4月14日 (土)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第104弾! 2018年4月14日(土)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第104弾! 2018年4月14日(土)   たかやん

川掃除のお知らせ
今月の川掃除は4月22日(日)の予定です。栗原1丁目公園に9時集合です。途中までの参加も途中からの参加も大歓迎です。雨で中止になっても5時から石神集会所で反省会があります。持ち物は黒目川を綺麗にして、”綺麗な黒目川を子ども達に残したい”という心だけです。多くの方の参加をお待ちしています。  連絡先 090-6497-5737 たかやん

朝勉58
6時起床。睡眠負債を解消すべく、久しぶりにゆっくり起きた。そして朝勉。継続は力なりである。

駅立ち予定
来週の月曜日は清瀬駅北口で5時55分〜8時半、火曜日は清瀬駅南口で5時55分〜8時半の予定です。駅立ち仲間のみなさん、よろしくお願いします。

朝練
1人で新座ローンへ。水橋さんに声を掛けて、鈴木さんと小山さんに声を掛けて、4人でダブルスをやった。僕と鈴木さんが組んで、水橋・小山ペアとやって1−6の完敗。「セカンドセットやるぞ!」とセカンドに突入して・・・1−6。「ファイナルやるぞ!」「このセット勝った方が勝ちね!」と無茶苦茶なことを言う僕。しかし、水橋・小山チームは強かった。結局、ファイナルセットも3−6で押し切られたのだった。

小学生
鈴木さんが中三の時、僕は中一。そして小山さんは小6、水橋さんは小2。という訳で、試合中、僕は何度も「強いな小学生」「小学生の癖におやじショット打つなよなあ」「小学生には負けねえぞ」と煩かった訳で・・・でもねえ・・・その小学生に完敗したのです。

名前
鈴木さんの名前は宗一さん。実は前に新座市の男子シングルスAの決勝戦で戦ったことがあるらしい。五中、六中の20年間でシングルスの試合に出たのは2回くらいしか記憶になく・・その内の1回が宗一さんとの試合だった。あるらしい・・・というのは僕が覚えてなかった訳で・・・宗一さんが覚えていてくれたのだ。宗一さんはとってもマナーのいい紳士という感じの方で・・・初めてダブルスを組ませてもらって、大ファンになったのだった。

向かい風
空の大会を見に行った。向かい風の中、ダントツの1番で走った空だったが・・・・記録はねえ・・向かい風が無ければ・・・うーむ、残念。それでも颯爽と走る空に感動したのだった。

夜勉
明日は数検に挑戦する空。余弦定理、関数、確率・・・高校数学に燃えたのだった。僕が中三の時にヒョウチンに高校数学を習ったように・・・空も高校数学を僕に習った訳で・・・将来「数学の先生になりたい」と言った空にとって記憶に残る自分でありたい・・・そう思ったのだった。

第二十一歩 「最初が肝腎」
「最初が肝腎」とよくいう。確かにその通りだ。しかしその肝腎を間違えてしまっている教師達がたくさんいる。「1年生の1番最初にびしっとルールをたたきこまないと。」と主張する教師達のことである。「チャイム着席」「ジャージでの清掃」「中学生らしい頭髪」「中学生らしい服装」とにかく最初にビシッと教え込まなければ、あとが大変である。と彼らはいう。答えはNOである。「1年生の1番最初にかわいがること。」それが大切なのだ。僕は21年間担任をやってきたが、ただの一度も1年生で担任をした子供達から暴力を振るわれたことはない。
しかし、テニス部の子達とは戦ったことはある。接し方が違ったのである。僕はクラスの子供達は徹底的に可愛がった。小学校でどんなに優秀な子であっても、どんなに悪いことをしてきた子であっても関係なく一日目で「名前」を呼んで握手をしてきた。掃除も一緒にやったし、家庭訪問にはその日の子供達全員を車に乗せて、ワイワイガヤガヤ話をしながら行ったものだ。給食は毎日くじを引いて、ジャンケンで片付けをして、昼休みは一緒にサッカーをやる。毎日帰りの学活ではギターを弾いて一緒に歌を歌う。そしてテスト前には「朝勉」で一緒に勉強し、テストも一緒に受けた。勿論怒ることもある。泣かすこともある。だけど、1年の終わりにクラスが解散する時にはみんなで泣くのだ。
 そういう子供達の中に徹という子がいた。中2、中3は僕のクラスから離れ、接触する機会が少なくなった子である。その子が3年生になり、いわゆるワルになった。身長、体重も僕をはるかに越え担任の教師に対してもひどい態度を取り、弱い生徒に対するイジメも始まった。そういう時に僕は彼とぶつかった。何が原因かは覚えていないが、昇降口で僕は彼の胸ぐらをつかんでこういった。『徹!なにやってんだよ。お前は!』「…・・」彼は泣きはじめた。僕より背もでかいし、力もある中3がまるで中1の子どものように泣くのを見て、僕は彼が愛しくてしょうがなかった。そして自分のやり方が間違っていなかったと思ったのだ。徹の心は僕と出会った時のままだったのだ。彼はそれから落ち着いた生徒になっていった。
その一方でテニス部の子供達とは違う接し方をしていた。僕が部活動で子どもを「名前」で呼ぶようになったのは後半になってからで、それまでは全部「苗字」で呼んでいた。僕に対しては全て敬語を使わせていたし、接し方もほとんどが命令調で暴力的だったのだ。要するに子供達は全く違う僕を両面から見ていたことになる。ただキツイトレーニングは一緒にやったし、遊ぶ時はあそんだから最後はやっぱり泣けた訳だ。
でも僕に対して力で向かってくる子は思い返すとみんなテニス部の子供達だった。勿論素手で一対一で戦ったし、気合で一度も負けなかったし、今ではみんな笑い話なんだけれど、「最初が肝腎」なんだとやっぱり思うのだ。怒らなくてはいけない時はある。そこを逃してはいけない。怒るには気合が必要だ。ネチネチだらだら怒ってはいけない。怒ったら、さっぱり忘れてしまうぐらいの技量がなくてはいけない。それができないのだったら、怒らない方がうまく行くかもしれない。昔は学校に一人や二人、怒るのが名人という先生がいた。今はあまり見当たらない。だったら家で鏡の前で練習することだ。気合を込めてイメージトレーニングをすることだ。笑顔も怒る顔も練習で作れるものなのだ。
*授業に準備が必要なように、生徒指導にもトレーニングが必要なのである。トレーニングをしないで生徒指導をしてはいけないのである。何事も練習が大切だということを先生達は知らなくてはいけないのです。

打ってはいけない!2205
子宮頸がんワクチンは唯一がんを予防できるワクチンです」そういう人が未だにいる。確かに製薬会社はそう言って売り込んだ。所謂ロビー活動である。しかし、ワクチンの効用書にはそうは書いてないし、それを証明した人は誰もいない。検診で十分に防げる癌とも言われているのだ。一方でワクチンの副反応の被害は甚大である。痛みのある人生を生きるのは辛い。打つまでは健康そのものだった女子中高生達の苦痛の叫びが届かないようでは人間ではない!「精神的なものじゃないの?」「摂取により健康被害が生じたとは言えない」という医者や国は、「いじめがあったとは認められない」という、どこかの学校や教育委員会と同じで、被害者に寄り添う共感能力に欠けている。自民党の人相の悪い国
会議員達と同じだ。副反応に悩む子達は運動もできなければ、学校にも通えないのだ。恋をして、悩むことも出来ないのだ。それは人生を奪われたのと同じ事。そういうひどい目にあうのは、いつの時代も弱者なのである。グローバリスト達から国民を守るための「安全第一」という「規制」を壊してはならない!岩盤規制が今の日本には必要なのだ。子どもたちを守る規制がしっかりしていれば、この悲劇は起こらなかったのだから・・。

今日の写真1
左から、僕、宗一さん、賢一さん、圭司さんです。多分、明日からは宗一さん、賢一、圭司と呼ぶと思います。同じ世代なので共通の話が多くて・・・楽しかったです。

今日の写真2.3
ポッキーです。僕の顔を見ると尻尾を振るので・・・それだけで嬉しなります。ポッキーは直ぐにお腹を見せて・・そして顔を舐めてくれるのです。

この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・

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