7月20日 (金)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第201弾! 2018年7月20日(金)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第201弾! 2018年7月20日(金)  たかやん

朝勉157
5時半、久しぶりにゆっくり起きる。緊張から解放された朝。それでも(駅立ちはないよな!!)と一瞬焦る。駅立ちの前後はいつもそんな感じである。6時からは基礎英語1.2.3に英会話と1時間、今日も英語の朝勉であった。

7時50分
久しぶりに新座ローン。石神井の1年先輩の宮下さんとの練習である。『暑さ慣れしてないから、軽めにお願いね。』と後輩。「はい、休みを沢山いれてやりましょう」と先輩。普通、後輩が敬語を使い、先輩は上からものを言うものなのだが・・・僕は好きな先輩には「ため口」のことが多くなる習性がある。そして、先輩が大人だとこういう会話になる訳で・・・

9時半
僕らの練習は8時から9時半まで続いた。猛暑の中の気胸と熱中症を経験しているので、念には念を入れて、麦茶とOS1を飲んでの練習になった訳で・・・強い先輩といい練習ができて、幸せ、幸せ。

書くこと
母さんのところへ行った。『何か欲しいものはある?』「ない」『何かしたいことある?』
「ある」『あるの?』「うん」『なに?』「本を書きたい」『右手、動くの?』「やっているうちに動くと思う」『そっか・・』母さんが自分の手で文を書きたいという。何を書きたいのだろう。書ける環境を作りたいと思った息子である。

買い物
ひとみと二人で買い物。ヒマラヤでシャツと短パン、タオルを買って、百均とイナゲヤで買い物をして・・・ちょっと幸せな気持ちになったのだった。

市役所
買い物の途中で市役所へ。市民会館の駐車場に車を停めて、Yシャツを15枚持って5階へ。控室に行くと、大佑が仕事をしていた。今日のように、普段は市民会館の駐車場に車を停めても問題ないのに、議会が始まると「議員は駄目だ!」と言われるのだから、どうかしている・・・。

通知表
空が通知表を持って帰って来た。評価に納得できない教科は先生のところに行って、「どうやったら評価が上がるか」を聞いてきたらしい。誰に似たのかなあ・・・空父は納得できない通知表は「燃やした」ことはあったが、先生のところにはいかなかったなあ・・・

目が死んでいる
国会が終わった。安倍晋三の目が死んでいる。嘘をつきすぎると、ああいう目になってしまうのだろう。自分の友達や米国やグローバリスト達には誠実に尻尾を振りまくり、国民には嘘をつきまくってきたのだから、当たり前と言えば、当たり前か。ああいう目にだけはなりたくない、ああいう顔だけにはなりたくないものである。同じ昭和29年生まれだが、ああはなりたくない。そう思うのである。

斜線
部活で苛めに会い、クラスでも苛められ、学校に行けなくなった女子中学生。「相談室」に登校し、定期試験も受けたのだが・・・通知表の評価は全て「斜線」。2年生の時の学年主任は「課題を出さないと内申が下がる」「課題を出さないと評価ができない」「テストを受けないから評価が斜線なんだ。」と言った。彼女は3年になって、頑張ってテストを受けて、課題を出したのだが・・・・結局、評価は「斜線」。意味が分からん。教師が自分の言葉に責任は持てなくてどうするのだ。
「何で評価がでないのですか」と担任に聞けば、「1よりはいいでしょ」「自分で全部の教科の先生のところに、何故斜線になったのかを聞いてきなさい」と言われたというから、絶望的になる。担任は心が傷ついている中学生に、温かい言葉を掛ける力も余裕もないのか。

新座の全ての中学校の校長に聞きたい。「不登校」の子ども達には「高校」に行く権利がないのか。学校が「不登校」の原因を作り、「顧問」や「担任」が苛める側に回り、虐められた原因はあなたにある。そういう態度で接し続け、学校に登校して、テストを受け、課題を出しても「斜線」という評価しか出さないのでは、「不登校」の生徒達は何を信じて、生きていけばいいのだ。「高校」に行けば、環境が変わればなんとかなるかも知れない。そう思って、無理に「登校」しているのに、評価は「斜線」。それを見た子ども達は「内申」がないのでは公立も私立も受けられない・・・そう思って当たり前だろう。
あなた方の娘が、小学校時代は6年間、無欠席、無遅刻、無早退だった自慢の娘が、中学に入って、剣道が強すぎた為に、部活で虐められて・・・顧問もそれに加担して、それがクラスにも伝染して、林間学校にも修学旅行にも行けず、友達もいなくなり、毎日、毎日、苦しんで生きている・・・そんな娘が、無理をして「相談室」登校しながら、テストを受けたのに、課題も出したのに・・・・評価は全ての教科が「斜線」。
いいか、全ての教科が「斜線」だぞ!体はでかいけど、優しくて、敏感な感性の持ち主の娘がどれだけのショックを受けているか、想像することもできないのか!!
「授業に出ないと評価はできない」と言うのなら、娘は何のために「課題」を提出したのだ。そもそも、学校が「原因」を作ったのだから、「授業」に出られるようにするのがあなた方の仕事ではないのか。原因は自分の娘にあるのではない。「不登校」にしたのは間違いなく「学校」だ。あなた方はそうは思わないのか。いつ誰から「傷つく言葉を言われるか」「傷つくような態度をとられるか」ビクビクしながら学校に通う娘に向かって「相談室」の先生まで「今日は人を殺しそうな目をしているね」って、どういうことなんだ。1年生の時の大好きだった担任に「これ運ぶの手伝って」って言われたから、喜んで重いものを持って手伝ったら、それを見ていた顧問に「剣道部の時は何も仕事をしなかったのに、○○先生に頼まれるとやるんだ」そういう言葉を今も浴びせられ続けているのだ。
「不登校」の子ども達の数は年々増え続けている。彼らにも「夢」を持つ権利はある。そして、彼らから「未来」を奪う権利はあなた方にはない。小学校6年間「皆勤」だった娘が「不登校」になった責任をあなた方は感じなければならない。教師の言葉にナイフが隠されていたら、それを取り上げなくてはいけない。被害者がどんどん増える前に・・・それが「校長」の仕事である。


教師を目指す人へのメッセージ   第118弾!  通知表

 今日は終業式。子ども達も親も通知表の評価に「一喜一憂」する日でもあります。僕が教師の時代は「相対評価」が当たり前でしたから、成績を上から順番に並べて、%で5.4.3.2.1を付けている先生が多かったですね。その中で僕は一人「絶対評価」をしていました。高校に提出する県立の内申以外は、平均が90点以上は5、70点以上は4というように評価を前もって子ども達に伝えていたのです。平均を90点以上の子がクラスに10人いれば、10人に5をつけたということです。「授業態度」も「提出物」もありませんでしたから、全て定期テストの結果だけでつけていました。
 それは僕が中学二年生の時の「理科」の評価に関係しています。西戸山中学の2年生の2学期、僕は学年で1人だけ満点を取りました。当時の西戸山中は超ハイレベルな学校でしたから、僕からすると「超奇跡」です。学年で1人だけ満点だったのですから、当然、評価は「5」だと思ったのですが・・・評価は「4」でした。納得できなかった僕は理科のさくい先生のところに行って、「何で4なんだ!」と抗議にいきました。すると、さくい先生は「授業態度が悪いから」そう言いました。確かに授業態度は悪かったのですが・・・・僕は母親の前でその通知表を燃やしてしまいました。
 その経験から、僕は「授業態度」を評価に入れないことを決めたのです。あくまでもテストの点数だけで評価をすることを・・・教師も人間ですから、授業中に寝ている子と目をキラキラしている子とではキラキラにいい点数をつけたくなるものです。でも、それは評価に「主観」が入るということです。もしかしたら「寝ている」ことに理由があるかも知れないし「具合が悪い」のかも知れません。「好き嫌い」を評価に入れることは絶対に避けなければいけない・・23歳の僕は14歳の僕の気持ちを忘れてなかったのです。
 通知表に「主観」を入れる・・・人間ですから、入れたくなります。人間ですから・・・それを断ち切るのが「絶対評価」なんです。
絶対評価は頑張った子ども達へのご褒美です。沢山の子が頑張ったら、沢山ご褒美を奮発すればいいんです。クラスに90点以上が20人いたら、20人に5を付けられるのですから・・・。それが「絶対評価」の強みです。
14歳の気持ちになって考えてください。何をしたら5になるか分からないで「勉強」するのと、90点取れば「5」を取れる!とハッキリするのとどっちが「勉強」する気になるでしょう。誰でも90点以上取れば「5」を取れるとなれば、授業に「超集中」したくなります。授業に本気になって集中して、自分のレベルに合った問題集を繰り返す。
それが一番、子ども達の学力を簡単に伸ばす方法です。今の学校は各教科が、これでもか、これでもか・・・というくらい「宿題」や「課題」を出し、お互いの時間を奪い合っています。そして、運動クラブや塾の課題のある子達の時間も・・・
その結果、繰り返す時間はなくなり、「学力」が伸びていかない子達が増えていくのです。・・・子ども達から「時間」を奪ってはいけません。大人の僕らも「仕事」でがんじがらめになって、残業しても残業しても追いつかなくて・・・時間的余裕も、精神的余裕も体力的余裕もなくなれば、授業力は伸びません。大人が出来ないことを子ども達にやらせている・・・それが今の学校です。子ども達には「朝練」があり「午後練」があり、中には「夜練」があるクラブチームの子ども達もいます。
小学校にも中学校には昔も今も、色々な子ども達がいます。学校が原因で「不登校」になった子もいれば、「相談室登校」になっている子もいます。学校に責任があるのに、全く配慮もしていない現実があります。それなのに「同じ課題」では「プロ」が泣きます。
大人の我々でさえ、やらなくてはいけないことはみんな違います。それなのに、子ども達にはみんな同じ。おかしな話です。子ども達の「良いところ」を伸ばしながら、「弱点」を強化していく・・・それが「教師」の大切な仕事なのに・・・伸ばすことも、強化することにも興味がないように見えます。
大人も子どもも毎日86400秒の世界で生きています。その限られた時間を「教師」という権力を使って、奪ってはいけないのです。
どうか、夢に向かって歩き始めている子ども達の一番の「応援団」になってください。
小中学生の子ども達の可能性は無限大です。

打ってはいけない!2300
どんなワクチンにもリスクがあります。製薬会社はワクチンで儲けたい。儲けたいから宣伝をします。「安全で絶対に効きます」と宣伝します。税金を使って「ただということにして」売れたら一番儲かる・・・製薬会社は国会議員に接触します。「安全」で「子宮頸がん」を防げる唯一のワクチンである・・・国会議員達は、それを信じていてもいなくても、ワクチンを「無料」で打てる仕組みを作ります。そうやって、女子中高生が「無料」でワクチンを接種させられたのです。
「子宮頸がんワクチンは唯一がんを予防できるワクチン」ではありません。確かに製薬会社はそう言って売り込みました。しかし、ワクチンの効用書にはそうは書いてないし、それを証明した人は誰もいないのです。一方でワクチンの副反応の被害は甚大です。痛みのある人生を生きるのは辛いものです。
打つまでは健康そのものだった女の子達の苦痛の叫びが届かないようでは人間ではありません!「精神的なものじゃないの?」「摂取により健康被害が生じたとは言えない」という医者や国は、「いじめがあったとは認められない」という、どこかの学校や教育委員会と同じで、被害者に寄り添う共感能力に欠けています。副反応に悩む子達は運動もできなければ、学校にも通えないのです。恋をして、悩むことも出来ないのです。それは人生を奪われたのと同じ事です。グローバリスト達から国民を守るための「安全第一」という「規制」を壊してはならないのです!岩盤規制が今の日本には必要です。子どもたちを守る規制がしっかりしていれば、この悲劇は起こらなかったのです・・。当時、中高生だった女の子達が二十歳を過ぎた女性になりました。一番、楽しい筈の時間が痛みの、その苦しみの時間に代わってしまったのです。その時間はもう戻りません。彼女たちに最大限の償いを・・・それが僕達大人の義務です。そして、同じ過ちを繰り返さない仕組みを作ることが僕たちの義務なのです。「規制緩和」なんか糞くらえ!です。

今日の写真1.2.3
どんな方法であれ、母さんの笑顔が見られるのは息子にとって幸せなことです。足が不自由になり、一日の殆どをベッドの上で天井とテレビを見ながら生活している母さん。笑わないと、笑顔になる為の表情筋が弱ってしまうでしょう。耳が遠くなり、言葉を話すのも苦手になってきた母さんですが・・・まだまだ笑顔でいて欲しい。そう思うのです。

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・

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