7月14日 (土)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第195弾! 2018年7月14日(土)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第195弾! 2018年7月14日(土)  たかやん

駅立ちの予定です
昨日13日(金)新座駅南口での5時半〜8時半の駅立ち、無事終わりました。来週の火曜、水曜で5時55分〜8時半で清瀬駅南口、北口の順に立ちます。志木南口は5時半〜8時半で19日(木)に行なう予定です。今日から3日間、お休みです。駅立ち仲間のみなさん、よろしくお願いします。

朝勉150
駅立ちがないので、5時に目が覚めた。やはり、緊張感がないと神経がだれる・・・のかも知れない。朝勉は英語と数学。ほんのちょっぴりだけど、続けることが大事な訳で・・・

陸上競技場
五中陸上部の空達の引退が近づいてきた。少しでも彼らの普段の練習風景を撮っておきたくて・・・・・カメラを持って陸上競技場に向かった。そして、五中陸上部の練習を撮りまくった。彼らが卒業する時に、DVD(CD)に焼いて、顧問の先生達を含む全員にプレゼントしたいのだ。気がつくと、もうギリギリな時間・・・ダッシュで家に向かったのだった。

本多児童センター
新座中英語部の発表会を見に行った。時間を1時間間違えて、少し早く行き過ぎて・・・プラネタリウムで時間を潰すことに。嘗ては自分が説明した場所なのだが・・・気がつくと、深い眠りに落ちていた。

新座中英語部
4つの演目と演目の間のスピーチがあったのだが、どれも素晴らしいものだった。今までにないものを子ども達自身が考えて、衣装も何もかも自分たちで作っての発表会である。最初の英語劇は「大きなカブ」そしてダンス、英語劇「不思議の国のアリス」、全員合唱・・・
気がつくと僕は泣いていた。子ども達の一生懸命な姿に、一生懸命なスピーチに、一生懸命なダンスに泣けてきたのである。いやあ、力のある子ども達である。久しぶりに自力で道を開いていく中学生を見た気がする。


教師を目指す人へのメッセージ   第111弾!  学年集会

生徒指導上の問題が起きると、学年集会を開くことがあります。僕がいた学年にも「学年集会」を開くことが好きな人はいました。僕自身は21年間、生徒指導上の問題で「学年集会」を招集したことは1度もありませんでした。効果がないことを知っていたからです。
遠足や修学旅行などで、学年にまとめて注意事項を伝えたい時は別ですが、「学年集会」で「生徒指導」をしたと思い込むこと自体がアウトです。矛盾するようですが教師達が「学年集会」を開かなくてはいけないと思うような問題は根が深いことが多いのです。そんな問題を効率よくまとめて処理しようとする考えそのものが甘いのです。
「学年集会」で1人(複数)の教師が前で話をして、やってはいけないことをやめるほど、子ども達は単純ではありません。ましてや、SNSで人を攻撃するのが当たり前のようになっている今、その「学年集会」がきっかけで、さらに「苛め」や「器物破損」がエスカレートしていくこともあるのです。
そして、考えないといけないのは、その問題に関係のない子達の気持ちです。“何もしてないのに、糞暑い体育館の中で、何で話を聞かなきゃならないんだ!”“糞寒い体育館の中で、私は何もしてないのに、馬鹿野郎の為に、どうして我慢して詰まらない話を聞かなきゃならないの”“くだらない”“時間の無駄”そう思う子達が先生達への「不信感」を膨らませていくのです。「学年集会」が大勢の生徒の「大切な時間」を奪うことに気がつかない教師が多すぎます。
アンテナを立てていれば、「苛め」も「器物破損」も誰の仕業か直ぐに分かります。分からないのはアンテナが錆びているからです。子ども達の「苛め」や「うっぷん晴らし」を止めるには、その子達に「集中的」に寄り添うことが必要です。「学年集会」で上から物を言うのは気持ちがいいかも知れませんが、寄り添うのとはかけ離れているし、言われた方はたまりません。
「学年集会」で死を選択した子もいました。そう二中の2年生だった大貫陵平です。「学年集会」でお菓子を食べたことをみんなの前で「謝罪」させられると知って、陵平は死ぬことを選択しました。たかが、休み時間に「ハイチュウ」を友達から貰って、食べただけなのに「学年集会」・・・・休み時間にコーヒーを飲んで、お菓子を食べている教師が、休み時間に「ハイチュウ」を食べた中学生に何を言えるのか・・・「挨拶しろ」と言って、自分が「挨拶」できない教師と同じです。休み時間にコーヒーを飲んだっていい。休み時間にお菓子を食べたっていい。大事なことは、オンとオフを切り替えることであって、休み時間まで管理することではありません。大人になって大事なことは、人から言われら通りに生きることではありません。自分でオンとオフを切り替える力を持ち、生きることが大事なのです。
五中で僕が招集した「学年集会」がありました。それは卒業前の卒業式の練習で僕が企画しました。僕と嵒は「学年集会」で怒ったことはありません。「励ます」為に学年集会を開き、「泣かす」ために子ども達を集めました。僕は「学年の先生全員」にマイクを持って子ども達に語りかけて貰いました。どれだけ、僕らが子ども達のことを愛してきたか・・・を一人一人の先生達にお願いしたのです。それを聞いていた子ども達は泣き出しました。先生達も泣きながら話し、生徒達も泣きながら聞いたのです。僕にとっての「学年集会」はそういうものでした。僕と嵒の学年で生徒指導の為の「学年集会」はそれ以外にやったことがありません。勿論、六中でも同じような「学年集会」はやりました。
*どうか、生徒指導で語るのなら、面と向かって自分の思いを伝えられるようになってください。「学年全員」を集めて、その中にその子がいるから・・・聞いてくれているだろう・・・そんな甘い生徒指導は完全に素人がやることです。今までやってきたことを変える・・・その力が無い限り、教師にも進歩はありません。

打ってはいけない!2294
どんなワクチンにもリスクがあります。製薬会社はワクチンで儲けたい。儲けたいから宣伝をします。「安全で絶対に効きます」と宣伝します。税金を使って「ただということにして」売れたら一番儲かる・・・製薬会社は国会議員に接触します。「安全」で「子宮頸がん」を防げる唯一のワクチンである・・・国会議員達は、それを信じていてもいなくても、ワクチンを「無料」で打てる仕組みを作ります。そうやって、女子中高生が「無料」でワクチンを接種させられたのです。
「子宮頸がんワクチンは唯一がんを予防できるワクチン」ではありません。確かに製薬会社はそう言って売り込みました。しかし、ワクチンの効用書にはそうは書いてないし、それを証明した人は誰もいないのです。一方でワクチンの副反応の被害は甚大です。痛みのある人生を生きるのは辛いものです。
打つまでは健康そのものだった女の子達の苦痛の叫びが届かないようでは人間ではありません!「精神的なものじゃないの?」「摂取により健康被害が生じたとは言えない」という医者や国は、「いじめがあったとは認められない」という、どこかの学校や教育委員会と同じで、被害者に寄り添う共感能力に欠けています。副反応に悩む子達は運動もできなければ、学校にも通えないのです。恋をして、悩むことも出来ないのです。それは人生を奪われたのと同じ事です。グローバリスト達から国民を守るための「安全第一」という「規制」を壊してはならないのです!岩盤規制が今の日本には必要です。子どもたちを守る規制がしっかりしていれば、この悲劇は起こらなかったのです・・。当時、中高生だった女の子達が二十歳を過ぎた女性になりました。一番、楽しい筈の時間が痛みの、その苦しみの時間に代わってしまったのです。その時間はもう戻りません。彼女たちに最大限の償いを・・・それが僕達大人の義務です。そして、同じ過ちを繰り返さない仕組みを作ることが僕たちの義務なのです。「規制緩和」なんか糞くらえ!です。

今日の写真1
4×100mRの練習をする五中陸上部です。県大会まであと少し。熊谷の陸上競技場での走りが楽しみです。

今日の写真2
ミーティングが終わった後の五中陸上部です。広い競技場で大きな声で挨拶をして、みんなで声を出す・・・気持ちいいんだろうなあ・・・

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・

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