3月26日 (月)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第85弾! 2018年3月26日(月)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第85弾! 2018年3月26日(月)   たかやん

川掃除のお知らせ
今月の黒目川の川掃除は昨日3月25日(日)無事終了しました。来月4月は22日(日)の予定です。栗原1丁目公園に9時集合です。途中までの参加も途中からの参加も大歓迎です。雨で中止になっても5時から石神集会所で反省会があります。持ち物は黒目川を綺麗にして、”綺麗な黒目川を子ども達に残したい”という心だけです。多くの方の参加をお待ちしています。  連絡先 090-6497-5737 たかやん

朝勉39
今朝も数学。懐かしい問題と格闘して、目を覚ましたのだった。英語もやらないとねえ。基礎英語も教科書の暗唱もやってない、あたし。

修了式
今日は修了式。空は無事に2学年を修了した。2年間、空の頑張りをちゃんと見ていてくれた先生達に感謝である。1年生の時は長距離チームで襷を肌身離さず持っていた空。怪我をして3か月も走れなかった空を、先生達は優しく見守ってくれた。そして、隠れた努力を認めて励ましてくれたのだ。「短距離に行きたい」と言った時も、応援してくれて・・・今の張り切った空がいるのである。五中陸上部の二人の先生の言葉には「愛」がある。「教育は愛だ!」と言ってきた僕にとって、愛のある言葉は嬉しい限りである。空の良いところも悪いところも見てくれて、そしていいところを伸ばしてくれる・・・空は「高校へ行っても陸上をやりたい」と言っている。そんな空にしてくれた二人の先生に感謝、感謝である。

国会
まあ、子ども達には見せられない映像である。何しろ「嘘」だらけなのだ。安倍自民に失望し、財務省に失望し・・・嘘つきの大人たちの言い訳ばかりがズラッと並ぶ訳で・・・大人でも気持ち悪くなるのだから、純粋な子ども達が見たら、もっと気持ち悪くなるだろう。

支持率32%
嘘だろ?3.2%の間違いじゃないのか・・・そう思いたくなる数字である。「大嘘つき」を支持する人間達は同じ「嘘つき」か「自分たちが得だから」かのどちらかだろう。

偉そうに・・
「自民党の国会議員は偉そうな奴が多いね。」『みんながみんなじゃないんだろうけどね』「バカ野郎の癖に偉そうに・・・」『いい人もいるかも・・』「数が多いだけで、威張るんじゃねえ」『そうねえ、数は力っていうけど・・・それは地方議会も同じだよ。この間の3月議会だって、彼らが何も言わなくても賛成で成立するし、討論しないで反対すれば通らないし・・・』「結局は有権者の選択なんだよなあ」『そうだね。まずは政治に興味を持ってもらって、投票率を上げることだよね。駅立ち頑張らないと・・・!』「ああ、頑張ってね」昨日の会話。僕に出来ることは、議会で思ったことを発言すること。そして、駅立ちをすること。やれることをやっていこう。

財務省
消費税増を国会議員に吹き込んでいるのは財務省。民主党もそれに騙された。デフレ経済の中で「消費税増税」は完全にアウトの作戦である。「国の借金」も財務省のプロパガンダ。日本の国債は「円建て」なのだから、ギリシャのような財政破綻にはならないのだ。中学生達だって、それくらいは知っている。今こそ、財政出動するべき時、財務省に言いなりの増税派の総理は本当にごめんである。

沖縄地上戦開始の日
天皇の沖縄に対する心は温かい。被災地に対する心も温かい。安倍晋三とはえらい違いである。政治家が天皇を見習って、沖縄の人たちに寄り添うようになったら・・・いい国になるんだがなあ・・・。


今日の塾でも市内中学校のことが話題になった。修了式で彼の死に関することは何も言わなかった・・・とか。本当に?そんなことあるの?子ども達の話だから分からないが、本当だとしたら・・・異常である。5つの中学校から集まった6人の中学生達は彼の死に心を痛めながらも必死に自分の質問をし、新聞を読んで世の中のことに興味や疑問を持ったのだった。

教育新聞
新聞と言えば、日本教育新聞の1月15日版に僕の記事が掲載されていて驚いた。「PTA入会は任意」「埼玉県教委が掲げて1年」「周知めぐり市議会で質疑重ね」という見出しの記事の中に僕のことが書いてあったのである。“埼玉県内の自治体議会のうち、新座市議会で昨年3月から県教委が示した対応要領がたびたび議論の的となってきた。中学校教員を長く務めた経験を持つ議員が・・・・・・”新座市議会で長く中学校教員を務めたのは俺しかいないじゃん!!カサジもいるけど・・・PTAのことを連続で質問しているのは俺しかいないし・・・俺じゃん!掲載に関して、何の断りもなかったけど・・・・

初めての授業(教師を目指す人へのメッセージ3)旧ホームページから
昭和52年4月。僕は大学を卒業したばかりの23歳。初めての授業の時のことは今でもはっきりと覚えている。自分が子供達にどういうふうに見られるのか、馬鹿にされはしないか、間違ったことを言いはしないか…・そんなことばかり考えていたから、顔が赤くなり、緊張の固まりという状態だった。
僕は元々人前で話す事が苦手だったから、授業のプレッシャーというのは相当のものだった。昭和52年、僕の赴任した学校(新座五中)は新設校で二つの中学校(新座中と新座三中)が合併してできた中学だった。そして僕は3年4組の担任。埼玉県で(全国でも)たった一人の新卒の3年の担任だった。子供達は二つの学校が合わさっている訳だから、なんだかおかしなムードだし、僕は新米で何が何だか分からなくて、本当に漫画みたいなクラスだったような気がする。要するにクラスを仕切るのは僕ではなくて、子どもだったのである。
最初にクラスに入った時も「席に着いて!」と僕が言っても、子供達は席に着かない。「こら!席に着けっていってんだろ!」と怒ってみても「いやーだね。」と一番のチビの「稲っちょに」言われる始末。先生の権威なんか全く無かった。それでも番長格の「猛彦」が「座ろうぜ!」と一言いうと、みんな席に着いてくれた。(こいつだ!)僕は猛の力を借りることを即決めたのだった。そして、それは成功する。
そんな訳だからネクタイにスーツ姿の僕は子供達のいい標的だった。2年生の津金からは「体育館でタイマン」を申し込まれるし・・・・クラスの子には休み時間になるとネクタイを引っ張られ、首を絞められ、まったくいい遊び道具だった。口でも体力でも子供達に勝てず、本当に情けない担任だった。
二日目から僕はネクタイを外し、ジーパンにセーターで登校した。スリッパを止めて、運動靴にした。子供達と格闘して勝つにはまず格好が大切だったのだ。そんな状態で最初の授業が始まったのである。3年生を4クラスに2年生を1クラス持たされた僕は本当にアップアップの状態だった。45分の授業にわざと5分遅れて行き、5分早目に終わらせて、35分の授業にしてみたり、とにかく早く教室から逃げ出したいと思っていた。そして質問が恐かった。「なんで?」「どうしてそうなるんですか?」「この植物の名前は?」恥ずかしいことにその質問のほとんどに僕は答えられなかった。ただごまかす事だけはしなかった。『今、分からないから調べておくよ。』そうやって先輩の先生に聞いたり、本で調べてきたりしていた。要するに子供達に勉強させられていたのだ。
僕は東京の新宿で育ったせいか、植物には特に弱かった。信州の山の中で育った、大学時代の友達に随分馬鹿にされたものだ。「おめえ、それでよく理科の教師になろうとするだな。」と豊。『そんなこと言われても・・・知らないんだもん』と僕。
だから野外実習の時はもう必死で子供達と一緒に図鑑とにらめっこして、野草の名前を探した。そうして実習場所の野草の名前だけには滅法強くなったのである。そしてそのことがちょっとした自信になっていった。まるで子供達が自信を持つのと同じように。
そう、「先生」とは名ばかりで実は「生徒」だったのだ。教えている積もりが、実は子供達に教わっていたのだ。このことは実は21年間ずっと僕の心の中で続いていた。教師という仕事は実は子供達から教わる事の方が多いのではないか、ということである。そしてそのことは今でも正しいと思っている。僕らは子供達からたくさんのことを学ぶのだ。そして成長するのだ。どんなに授業が上手に出来ても、そのことが分からないとプロの教師にはなれないと僕は思う。

僕の2回目の卒業生の二人。五中の3年1組の子達が我が家に大学合格の報告に来た時の写真。左は大。右は秀行。この子達は優秀だった。僕はこの子達と2年間同じクラスで生活した。いわゆる持ち上がりのクラスだったのだ。特に3年生になってからは1年間、毎朝「朝勉」をやった。他のクラスよりも1時間早く教室に来て、みんなで勉強するのだ。ところが大は1年間一度も僕に質問しなかった。理科のテストをやらせれば113点も取った。100点満点で113点というのは、僕の模範解答よりも大の解答の方がよかったからだ。秀行は3年生の最初の中間は405点くらいだったのだが、僕が数学の問題集をあげると、それを3回繰り返しあっという間に450点を越えるようになった。僕は毎回子供たちと一緒にテストを受けていたが、定期テストでは遂に大に勝つことはできなかった。大は東大へ進学し、秀行は京大へ進学した。僕はこの子達に一緒に学ぶことの大切さを学んだのだった。その後、大は超有名広告代理店に就職し、秀行は東大大学院で宇宙の研究をしている。

打ってはいけない!2186
「子宮頸がんワクチンは唯一がんを予防できるワクチンです」そういう人が未だにいる。確かに製薬会社はそう言って売り込んだ。所謂ロビー活動である。しかし、ワクチンの効用書にはそうは書いてないし、それを証明した人は誰もいない。検診で十分に防げる癌とも言われているのだ。一方でワクチンの副反応の被害は甚大である。痛みのある人生を生きるのは辛い。打つまでは健康そのものだった女子中高生達の苦痛の叫びが届かないようでは人間ではない!「精神的なものじゃないの?」「摂取により健康被害が生じたとは言えない」という医者や国は、「いじめがあったとは認められない」という、どこかの学校や教育委員会と同じで、被害者に寄り添う共感能力に欠けている。自民党の人相の悪い国会議員達と同じだ。副反応に悩む子達は運動もできなければ、学校にも通えないのだ。恋をして、悩むことも出来ないのだ。それは人生を奪われたのと同じ事。そういうひどい目にあうのは、いつの時代も弱者なのである。グローバリスト達から国民を守るための「安全第一」という「規制」を壊してはならない!岩盤規制が今の日本には必要なのだ。子どもたちを守る規制がしっかりしていれば、この悲劇は起こらなかったのだから・・。

今日の写真1.2.3
文夫が川の中で拾ったごみを栄治が受け取り、土手を駆け上って、りさが引くリヤカーに積み込んでいるところです。川の中の文夫のスピードに合わせて、みんなが動いていきます。そのチームワークが結構重要なんです。昨日も川の中からは自転車が引き上げられ・・・リヤカーが大活躍でした。

この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・

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