7月4日 (水)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第185弾! 2018年7月4日(水)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第185弾! 2018年7月4日(水)  たかやん

朝勉140
今朝は5時起き。普通の生活に戻って来た。外は曇り。少しは気温が下がるといいのだが・・・
朝勉は英語。数学や国語も少しやらないとね。

ベスト
この糞暑さの中で、女子中学生のベストが可哀そう過ぎる。女子高生達は白いブラウスを颯爽と着こなしているのに比べて、女子中学生は汗だくになってベストを着せられているからだ。僕が親だったら、間違いなく「そんなもん脱いで行け」と言うだろうし、学校に「暑いのに体調が悪くなったらどうするんだ!」とクレームを付けただろう。嘗ての五中も六中も女の子たちがベストを着ないで通っていた時代があったのだ。暑いのだから何の違和感もない。男子がよくて女子が駄目な理由はなんだろう。もし、深い理由があるのなら、女子高生たちもみんなベストを着ている筈だ。

母さん
土曜日に退院はしたものの、この暑さの中ではいつ体調が悪くなるか分からない。今年になって3回も入院した母さん。昨日も今日も「大丈夫」と笑顔で僕の手を握ってくれたが・・・この猛暑の夏を超えられるのか・・・息子としては心配である。

強風
午後練から帰って来た空が、「砂が目に入って痛い」と言ったのが7時頃だったか。「水で洗いな」「目薬さして」「シャワーで目をパチパチやってごらん」と空父。空はその通りにやったのだが、「痛い」「ダメだ」と砂と痛みが取れない様子。余り痛がるので、ネットで目の夜間外来を探すのだが・・・埼玉県には0だということが分かり・・・東京都を探す。そして、辿り着いたのが、府中にある都立小児総合医療センター。8時45分過ぎに家を出て、診察が始まったのが11時過ぎだったか・・・二人の先生に診てもらったのだが、二人目の井原崇輝先生が凄く素敵な先生で、僕は一瞬で彼のファンになってしまった。・・・井原先生は空の目を大量の生理食塩水で綺麗に洗ってくれて、麻酔と抗生剤を投与してくれて・・空の目の痛みはかなり引いたのだった。「先生、24時間ですよね?大変じゃないですか?」「いや、病気は年齢や時間に関係なく誰でもなる可能性があります。これが仕事ですから。」先生はそう言った。
我が家に戻ったのは午前1時過ぎ。僕は今ウィンブルドンを見ながらこれを書いている。空は大変だったけど、素敵な若者と会えて、かなり幸せな気分になった空父であった。

教師を目指す人へのメッセージ   第100弾  記憶に残る先生2

宮田和美先生
西戸山中学の体育の先生です。中大男子バレー部のキャプテンだった人で、背が高くて、恐ろしく怖い先生でした。中学校の教員として21年間色々な体育の先生を見てきまし、その後も色んな体育の先生達を見てきましたが、宮田先生程怖い先生を僕は知りません。
当時、先輩の3年生だって怖いのですから、1年生で体育係になりたい生徒は1人もいません。体育教官室に入るのが怖いのです。先輩達は熱があっても「体育をやすませてください」と言えずに体育をやっていたくらいです。
1年生の6月に僕は階段から飛び降りて「骨折」しました。それでバスケを断念した話は前に書きました。僕にとってはバスケ部をどうするかより前に「体育の授業」をどうするかが問題でした。宮田先生に「体育を休ませてください」と言いに「体育教官室」に行く勇気がなかったのです。そこで僕は「体育の授業に出る」という「選択」をしました。右足にギブスをして、松葉杖をつきながら、体育の授業に出たのです。松葉杖をつきながら走り幅跳びをし、鉄棒をやる僕を見て、宮田先生は「笑顔」で接してくれるようになりました。
骨折して、体育をやる生徒は初めてだったのでしょう。先生は「高邑、無理しなくていいぞ」と言ってくれました。勿論、それでも体育の授業は休みませんでした。
そして、2学期、僕は体育係になり「笑顔で体育教官室に入れる珍しい生徒」になっていました。そして、同じ2学期にバスケ部をやめて、宮田先生のバレー部に入ったのです。バレー部の練習に慣れた頃、体育祭がありました。その体育祭に酔っ払いが乱入してきた時のことです。宮田先生は僕達生徒を守る為に、1人で酔っ払いたちに立ち向かい、あっという間に叩きのめしたのです。今なら問題になっていたでしょうが、僕らは宮田先生に守られているんだ、先生が僕らをいつも守ってくれているんだ・・・そう思いました。
 それから、直ぐに新人戦がありました。西戸山中男子バレー部は、いくらガッツがあったっとしても、2学期の途中から入った1年生を試合に出すほど、弱いチームではありませんでした。ああ、それなのに、それなのに・・・試合に出してくれなかったことに腹を立て、僕はバレー部を辞めてしまいます。あの怖い、そして尊敬する宮田先生にどうやって「退部届」を出したのか、今でも不思議なのですが、先生は怒りもせず、引き留めもせず、「わかった」と言ってくれたのです。そして3学期、僕はテニス部に入部しました。
その3学期、僕は見てはいけないものを見てしまいます。何があったかは全く分からないのですが、大声で「貴様−っ!」と言う宮田先生の声が聞こえ、誰かが殴られて倒れました。その倒れた人がテニス部顧問の白浜先生だと気がつくのに、それ程の時間はかかりませんでした。生徒の前で、教師が同僚の教師を殴る・・・そんな馬鹿な・・・。それも普段はとっても仲がいい体育の先生達同士の中で起きた事件だった訳で・・・僕はそのことを誰にも言えませんでした。
宮田先生は2年生になると、体育の授業でこう言いました。「逆立ちでテニスコートの向こうまで歩いたら、5をやるぞ!」『本当ですか?高邑やります!!』と僕は逆立ちで歩き始め、楽勝でテニスコートを往復したのです。その前から体育は5だった気もしますが、その後、卒業するまで体育だけはずっと5でした。
僕が「入りたい」という生徒は誰でも受け入れ、「やめたい」という生徒も「他で頑張れよ」と送り出せるのは、宮田先生の影響が大きいと思います。そして、「定期テストの平均で90点以上取ったら誰でも5をやる!」と宣言したことも、宮田先生の影響なのかも知れない・・・そう思っています。
*僕は河合隆慶の影響が一番強いと思っていたのですが、こうして書いてみると、宮田先生の影響も受けているようです。どんな子であっても、他校から狙われたら守る、他学年からも守る、自分の子ども達は相手が親であっても守る!という方針は「宮田先生のDNA」のような気がします。
 
打ってはいけない!2284
どんなワクチンにもリスクがあります。製薬会社はワクチンで儲けたい。儲けたいから宣伝をします。「安全で絶対に効きます」と宣伝します。税金を使って「ただということにして」売れたら一番儲かる・・・製薬会社は国会議員に接触します。「安全」で「子宮頸がん」を防げる唯一のワクチンである・・・国会議員達は、それを信じていてもいなくても、ワクチンを「無料」で打てる仕組みを作ります。そうやって、女子中高生が「無料」でワクチンを接種させられたのです。
「子宮頸がんワクチンは唯一がんを予防できるワクチン」ではありません。確かに製薬会社はそう言って売り込みました。しかし、ワクチンの効用書にはそうは書いてないし、それを証明した人は誰もいないのです。一方でワクチンの副反応の被害は甚大です。痛みのある人生を生きるのは辛いものです。
打つまでは健康そのものだった女の子達の苦痛の叫びが届かないようでは人間ではありません!「精神的なものじゃないの?」「摂取により健康被害が生じたとは言えない」という医者や国は、「いじめがあったとは認められない」という、どこかの学校や教育委員会と同じで、被害者に寄り添う共感能力に欠けています。副反応に悩む子達は運動もできなければ、学校にも通えないのです。恋をして、悩むことも出来ないのです。それは人生を奪われたのと同じ事です。グローバリスト達から国民を守るための「安全第一」という「規制」を壊してはならないのです!岩盤規制が今の日本には必要です。子どもたちを守る規制がしっかりしていれば、この悲劇は起こらなかったのです・・。当時、中高生だった女の子達が二十歳を過ぎた女性になりました。一番、楽しい筈の時間が痛みの、その苦しみの時間に代わってしまったのです。その時間はもう戻りません。彼女たちに最大限の償いを・・・それが僕達大人の義務です。そして、同じ過ちを繰り返さない仕組みを作ることが僕たちの義務なのです。「規制緩和」なんか糞くらえ!です。

今日の写真1.2
今日の母さんです。母さんはSNOWが大好きで、いつも大笑いしてくれます。今日もかなり笑ってくれました。母さんの手を握って、暫く話をしていたのですが、兄貴が来てくれたので、バトンタッチしました。

今日の写真3
都立小児総合医療センターです。まるで高級ホテルの中にいるような錯覚を覚えました。素晴らしい施設に素晴らしい先生。若い先生達が24時間で対応してくれる病院です。感動しました。

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・



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