4月23日 (月)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第113弾! 2018年4月23日(月)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第113弾! 2018年4月23日(月)   たかやん

川掃除のお知らせ
今月の川掃除は本日4月22日(日)無事終わりました。全部で11人の参加で、楽しい川掃除になりました。5月の川掃除は決まり次第連絡します。

朝勉67
今朝の朝勉はちょっと難しい「因数分解」。早く楽しく「因数分解」する方法を子ども達に伝えるにはどうすればいいか・・・研究したのだった。

三吉自動車
スタッドレスをノーマルに替えにひばりが丘に向かった。久しぶりに豆しばの「マメタ」にも会えたし、節ちゃんの笑顔も見れたし・・・

大泉学園
亮と二人で大泉学園の後町内科クリニックへ。「混んでる。10人待ちくらい」というラインを見て、畑中に向かったのだった。

傷ついた心
畑中で僕を待っていたのは、顧問の言葉に心を傷つけられ、学校に行くのが怖くなってしまった女の子。亮の診察を待っている間、その子の家に行き、「一緒に学校に行こう」「大丈夫、怖くないよ」そう伝えたのだった。元気に学校に通っていた子が、突然行けなくなる・・・教師の心ない一言が子ども達の心を深く傷つけてしまうのである。

無事
彼女は無事学校に行った。その間に、亮は診察が終わってしまい・・・歩いて西大泉の「だいすけうどん」へ。結局、そこの駐車場で待ち合わせることになって・・・・僕らは何十年かぶりで「だいすけうどん」に入ったのだった。

もり
「だいすけうどん」の人気メニューは「肉盛り」らしいが・・・むかしから、通は「もり」と「きつね」を注文していた。余りにも久しぶり過ぎて、厨房にいた「だいすけ」さんは彼のお父さんに見えたのだった。僕は勿論、もりを注文し、亮はきつねを注文したのだった。

思い出した
もりが登場した時、「こんなに大盛りだったか」と「だいすけうどん」の盛りの多さを思い出した。そして、食べている内に、昔子ども達と一緒に食べていたうどんの味とその時の雰囲気を思い出していたのだった。俺は子ども達と一緒にあのうどんをどれくらい食べたのだろう・・・血糖値が上がるというのに、昔のように全て食べてしまったのだった。

殺すぞ!
「なんで頑張ってる私が認められてないのに、学校に来てないあんたがみんなに愛されてんの?認められてんの?あんたなんか死んでなくなればいいのに」ってまた言われたからさ「殺すぞ!」って言ったら、先生が職員室から飛び出てきて・・・怒られた。
「職員室前で言ったの?」『言われっぱなしでため込むよりはいいんじゃない?』「職員室前はやばいでしょ」「体育館脇とかさ」「屋上とかさ」「場所を選ばなきゃ」「“殺すぞ!”って、それ、脅迫罪じゃん」「いや、正当防衛でしょ?」塾の間の雑談はとんでもない方向に脱線していく。1年生の時から、何度も何度も友達から「死ね」と言われたり、顧問からも「いなくなればいいのに」と言われた子が、自分の心を守る為に言った相手に「殺すぞ」と言ってしまったのだ・・・彼女をそんな風にしてしまったのは学校である。誰にも攻めることなどできないだろう。確かに言っていいことと悪いことがある。それは教えなくてはいけない。でも、彼女はそれを知っていた。いけないことを言ってしまったと思った彼女はその後、トイレで吐いている。言った相手のことを「寂しかったのかな」「傷ついたかな」と思いやって泣いている。分かっていたけど、「死んでなくなればいいのに」という言葉を言われた反動で「殺すぞ」と言ってしまったのだ。彼女はそれを悔いている・・・優しい子なのである。

第三十歩 「出る杭になれ!」(教師を目指す人へのメッセージ、旧ホームページから)
「出る杭は打たれる」という諺がある。昔から、ちょっと目立つといじめられる風潮が日本にはあったのだろう。最近の「いじめ」が、弱いものいじめではくえて、目立つ子いじめの傾向があるのも日本的と言えば日本的なのかも知れない。というか「イナカッペ」だよねえ。「いじめ」をする奴らははっきり言って「カッペ」丸出し。ダサいなんていう言葉じゃなくて、「かっぺ」。そう言えば、いじめる奴らは、みんな「かっぺ」丸出しの顔をしているもの・・・・(田舎に住んでいる人のことをいなかっぺと言っているのではないのだよ。貧相な人相のわるーい奴らのことをいっているのだよ)
いじめられている子供たち。そして大人も・・・いなカッペのせいで死ぬことはないのだよ。都会的センスを持っていると、どうしても僻(ひが)む奴らがいるのだよ。「人と違う」ってね。イナカッペほど周りと同じじゃあないと安心できないものなのさ。だからいじめれている子供たち。そんなカッペのために死ぬことはないのだ。みんな違って当たり前。そんなことを知らない奴らに自分の人生を左右させていい訳がないだろう?
徒党を組んで、少人数を苛める奴らは弱虫もいいところなんだ。本当に強い奴は一人でいるものさ。だから、弱虫の奴らに人生を台無しにされるのは止めよう。苛めを容認する学校なんてたいしたところじゃあないんだから、行かないのも一つの手だ。頭を使って仕返しをしていくのだって、子供なら許される。いじめられるふりをするのも悪くない・・・・。要は自分が苦しくならない程度に、演技をしたっていいじゃないか・・・・。大事なことは「やられたこと」をメモしておくこと。そしてそれをある時期に公表するのだ。
あて先は学校と教育委員会と市長と警察とマスコミ。それで相手のいなかっぺは轟沈する。何も自殺をするなんて手紙を書くことはない。事実をそのまま記録して、その「犯罪」を伝えればいいのだ。いいかい?大事なのは事実を記録することだ。先生からいじめられている子供たちも同じだよ。授業を録音しておくのも手だよね。いじめている奴らは、急には態度を変えられないものなんだ。黙っていても、必ず尻尾は出すのさ。
学校でのいじめは犯罪なのだよ。子どもだから許されるものではないのだ。「因果応報」悪いことをした奴らには、それなりの「天罰」がくだるものなのだ。
だから子供たち、どうせなら「出る杭」になりなさい。そして自分の周りにそういう杭があったら、いじめないで応援しなさい。出る杭には魅力があるのだよ。自分の人生の友達に、出る杭をたくさんもつ。それが君たちの人生を豊にするのだ。どんなに自分にとっていい奴でも、でる杭をいじめる奴らは一生の友達にしてはいけないよ。そういう「悪い気」をもった奴らと一緒にいると、自分の「気」の質も落ちていくものなんだ。世の中には「いい気」を持った人間と「悪い気」を持った奴がいる。「いい気」を持つ先生や友達を探しなさい。君が「いい気」を持ってさえすれば、直ぐに見つかるからね。だから自分も「いい気」がもてる様に、いいことを沢山しなさい。人が嫌がることはしてはいけないよ。人が喜ぶことをするんだよ。着ているものや、親の職業で人を見てはいけないよ。あくまでもその人間の「気」の質で人を見るのだ。              たかやん
この文章は子ども達向けに書いたものだが、先生達にも通じると思う。今の学校で「出る杭」になるのは大変かも知れない。それでも子ども達の為に、「出る杭」になって欲しい。「出る杭先生」じゃなければ、子ども達の記憶には残らない。10年経っても、20年経っても子ども達の記憶に残る先生になって欲しい。そして、出来ることなら僕が河合先生に今でも影響を受けているように、子ども達の人生に影響を与えるような、そんな先生になって欲しい。そんな「出る杭先生」「出る杭校長」が沢山出てくることを僕は願っている。
*昭和52年、輝かしい未来を夢見て僕らは新設校の新座五中に赴任した。僕は23歳になったばかり、22歳の仲間もいれば、24歳の仲間もいた。その当時の仲間たちも今年が「再任用最後の年」になっている筈だ。僕は21年で辞めてしまったが、仲間たちは41年間、学校という社会で頑張ってきたのだ。僕よりも20年も長く、学校で頑張ってきた仲間たちを僕は誇りに思う。彼らは僕の倍、長い時間を子ども達と一緒に生きてきた。そして、僕の記憶の中で、子ども達の記憶の中で生き続けるのである。

打ってはいけない!2215
子宮頸がんワクチンは唯一がんを予防できるワクチンです」そういう人が未だにいる。確かに製薬会社はそう言って売り込んだ。所謂ロビー活動である。しかし、ワクチンの効用書にはそうは書いてないし、それを証明した人は誰もいない。検診で十分に防げる癌とも言われているのだ。一方でワクチンの副反応の被害は甚大である。痛みのある人生を生きるのは辛い。打つまでは健康そのものだった女子中高生達の苦痛の叫びが届かないようでは人間ではない!「精神的なものじゃないの?」「摂取により健康被害が生じたとは言えない」という医者や国は、「いじめがあったとは認められない」という、どこかの学校や教育委員会と同じで、被害者に寄り添う共感能力に欠けている。自民党の人相の悪い国
会議員達と同じだ。副反応に悩む子達は運動もできなければ、学校にも通えないのだ。恋をして、悩むことも出来ないのだ。それは人生を奪われたのと同じ事。そういうひどい目にあうのは、いつの時代も弱者なのである。グローバリスト達から国民を守るための「安全第一」という「規制」を壊してはならない!岩盤規制が今の日本には必要なのだ。子どもたちを守る規制がしっかりしていれば、この悲劇は起こらなかったのだから・・。

今日の写真1
西大泉のだいすけうどんの「盛り」です。昔は「特大」とか「特盛り」みたいのがありましたが・・・それを食べた中学生が何人かいましたねえ。

今日の写真2
僕の体にうどんは最悪なのですが・・・昔の習慣でこんな風に完食してしまいました。血糖にも血圧にも悪いのは分かっていましたが・・・意地で食べてみました。もう、僕の生涯でこんな風にうどんを食べることはないでしょう。

今日の写真3
きつねうどんです。僕はこのきつねが好きで、誰と一緒に行っても、「きつね」「盛り」を二人で(3人〜4人で)分かち合って食べていた記憶があります。紀と二人、ウィングに乗って、凍えて帰ってきて・・・食べたうどんの温かさを、紀は忘れられないと言います。(ああ、そんなこともあったなあ・・・)と、僕も思い出しました。僕が25歳、紀が16歳の頃のお話です。

この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・

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