4月25日 (水)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第115弾! 2018年4月25日(水)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第115弾! 2018年4月25日(水)   たかやん

朝勉69
今朝の朝勉は超難関校の数学。僕の脳みそが目覚めてなく・・・ちょっと分かり難い説明になってしまった。それでもちゃんと聞いてくれていた空に感謝である。空が学校に行った後も「超難関校の数学」に燃えてみた。少しは脳みそが柔らかくなったかも・・・楽しむことが第一である。

ワクワク
朝からソワソワしていた。小学校時代の先生に会いに行くからだ。向後美佐子(松本美佐子)
先生に会うのは何十年振りのことだろう。僕が6歳で西戸山小学校に入学した時、1年4組の担任だった美佐子先生は25歳だった。綺麗でユーモアがある先生は僕らの憧れの的だった。僕は全く勉強が出来なかったけど、先生だけには褒められたい・・・そう思っていた記憶がある。その憧れの先生に会えるのだから、僕の心はワクワク、ドキドキである。美佐子先生は83歳になっている筈だが・・・新垣結衣に会うよりもきっとドキドキしている自分がいる訳で・・・・子どもの時の気持ちって、本当に大切なんだなって改めて思うのである。
僕が先生に持っていくプレゼントは僕が書いた「一生懸命」。六中の緑ジャージの千恵のお母さんが、作ってくれた冊子である。

市原市
先生の家に行くのに、スマホのナビを利用することにした。車のナビもあるのだが、スマホのナビの方が正確なのだ。そのナビが254で池袋まで行き、首都高に乗るコースを選んだのには驚いた。雨の中の首都高はかなりスリルがあった。タイヤを交換してもらっておいて、よかった・・・・首都高から京葉道路に入って・・・2時間後、先生の家の前には予定通りの時間に着いたのだった。

3時間
「朋矢君」「美佐子先生!」8歳だった子が60過ぎのおっさんになって登場し、いきなりハグしたのだから、先生も驚いたに違いない。でも、先生は相変わらず優しい目で僕を見てくれた。僕はもうそれだけで泣けてきて・・・・それから、僕らは機関銃のように話し始めた。

知らなかった・・・
僕は先生の出身大学や誕生日は覚えていたが、大事なことを勘違いしていた。僕は今日の今日まで先生は松本市の出身だと思っていた。ところが先生は三鷹に住んでいたのだ。武蔵野市出身ということになる。松本深志高校か伊奈青陵高校出身だと思っていたのが、都立武蔵高校だったと聞いて・・・そして、もっと驚いたのが終戦直後、武蔵野市立の中学校は校舎がなくて、先生は「委託生徒」として、私立の「吉祥女子」に預けられたというのだ。先生はその吉祥女子で素晴らしい先生方に会って、「人生で一番勉強したのよね」という。都立武蔵高校では美術部で、御茶ノ水大学では「映画研究会」に入っていて、徽音祭(きいんさい)では映画作りに燃えていたらしい。

小学生は勉強するもんじゃない
「私が西戸山に行くとは思ってもなかったのよね」『そうなんですか?』「西戸山は当時、都市教育のモデルスクールだったのよ。まさか、そこに行くとは思ってなくて・・・」『でも、先生は御茶ノ水の教育学部だったんでしょ?』「御茶ノ水は学芸大みたいに、技術的なことは習わなかったの。教育学は学んだけど、かなり自由だったのよ。だから、西戸山に行ったときは、何をどうしたらいいのか分からなくて困ったわ。」『そうだったんだ・・・僕、先生と勉強をした記憶があまりないんです。』「勉強はあまりしなかったわね」『え?』「小学生は勉強するもんじゃないでしょ。」『・・・』『兎に角、楽しかったことしか覚えてないんです。』「色々やって、お母さん達に見に来て貰ったわね。」

60人学級
「当時は一クラス62、63人でねえ」『そうだったんですか?』「私は6年1組の担任でね、他の学校の子達と林間学校に行ったのよ。」『え?』「60人学級が6クラスで多すぎたのね」『まじすか?』「それで、私のクラスは他の学校と一緒に行って、戻ってくると今度は残りのクラスの子達とまた行ったの。」『そんなこともあったんですね。』

学級通信
先生は僕の為に3年4組の学級通信を用意してくれていた。僕らの「学級通信」の名前は「こだま」先生が描いた可愛いイラストがあちこちにある通信である。僕の「一生懸命」の原点は美佐子先生の「こだま」にあったのだ。

写真
僕らは当時の写真を見ては当時を思い出し、仲間の名前を思い出し、笑い。機関銃のように話し。僕と先生との3時間はあっという間に過ぎてしまったのだった。

市川市
先生の家から今度は市川市に向かった。テニスコートで知り合った、友達のやっている「塾」に見学に行ったのだ。洋子さんのやっている塾は「たかやん塾」よりも歴史のある個人塾だ。
教員の経験はない洋子さんだが、教育に対する「熱」はもの凄く・・・そんな洋子さんと一緒に勉強する子ども達はとてもマナーがよく、小学生から高校3年生まで、みんな感じのいい素敵な子達だった。僕はゆうと君と算数の勉強を一緒にしながら、洋子さんの塾を見学したのだった。

畑中
新座から電話があり、市川から急遽新座に戻った。畑中にいる教え子が朝から不安定なのは分かっていたのだが・・・一度傷ついた心は大人が考える程、簡単に治ることはない訳で・・・それでも、僕の顔を見ると少しは安心したらしく・・・・1時間ほどで家庭訪問は終わり・・・我が家に戻ったのは9時過ぎになっていた。お昼から何も食べてなくて・・・腹ペコ青虫になっていたので、血糖値のことも考えず、食べてしまったのだった。

打ってはいけない!2218
麻疹が流行しはじめ、「子宮頸がんワクチンは唯一がんを予防できるワクチンです」そういう人が未だにいる。確かに製薬会社はそう言って売り込んだ。所謂ロビー活動である。しかし、ワクチンの効用書にはそうは書いてないし、それを証明した人は誰もいない。検診で十分に防げる癌とも言われているのだ。一方でワクチンの副反応の被害は甚大である。痛みのある人生を生きるのは辛い。打つまでは健康そのものだった女子中高生達の苦痛の叫びが届かないようでは人間ではない!「精神的なものじゃないの?」「摂取により健康被害が生じたとは言えない」という医者や国は、「いじめがあったとは認められない」という、どこかの学校や教育委員会と同じで、被害者に寄り添う共感能力に欠けている。自民党の人相の悪い国会議員達と同じだ。副反応に悩む子達は運動もできなければ、学校にも通えないのだ。恋をして、悩むことも出来ないのだ。それは人生を奪われたのと同じ事。そういうひどい目にあうのは、いつの時代も弱者なのである。グローバリスト達から国民を守るための「安全第一」という「規制」を壊してはならない!岩盤規制が今の日本には必要なのだ。子どもたちを守る規制がしっかりしていれば、この悲劇は起こらなかったのだから・・。

今日の写真1
美佐子先生に持って行った六中緑ジャージ時代の「一生懸命」です。21年間で唯一「本」の形になった1冊でした。

今日の写真2
6歳の僕と25歳の先生が58年後に会うと、こんなツーショットになりました。僕はこの先生にどの子も愛する・・・という教師としての当たり前の生き方を学んだのだと思います。

今日の写真3
市川市にある、洋子さんの「塾」です。かなりの有名中学、高校、大学に子ども達は進学していっているようです。少しの時間しか一緒にいられませんでしたが、とても勉強になりました。ゆうあちゃん、やよいちゃん、ゆうと君、えりこちゃん、りょうすけ君、もえちゃん・・・みんなありがとう!そして洋子さんもありがとうございました。

この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・


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