7月27日 (金)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第208弾! 2018年7月27日(金)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第208弾! 2018年7月27日(金)  たかやん

「第20回わいわい川遊び」のお知らせ
8月5日(日)に「第20回わいわい川遊び」が行われます。受付開始9時30分で10時から15時30分まで行います。12時〜13時の間に石神集会所で「子ども食堂」が行われます。子ども食堂は事前予約が必要です。
川遊びの内容は、川掃除、魚とり&みずガキ講座、子ども食堂、川遊び、スイカ割です。
問い合わせは042−456−8869または090−6497−5737(たかむら ともや)までお願いします。

4時
思ったよりも暑くなく、終業式は体育館でやることになった。全校生徒に「夏休みの注意」をする生徒指導部。しかし、相手は中学生。昔も今も教師の注意を聞いたためしはなく・・・ま、みんな一応言っておこう・・・そんな感じの話になっている。
自分の番になった。「一つだけお願いがあります。何があっても、絶対に死なないでください。」それだけ言って、終わった。そう、夏休みに死んではいけないのだ。嘗ての教え子達の事故死を忘れられなかったからかも知れない。五中生だったガンモ、シンジ、バンナ・・・みんな若くして死んでしまったから・・・。そして、六中にも薫・・・あれ、今五中の体育館で話をしているのに・・・そこで、目が覚めたのだった。時計は4時。もう一度、寝ることにしたのだった。

朝勉163
目が辛い。パソコンに向かっている時間が長いからかも知れない。本を読むと、目が疲れる・・・特に小さい字だと疲れる。弱った、弱った。午前中は塾と夏期講習の準備。何事も「仕込み」が大切な訳で・・・

7時前
空は朝練に行った。五中陸上部での練習もあと二日。長距離以外の殆どの子達が引退する中、まだ記録を伸ばしたいと思っているのだろう。頑張るねえ。

13時
夏期講習がはじまった。涼しい部屋で4人の中学生が、燃えに燃えてくれた。まあ、多少の差はあるのだが・・・少しずつ変わっていく子ども達を見るのは楽しい。


マンションの水道ポンプが故障し、水道屋さん(五中の卒業生)に来て貰った。そこに四中の卒業生も来てくれて・・・水道ポンプを見てくれたのだが・・・マンションの駐車場に何故か鴨が迷子になって飛んできて・・・三人で協力して何とか捕まえて、黒目川に放しに行った。その帰り道、「関重一郎」「本田誠」「菅野先生」「岩崎先生」とまあ、僕が知っている名前ばかりが登場して・・・実に不思議な繋がりを感じた訳で・・・

20時
中学生の塾。燃える子と一緒にいると、こっちも燃えてくる。子ども達を燃やすのが僕の仕事なのだが、気がつくと子ども達に燃やされている自分がいる。僕の21年の教師生活がそうだったように、今も僕は子ども達に燃やされ続けている・・・。

一久
塾が終わって、ウェルパークへ行くと六中テニス部の初代キャプテンだった一久にバッタリ!!「最近、休憩の時、いつもたかやんの日記読んでる」『え、そうなの?』「うん。」
『なんか嬉しいなあ・・昔、お前のお母さん、一生懸命読んで、いつも手紙くれたよねえ。』「母さん、いつも言ってた、これ凄いって・・・これ続けるのって本当に凄いって・・・」『へえ・・・面白いの?』「読むと、もの凄い、元気になる。」『嬉しいなあ、それ・・・』三年間担任し、テニス部で一緒に燃えた一久が今でも僕の一生懸命を毎日読んでくれて、そしてその一久に最高の褒め言葉を貰って、とっても幸せである。この日記を読んで元気になってくれる人がいる・・・そのことを知っただけで、僕も元気になれたんだ。


教師を目指す人へのメッセージ   第122弾!   記憶に残る先生9

古川溥先生。
石神井高校時代のテニス部の恩師です。古川溥先生はテニス界では凄く有名な先生で、高体連のテニスの専門委員長を長いことやっていました。早い話が、インターハイや全日本ジュニアなどには常に顔を出し、優勝杯を渡す・・・そんな役職にいたのです。裏を返すと、夏休み、そういう大会に出場しない限り、先生に教えて貰うことはできませんでした。先生は石神井のテニスコートには殆どいなかったのです。僕らが1年生の時、顧問不在の中、僕らは熱中症で倒れることも許されず、朝から晩までボールボーイをし、テニスをちょっぴりやって、そしてトレーニングで痙攣するまでしごかれたのです。ある冬のテニスコートで僕は初めて先生と試合をしました。結果は7−5で僕の勝ちでした。褒めて貰えるかな・・・と思ったら、先生は「松田(1年先輩の松田秀一、東京都のチャンピョン)はこの時期、僕に6−2だった。」そう言ったのです。
 (この野郎!)と僕は思いました。1年先輩の松田さんはインターハイでも全日本ジュニアでも国体でも大活躍した選手だったのです。その松田さんと比べられても・・・僕は先生のその一言で、先生に6−2以上のスコアーで勝ってやる!そう心に決め・・・その通り、次の試合は6−2で勝ちました。先生はそれから一度も僕と試合をしようとはいいませんでしたが・・・。
 1年生の終わり、僕は数学準備室に呼ばれました。「高邑、何で呼ばれたか分かるか?」と先生は言いました。『わかりません。この間の試合に負けたからですか?』「違う。高邑、この間の実力テスト、後ろから6番目だぞ。学年で後ろから6番、そんな点数を取った生徒はテニス部では誰もいなかった。」『はあ・・・』「少し休むか?」『はい?』「2.3か月休んで勉強するか?」『いえ、休みたくありません。』「高邑、この学校に何をしに来てるんだ?」『テニスです。』「・・・・」『僕からテニスをとったら、何も残りません。』「だったら、少し勉強してくれ」『わかりました!』僕は、先生の言葉にちょっとムカつきながら、本気を出しました。そして、次の学力テストで、上から13番まで順位を上げたのです。「高邑、やればできるじゃないか!」そう言ってくれた先生の笑顔をまだ覚えています。
 僕らの学年の男子は8人。成績優秀で上位30位以内だったのが野崎、大杉、田口、辻の4人。学年で下位30位以内の常連だった馬鹿が榊原、天野、石田、高邑の4人でした。古川先生はテニスコートで「野崎、数学また100点だったぞ!」と天才野崎のことをいつも褒めていたので、僕らの代のキャプテンははじめから「野崎でいいよな」と野崎公平に決まっていました。
 僕はNO1ではありましたが、古川先生に好かれてないと思っていたので、かなりいい加減な練習態度をとり続けていました。その結果、都立戦に優勝し、個人戦でも関東大会には出場したものの、インターハイ予選の前に交通事故で怪我をして・・・大した成績も残せず引退しました。そして、僕らの石神井での最後の授業は二時間続きの古川先生の「数学」でした。僕は、我が男子クラスを唆し、「校庭でソフトボールやるぞ!」「皆勤の奴だけ残れ!」と号令を掛けて、校庭に飛び出しました。最後の最後に古川先生に「すかしっぺ」を喰らわせたのです。
 ところが、僕が北大の庭球部に進学し、全国学生王座やインカレ予選に出場するようになると、石神井の後輩たちに「高邑は凄い奴なんだ」と紹介しはじめたのです。そして、北大を卒業し、中学校の教師になり、五中で硬式テニスを教えるようになると・・・関東テニス協会では勿論、全国のテニス関係者に「高邑に任せておけば大丈夫です」と、僕のことを誰の前でも褒めてくれたのです。あれだけ、先生に逆らったのに・・・先生は僕のことをずっと褒めてくれていた・・・そのことを知った時、僕は先生の「愛の深さ」を知ることができました。そして“古川先生の期待に応えないといけない”そう思うようになっていたのです。
ある時、僕は先生に聞きました。『先生、俺、出席簿とか付けるの苦手なんです。直ぐに忘れちゃうんです。どうしたら、いいです?』すると先生は言ったのです。「高邑、そんな枝葉のことはどうでもいいんだ。教師ってえのは、授業をしっかりやればいいんだ。気にするな。」僕の心に「先生」の「枝葉のことは気にするな!」という言葉が残った瞬間でした。
先生の数学の授業が上手だったように、僕も理科が上手な教師になるぞ!そう思いました。今でもテニス関係者から聞く言葉があります。「古川先生、高邑さんのこと褒めてたよ」「古川先生っていつも高邑先生のこと褒めるのよ」本当に頭が下がります。あれだけ逆らったのに・・・です。そんな言葉を聞いたら、もう先生の期待に応えるしかありませんでした。
 僕は先生が僕に使った手を子ども達に使うようになりました。「陰で褒める」という手です。どうか、みなさんも「その手」を使ってください。いいことは真似るに限りますよ。

打ってはいけない!2307
どんなワクチンにもリスクがあります製薬会社はワクチンで儲けたい。儲けたいから宣伝をします。「安全で絶対に効きます」と宣伝します。税金を使って「ただということにして」売れたら一番儲かる・・・製薬会社は国会議員に接触します。「安全」で「子宮頸がん」を防げる唯一のワクチンである・・・国会議員達は、それを信じていてもいなくても、税金を使って、ワクチンを「無料」で打てる仕組みを作ります。そうやって、母親達が騙され、女子中高生達が「無料」でワクチンを接種させられたのです。
「子宮頸がんワクチンは唯一がんを予防できるワクチン」ではありません。確かに製薬会社はそう言って売り込みました。しかし、ワクチンの効用書にはそうは書いてないし、それを証明した人は誰もいないのです。一方でワクチンの副反応の被害は甚大です。痛みのある人生を生きるのは辛いものです。
打つまでは健康そのものだった女の子達の苦痛の叫びが届かないようでは人間ではありません!「精神的なものじゃないの?」「摂取により健康被害が生じたとは言えない」という医者や国は、「いじめがあったとは認められない」という、どこかの学校や教育委員会と同じで、被害者に寄り添う共感能力に欠けています。副反応に悩む子達は運動もできなければ、学校にも通えないのです。恋をして、悩むことも出来ないのです。それは人生を奪われたのと同じ事です。グローバリスト達から国民を守るための「安全第一」という「規制」を壊してはならないのです!岩盤規制が今の日本には必要です。子どもたちを守る規制がしっかりしていれば、この悲劇は起こらなかったのです・・。当時、中高生だった女の子達が二十歳を過ぎた女性になりました。一番、楽しい筈の時間が痛みの、その苦しみの時間に代わってしまったのです。その時間はもう戻りません。彼女たちに最大限の償いを・・・それが僕達大人の義務です。そして、同じ過ちを繰り返さない仕組みを作ることが僕たちの義務なのです。「規制緩和」なんか糞くらえ!です。

今日の写真1
マンションの中に入り込み、逃げられなくなったカナブンです。我が家の庭に放すと、嬉しそうに逃げていきました。

今日の写真2
マンションの駐車場から助けた鴨です。段ボールに入れるのに苦労しましたが、嬉しそうに泳いで行くのを見て、安心しました。

今日の写真3
昼ご飯は素麺。でも、ちょっと豪華な素麺な訳で・・・栄養満点で血糖値も上がり難い素麺になっています。感謝、感謝です。
*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・

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