通信」を書いて、教材研究をして、子ども達が登校して来るのを待つのだそうだ。朝練がない小学校の先生ならではの時間の使い方である。その代わり、定時には下校するらしい。子ども達が登校する前に仕込みをし、子ども達がいない学校にはさよならをする。素敵な生き方である。僕には朝練・朝勉があり、放課後には午後練、夜練・夜勉があったから・・・そういう生き方はできなかったが・・・子ども達がいる間は子ども達と寄り添う・・・それは全く同じだと思っている。

指導死
今回の悲しい事件。残念だが「指導死」そのものだと思う。家庭で何があったとしてもだ。どこの学校でも起こりうることであり、教師の生徒に対する「言葉」がどれくらい生徒の心を傷つけるのか、現場の先生達にはどうしても理解して貰わないといけない。そして、彼が自分の命と引き換えに残したメッセージを我々は決して忘れてはいけないのである。親が伏せて欲しいと言ったとしても、家庭であったことは家庭の責任であり、学校であったことは学校の責任である。中学生1人の命が失われて・・・事実が何も伝わらない・・・そんなことがあっていい訳がないのである。悲しいけれど、教師も親も子ども達も彼の心に寄り添って、彼の死を乗り越えていくしかないのだ。
学年集会が怖かった陵平。自分のせいで文化祭が中止になるかも知れないと思ったひさゆき。そして、自分の居場所がなくなった・・・そう感じた彼・・・誰一人、虐められても、殴られてもいない。ただ、教師達の言葉で態度で心に大きな傷ができ、その傷を抉られ・・・生きられなかったのである。そんなことがもう起きないように、彼らの死を無駄にしてはいけないのである。

打ってはいけない!2185
「子宮頸がんワクチンは唯一がんを予防できるワクチンです」そういう人が未だにいる。確かに製薬会社はそう言って売り込んだ。所謂ロビー活動である。しかし、ワクチンの効用書にはそうは書いてないし、それを証明した人は誰もいない。検診で十分に防げる癌とも言われているのだ。一方でワクチンの副反応の被害は甚大である。痛みのある人生を生きるのは辛い。打つまでは健康そのものだった女子中高生達の苦痛の叫びが届かないようでは人間ではない!「精神的なものじゃないの?」「摂取により健康被害が生じたとは言えない」という医者や国は、「いじめがあったとは認められない」という、どこかの学校や教育委員会と同じで、被害者に寄り添う共感能力に欠けている。自民党の人相の悪い国会議員達と同じだ。副反応に悩む子達は運動もできなければ、学校にも通えないのだ。恋をして、悩むことも出来ないのだ。それは人生を奪われたのと同じ事。そういうひどい目にあうのは、いつの時代も弱者なのである。グローバリスト達から国民を守るための「安全第一」という「規制」を壊してはならない!岩盤規制が今の日本には必要なのだ。子どもたちを守る規制がしっかりしていれば、この悲劇は起こらなかったのだから・・。

今日の写真1
神宝大橋での休憩風景です。ここまで来るのに1時間半以上かかっているので、喉はカラからです。

今日の写真2・3
またまたポッキーとのツーショットです。嫌がらずに写ってくれるので本当に可愛いです。


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