5月10日 (木)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第130弾! 2018年5月10日(木)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第130弾! 2018年5月10日(木)   たかやん

川掃除のお知らせ
5月の川掃除は27日(日)に決定しました。9時に栗原1丁目公園に集合です。持ち物は「黒目川を未来の子ども達の為に綺麗にしたい」という心だけです。トング・軍手・ゴミ袋はこちらで用意します。途中からの参加も途中までの参加も大丈夫です。夕方5時から石神集会所で「反省会」があります。反省会だけの参加も大歓迎です。みなさんの参加をお待ちしています。

テニス
僕の生きがいは家族と子ども達とテニス。今朝も視察の前にテニス。3セットやって、足が痙攣したところで目が覚めたのだった。

朝勉85
6時から基礎英語1.2.3と英会話。電車の中でも草花の図鑑を持って、羽田で待っている間は勿論、飛行機の中でも脳みそのトレーニングをしたのだった。

熊本
飛行機は逆風の中熊本に向かって飛び続けた。ど真ん中の席に座ったので、外の世界は何も見えなかったので、ずっと歴史の本を読んでいた。

13時15分
熊本市役所での視察がはじまった。熊本城の中に重要文化財が14か所ある。600億、30年はかかる見込み。小さな石垣に番号をつけて、組みなおす予定。という説明があった。
大震災から2年程経って、全国から支援を頂いで感謝しています。熊本は地震が少ないところと言われてきた。是非、熊本市の経験を生かして欲しい。

視察項目
今回の視察項目は「熊本地震 道路と橋梁の復旧状況について」
道路整備課 今村課長と勝木さんから説明があった。

平成28年(2016年)4月14日、16日本震 震度7の地震が2回続けて起きた。一連の地震で震度6以上の地震が7回発生した→観測史上初だった。
熊本市は全て地下水だが、広範囲で断水したので復旧に労力をつかった。漏水箇所を特定するのが大変だった。道路に関しては緊急輸送道路を第一に考えた。九州縦貫道路でも落橋 があった。特殊な橋脚だった。
熊本市は平成24年から政令指定都市となり、国道・県道も市が管理している。
教訓として、熊本は地震がないという認識が強く、備えがなかった。水害の経験は多かったが心構えもできてなかった。そんな説明があった。

質問
僕が聞きたかったのは被災後、同時進行で復旧作業を行ったと思うが、水道、電気、道路、橋梁の点検・整備に関して何から手を付けていったのか、それを決めたのは誰で避難所の運営はどうしていたのか・・・実際にこれがあったらよかったものはあるか・・・などなどであった。公式の質疑が終わった後にも、質問を続けるのだから面倒くさい奴である。そんな僕の質問に快く答えてくれた熊本市役所の方達に感謝、感謝である。

教師を目指す人へのメッセージ 第45歩 鬱

教師の鬱は誰にでも起こりうることだということを忘れないでください。別に脅かしている訳ではありませんが、僕の周りにも「鬱」状態の一歩手前の人は随分いました。体育会でどんなに鍛えられた人でも、人との接し方、心の持ち方を間違えると、「鬱」に向かって一直線ということにならないとも限らないのです。高校大学でいくら「体」と「精神力」を鍛えても、「学校」という「組織」の中で「孤立」すると実に危険です。
ただ、「孤立したくない」ばかりに、子ども達に対する思いを変えてしまっては元も子もありません。そこは上手にやるのです。自分の気持ちに正直になりつつ、孤立はしないように気を付ける・・・そこは人間力です。どんなに理不尽な勢力が学校にいても、必ず「子どもに寄り添う」まともな「先生」はいるものです。最初の内はそれが誰なのか見抜けないかも知れませんが、観察している内に「本当の姿」が見えてきますから、大丈夫です。
新座五中の10年間、僕は五中の「主流」の中にいました。多くの先輩達に可愛がられて育ったので、僕も後輩達を可愛がりました。そして、子ども達と一緒に成長していきました。学校のどこにいても「安心」して生きられたのが新座五中でした。ところが、五中で学んだ五中流を新座六中に持っていくと・・・子ども達には通用したのですが、先生達には全く通用しませんでした。それでも「尊敬できる」先輩達を見つけ、息の合う「仲間」を見つけ、子ども達と一緒に懸命に10年生きると・・・やはり自分が六中の「主流」だと思えるようになったのです。
そして21年目に二中へ。ところが五中と六中で身に着けた「教師としての力」は完全に否定されました。管理職に「生徒と仲良くするな」と言われたのです。これはまずいことになった・・・と思いました。子ども達に寄り添いながら、「一緒に学んで、一緒に泣いて、一緒に笑う」という僕のスタイルが完全否定されたからです。五中、六中での20年間では先輩達からも、同僚、後輩達からも「支持」されていたやり方が、「アウト」と言われた訳です。そのまま、受け入れていたら・・・僕も「鬱」になっていたでしょう。3年2組の子ども達との時間は最高だったので、僕は自分の生き方を貫く道を「選択」しました。そして、そのまま子ども達と一緒に卒業する道を「選択」したのです。自分の新しい人生を「選択」することで、僕は「鬱」にならずに済んだのです。あのまま言われるままに生きていたら、最後の学校で「鬱」になっていたでしょう。高校大学で鍛えた体も、心も・・・五中、六中で子ども達と一緒に生きたことで身につけた「自信」も・・・最後の二中では無力でした。それでも、子ども達と生きた21年間は「誇れる」ものです。子ども達に寄り添って生きてきた!ということ以上に教師として大切なことはないからです。
僕は学校を辞めるという選択をして、「鬱」になることを避け、自分らしい、新しい道を選んだのですが、あなた方にはなるべく「先生」でいて欲しい。そう思います。
*僕には「理科準備室」という空間がありました。そこにいると、子ども達が「たかやん聞いて!」と休み時間に飛び込んできました。「理科準備室」にいるだけで、子ども達からの「情報」はどんどん入ってきました。「理科準備室」は子ども達とだけの空間ではありませんでした。同僚の先生達も「たかやん、聞いてよ」と悩み事を話に来たのです。子ども達にとっても、「先生」にとっても・・・・学校には「理科準備室」のような空間が必要なのです。そういう「空間」がなかったとしても、その空間の代わりになる「人」が必要なのです。それが、これを読んでいるあなたになることを祈っています。
「たかやん塾」は別名「りじゅん」でした。そう「理科準備室」のあだ名です。

打ってはいけない!2232
麻疹が流行しはじめ、ワクチンを打たなくては・・・という雰囲気が出てきているが、それに乗っかることは危険である。ワクチン、そのものに危険があることを知らなくてはいけない。インフルエンザも日本脳炎も何もかも・・・・
「子宮頸がんワクチンは唯一がんを予防できるワクチンです」そういう人が未だにいる。確かに製薬会社はそう言って売り込んだ。所謂ロビー活動である。しかし、ワクチンの効用書にはそうは書いてないし、それを証明した人は誰もいない。検診で十分に防げる癌とも言われているのだ。一方でワクチンの副反応の被害は甚大である。痛みのある人生を生きるのは辛い。打つまでは健康そのものだった女性達の苦痛の叫びが届かないようでは人間ではない!「精神的なものじゃないの?」「摂取により健康被害が生じたとは言えない」という医者や国は、「いじめがあったとは認められない」という、どこかの学校や教育委員会と同じで、被害者に寄り添う共感能力に欠けている。自民党の人相の悪い国会議員達と同じだ。副反応に悩む子達は運動もできなければ、学校にも通えないのだ。恋をして、悩むことも出来ないのだ。それは人生を奪われたのと同じ事。そういうひどい目にあうのは、いつの時代も弱者なのである。グローバリスト達から国民を守るための「安全第一」という「規制」を壊してはならない!岩盤規制が今の日本には必要なのだ。子どもたちを守る規制がしっかりしていれば、この悲劇は起こらなかったのだから・・。当時、中高生だった女の子達が二十歳を過ぎた女性になった。一番、楽しい筈の時間が痛みの、その苦しみの時間に代わってしまった。その時間はもう戻らない。

今日の写真1
僕らが乗ったJALです。僕は昔から飛行機が嫌いなのですが・・・

今日の写真2
僕の席はど真ん中のE席で、左隣は小野大輔委員長でした。

今日の写真3
お昼は牛タン麦飯弁当でした。

この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・

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