5月3日 (木)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第123弾! 2018年5月3日(木)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第123弾! 2018年5月3日(木)   たかやん

川掃除のお知らせ
5月の川掃除は27日(日)に決定しました。9時に栗原1丁目公園に集合です。持ち物は「黒目川を未来の子ども達の為に綺麗にしたい」という心だけです。トング・軍手・ゴミ袋はこちらで用意します。途中からの参加も途中までの参加も大丈夫です。夕方5時から石神集会所で「反省会」があります。反省会だけの参加も大歓迎です。みなさんの参加をお待ちしています。

朝勉78
今朝の朝勉は6時から只管英語。そして春の草花の名前トレーニング。世界一周・・・と脳のトレーニングに燃えたのだった。脳トレは何歳になっても楽しいものである。

練習
雨が降る中、空は自転車で五中に向かった。顧問の先生には「天気予報を見て、行くか行かないかは自分で判断しなさい」と言われたのだそうだ。
それでいいのだ。そうやって、子ども達自身が「判断」「選択」することが大切なのだ。仮に大雨でも顧問の先生達は学校で待っていた筈。大事なことは、子ども達に「考える」「選択する」チャンスを与えることである。言われたことしかできないような子ども達を育ててはいけないのである。足が痛くても、雨が降っていても練習に行った空の「選択」は正しかった。空父はそう思うのである。

憲法記念日
施行から71年。誰が作ったかは微妙な問題だが、世界に自慢できる、なかなかの憲法である。その憲法を変えようとしているのが、大嘘付きの安倍晋三をトップとする今の「自由民主党」。九条の精神を理解できないばかりでなく、アメリカ一辺倒のセンスのない外交を繰り返す総理を持つ日本の未来は極めて危険である。おまけに、財界、そしてお友達の方しか見ていないし、経済政策がアウトなのだから、税金の無駄遣いもいいところである。今の自由民主党は「自由」も「民主」も似合わない。近頃、日本の主流の質の低下が甚だしい。そう感じている国民は多いだろう。

山口達也君へ
焼酎1本は普通飲めません。そこでお勧めです。焼酎を飲むなら「芋焼酎」です。そして、はやく酔うには「炭酸」で割ることをお勧めします。それにレモン果汁を絞って入れると体にもいいです。芋焼酎を炭酸で割り、レモン果汁を絞って・・・早く酔って、早く寝てしまう。そうすると次の日も早く起きられます。安上がりに酔うことが出来て、体にもいい。そんな飲み方であれば、tokioはもっと続いたでしょう。

そのまま国会へ
安倍晋三さん。飛行機から降りる時に奥さんと手を繋ぎますね。どうか、そのまま国会に向かってください。多くの国民はそれを望んでいます。そうすれば、被害者の女子高生は勿論、多くの国民も山口さんの謝罪会見を何度も何度も見なくてすみます。国民が聞きたいのは安倍晋三さんの奥さんの生の声です。どうか、奥さんの手を離さないでください。

教師を目指す人へのメッセージ 第38歩  名前という魔法

昭和41年、僕は小学校6年生。新宿区立西戸山小学校の6年生。大好きだった桑名喜久枝先生は僕のことを「高邑さん」と呼んでいた。先生はクラス全員の子ども達を苗字で「〇〇さん」と呼び、僕らにもお互いにそう呼ぶように言っていた。でも、先生は一部の子のことだけは「名前」で呼んでいたのだ。「禎子ちゃん」「裕似さん」「吉子さん」というように・・・。僕はちょっぴり寂しかった。大好きな先生に僕も「朋矢さん」と呼ばれたかった。美佐子先生にそう呼ばれたように・・・そして、11年後・・・・・
 昭和52年、僕は五中の教師になった。その時に思ったのだ。子ども達に寂しい思いをさせないように、子ども達のことを「名前」か「あだ名」で呼ぼうと。猛彦は「たけ」博子は「ひーこ」そして「いなっちょ」「ばし」「おけい」「おーちゃん」「りみ」「みはる」・・・子ども達が友達の名前を呼ぶように、僕も子ども達の名前を呼んだのである。その時、僕はまだ「たかやん」とは呼ばれておらず・・・「先生」と呼ばれるか、「たかむら」と呼び捨てにされるか、「ぞうさん」とあだ名で呼ばれていた気がする。
 子ども達を名前で呼ぶというルールは2年目からは徹底され、20年間、僕はそうやって子ども達のことを「名前」で呼んで生きてきた。子ども達は僕に「たかやん」というあだ名をつけ、僕のことを「たかやん」と呼んでくれるようになった。僕は「先生」と呼ばれるより「たかやん」と呼ばれることが嬉しかった。先生と生徒という関係は一瞬で、子ども達と一緒に生きる時間は限られている。しかし、その時の関係はずっと心の中で続くのである。
 僕の最後の二中での卒業式、3年2組の担任だった僕は「〇〇君」「〇〇さん」と呼ぶように上から強要されたが、きっぱりと断った。3年2組だけ、クラス全員の名前をフルネームで「呼び捨て」にしたのだ。形だけの「君」や形だけの「さん」に意味などない。普段の生活の中で、子ども達とどう接していたのかが大切な訳で・・・親が見ている時だけ「君」「さん」をつけてみせても、そんなものは何の意味もない。僕はそう思ったし、卒業式では普段通り、思い切り子ども達の名前を呼びたい!そう思ったのだ。勿論、呼名簿は一切見ないで・・・・。

空は今、五中の3年生。有難いことに陸上部の若い顧問の先生達は二人とも「空」と呼んでくれている。「高邑さん」でも「高邑君」でも「高邑」でも「空君」でも「空さん」でもないところが親としては嬉しいのである。
 考えてみて欲しい。みなさんも自分の子どものことを苗字で「〇〇さん」とは呼ばないだろう。苗字の「〇〇さん」にはそれだけの距離感があるのだ。学校がその距離感を「共通認識」するとしたら、それは「教育観」がどこかおかしい。「不登校」「いじめ」「鬱」を学校から無くすにはどうしたらいいのか、考えもしなかった人たちの発想である。学校は子ども達にとっては勿論、教師にとっても温かいところであって欲しいのである。
僕のことを「たかやん」と呼ぶ人の中に僕のことを嫌いな人は多分いないだろう。だから、僕は「たかやん」と呼ばれることで「安心」するのである。子ども達だって同じだ。「太陽」「こころ」「茜」「安孝」「エイト」「英二」「満寿子」「鮫」「知樹」「紀」「猛」と呼ぶのは、それだけ大切な子ども達だからである。「雪」「亮」「空」と同じように・・・
だから、僕の後輩たちが子ども達のことを「名前」で呼んでいる姿を見ると、安心するのである。僕の「教育観」を受け継いでくれている後輩達がいることに安心するのである。
自分の子どもが「先生」にどう呼ばれたら嬉しいか・・・それを考えるだけで、子ども達の呼び方が分かるのである。考えないで、上から言われたことをやるのは「たこ」である。上が「たこ」だったら、下から上に向かって「たこ」と言うくらい、子ども達には愛情を注いで欲しいものである。間違っても「たこ上司」と一緒に「たこ」になってはいけないよ。
 
「やっぱり」「あんた」「ドン臭い」
中三の女の子の話である。酷い捻挫をやって、松葉杖をついて登校した。すると、昨年の担任にバッタリ会ってしまった。一番会いたくない先生だったのだが、松葉杖だから、逃げようにも逃げられない。「どうしたの?」と聞かれたので、捻挫してしまった時のことを説明すると・・・「やっぱり、あんたはドン臭い」彼女はそう言ったのだそうだ。俺も彼女に言おう。『やっぱり、あんたは教師には向いていない!』そう言われたら、心がズキっとするだろ?言葉で子ども達を傷つける人間は「教師には向いていない」のである。

打ってはいけない!2226
麻疹が流行しはじめ、ワクチンを打たなくては・・・という雰囲気が出てきているが、それに乗っかることは危険である。ワクチン、そのものに危険があることを知らなくてはいけない。
「子宮頸がんワクチンは唯一がんを予防できるワクチンです」そういう人が未だにいる。確かに製薬会社はそう言って売り込んだ。所謂ロビー活動である。しかし、ワクチンの効用書にはそうは書いてないし、それを証明した人は誰もいない。検診で十分に防げる癌とも言われているのだ。一方でワクチンの副反応の被害は甚大である。痛みのある人生を生きるのは辛い。打つまでは健康そのものだった女性達の苦痛の叫びが届かないようでは人間ではない!「精神的なものじゃないの?」「摂取により健康被害が生じたとは言えない」という医者や国は、「いじめがあったとは認められない」という、どこかの学校や教育委員会と同じで、被害者に寄り添う共感能力に欠けている。自民党の人相の悪い国会議員達と同じだ。副反応に悩む子達は運動もできなければ、学校にも通えないのだ。恋をして、悩むことも出来ないのだ。それは人生を奪われたのと同じ事。そういうひどい目にあうのは、いつの時代も弱者なのである。グローバリスト達から国民を守るための「安全第一」という「規制」を壊してはならない!岩盤規制が今の日本には必要なのだ。子どもたちを守る規制がしっかりしていれば、この悲劇は起こらなかったのだから・・。当時、中高生だった女の子達が二十歳を過ぎた女性になった。一番、楽しい筈の時間が痛みの、その苦しみの時間に代わってしまった。その時間はもう戻らない。

今日の写真1.2.3
母さんのところに行きました。母さんの手はとても温かくて・・・僕はずっと母さんの手を握っていました。歩けなくても、寝たきりでも、母さんの手は昔と同じ。僕を元気にしてくれます。

この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・



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