7月8日 (日)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第189弾! 2018年7月8日(日)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第189弾! 2018年7月8日(日)  たかやん

朝勉144
今朝も5時起きで、お風呂で朝勉(世界一周)。そして最終校正。え?明日から駅立ちなのに!?本当なら、昨日が入稿だったのですが、印刷屋さんとの会話で「明日にしよっか・・・」となった訳で・・・細かい調整をしてから、入稿したのでした。

駅立ちの予定
明日の月曜日から駅立ちです。ひばりが丘北口で5時〜9時で行います。火曜日は東久留米で5時半〜8時半、水曜日は保谷、木曜日は新座、金曜日は志木、次の週に清瀬の予定です。日本列島が大荒れですから、あくまでも予定ですが・・・。駅立ち仲間のみなさん、よろしくお願いします。

ララポート
お昼前に三人で富士見のララポートに買い物に行った。日曜日ということで駐車場に入るのが大変で・・・参った。何とか車を停めて・・・空の買い物が始まった。誰に似たのかお洒落な空は、自分のイメージに合わないと何も買わない訳で・・・。歩く、歩く・・・腹が減ってもう歩けないくらい歩いたのだった。そして、フードコートでお昼を食べた後も、歩く歩く・・・往復で6時間。疲れたーっ!

162弾!
夕方、完成した「一生懸命」162弾!を取りに印刷屋さんへ。当日に入稿をするという無茶苦茶の代わりに、自分で受け取りに行く・・・というマナーがある訳で・・・

18時
亮と二人、予約していた「山田鍼灸治療院」へ。英資の話は実に面白く・・・僕らは話しっぱなしで・・・

教師を目指す人へのメッセージ   第104弾!  記憶に残る先生4

神宮司久子
五中に赴任した日のことを何度か書いた記憶がありますが、もう一度。昭和52年4月、僕はドキドキしながら五中の職員室に入りました。そこに太った用務員のおばちゃんがいました。『おはようございます』(随分太った人だなあ)(洋服のセンスは最悪だわ)
「おはようございます」・・・でも、問題はその後です。校長室に呼ばれて、「お前は3年生だ」と言われたのです。『はい』(え?新任なのに3年?マジか・・嫌だなあ・・・)
そして学年会議に行くと・・・あの太ったおばちゃんがいたのです。(なんで、おばちゃんがいるの?)しかも、そのおばちゃんが会議を仕切り始めたのです。(この人、まさか先生なん?)そして、デブのおばちゃんが「学年主任」になり、五中1期生はスタートしました。その学年会議で困ったことが起きました。6クラスの担任がどうしても2人決まらないのです。おばちゃんが「あたしも担任をやるよ」と言ってくれたのですが、それでも1人足りません。新座中と三中が合わさってできた新設校だったからでしょう。女の先輩2人が「どうしても嫌だ」と言うのです。そして、もう1人、その会議を休んだ女の先輩がいました。学年会議がストップし、僕は再び校長室に呼ばれます。「お前、担任やれ」『はい?俺、埼玉の高校、浦和しか知らないっすよ!』「いいからやれ。お前しかいないんだ。」(だったら、最初からそう言えよなあ。先輩達が嫌がるから俺に回って来ただけじゃん!)でも、僕がやるしかない・・・僕は校長室でそう腹をくくりました。
そして、再び学年会議に。「高邑先生は4組の担任をお願いします」そうデブちんに言われました。1組甲神嵒、2笠原進、3組帯刀俊雄、5組神宮司久子、6組原日出夫という凄いメンバーに若造が1人入ることになったのです。そして、「1・2組の副担は千田先生お願いします」と嵒がいい、「じゃ、5.6組は柴崎先生お願い」と原先生が言って、僕ら3.4組はその日休んでいた大熊という先生に決まりました。それが何を意味しているか、その時は気がつきませんでした。そうでした、神宮司久子の話でしたね。
最初の1年間、実は神宮司久子との関係はそれ程深くありませんでした。僕が1組から4組までしか教えてなかったからかも知れません。神宮司久子のクラスの子とは殆ど接触がなかったのです。それでも4組の子達の音楽は神宮司久子でしたから・・・・「神宮司チョップ」の被害を最小限に抑えることを担任は常に考えていました。そして、浦和高校しか知らない担任は、子ども達と一緒に猛勉強。あっという間にテストでは学年1位になり、みんな無事に志望校に合格していきました。
そして、五中の2年目、4期生でも神宮司久子は学年主任になりました。(担任はしませんでした)嵒が1組の担任になり、僕は3組の担任になりました。その頃から、僕は神宮司久子のことを「神さん」と呼ぶようになりました。多分、嵒の影響だと思います。神さんも僕のことを「たかやん」と呼ぶようになって、時々二人で食事に行くような、母子のような関係になっていきました。ある日、嵒が僕に「たかやん、神さんを守るぞ」と言ってきて・・・・・僕は嵒と一緒に彼女を守らなければ・・・そう思うようになりました。
“神宮司チョップ”と言っても、ただのおばあちゃんのビンタです。中学生の男子が本気になったら、神さんがどうなるか・・・想像すれば分かることでした。嵒と僕は「神さんにだけは手を出すんじゃないぞ」と元気のいい子ども達に言いました。神さんに逆らうということは、俺と嵒を敵に回すことだからな・・・と、暗に警告したのです。そして、「お前たちが神さんを守るんだぞ!」と彼らに伝えたのです。神さんはその後も僕と嵒が五中に居る間、ずっと子ども達に守られていました。そう、いつも子ども達に守られていたのです。僕と嵒が脅したからというより、神さんがいつも子ども達のことを愛していたからだと僕は思っています。神宮司久子は僕らが守って当然の先生でした。子ども達のことを、五中のことをあれだけ愛していた人を僕は知りません。勿論、神さんに「神宮司チョップ」を喰らって、恨んでいる子もいるかも知れません。特に、女の子には多いかも知れません。そのことは、僕が神さんの代わりに謝ります。「ごめんなさい」確かに、理不尽なこともあったと思います。でも、神さんはきっと「愛の鞭」の積りだったのだと思います。最後の頃の「神宮司チョップ」は顔を撫でただけのチョップになったと聞いています。どうか、僕の神さんのこと、許してやってください。神宮司久子、神さん、神バー、ばあさん、かあさん・・・僕は神宮司久子のことを最後は母さんと呼んでいたのです。僕はそれくらい、母さんに愛されました。そして母さんのことを愛したのです。
僕と嵒が五中を去る日、体育館の階段に座り込んで「あたしゃ、どうすりゃいいんだい・・・」そう呟いた母さんの涙を今でも忘れられません。どれだけ悲しかったことか・・・
勿論、剣道部や次郎に「神さんを頼むぞ」と伝言していたので、その後も大丈夫だったのですが・・・どれだけ心細かったことか・・・あの涙こそが、神さんの僕らへの「信頼」だったと思っています。
神宮司久子・・・ピアノは打楽器のように弾いていたけど、歌は絶品でした。その神宮司久子が僕の歌を褒めてくれたことがありました。「あんたは歌が上手い」
片山陽子はピアノは超上手かったけど、歌は・・・やっぱり神宮司久子。その神宮司久子に褒められたのですから、調子に乗りますよねえ。僕は五中でも六中でも二中でも子ども達の前で歌を歌う・・・そんな教師になりました。全て、あの時の一言が決め手でした。
僕は今でも母さんの声を思い出すことが出来ます。いつでも母さんが僕を守ってくれているからだと思います。

打ってはいけない!2289
どんなワクチンにもリスクがあります。製薬会社はワクチンで儲けたい。儲けたいから宣伝をします。「安全で絶対に効きます」と宣伝します。税金を使って「ただということにして」売れたら一番儲かる・・・製薬会社は国会議員に接触します。「安全」で「子宮頸がん」を防げる唯一のワクチンである・・・国会議員達は、それを信じていてもいなくても、ワクチンを「無料」で打てる仕組みを作ります。勿論、税金を投入して・・・・
そうやって、女子中高生が「無料」でワクチンを接種させられたのです。
「子宮頸がんワクチンは唯一がんを予防できるワクチン」ではありません。確かに製薬会社はそう言って売り込みました。しかし、ワクチンの効用書にはそうは書いてないし、それを証明した人は誰もいないのです。一方でワクチンの副反応の被害は甚大です。痛みのある人生を生きるのは辛いものです。
打つまでは健康そのものだった女の子達の苦痛の叫びが届かないようでは人間ではありません!「精神的なものじゃないの?」「摂取により健康被害が生じたとは言えない」という医者や国は、「いじめがあったとは認められない」という、どこかの学校や教育委員会と同じで、被害者に寄り添う共感能力に欠けています。副反応に悩む子達は運動もできなければ、学校にも通えないのです。恋をして、悩むことも出来ないのです。それは人生を奪われたのと同じ事です。グローバリスト達から国民を守るための「安全第一」という「規制」を壊してはならないのです!岩盤規制が今の日本には必要です。子どもたちを守る規制がしっかりしていれば、この悲劇は起こらなかったのです・・。当時、中高生だった女の子達が二十歳を過ぎた女性になりました。一番、楽しい筈の時間が痛みの、その苦しみの時間に代わってしまったのです。その時間はもう戻りません。彼女たちに最大限の償いを・・・それが僕達大人の義務です。そして、同じ過ちを繰り返さない仕組みを作ることが僕たちの義務なのです。「規制緩和」なんか糞くらえ!です。

今日の写真1
中学校最後の100mで力走する空です。短距離を走るようになってから、まだ1年少ししか経っていません。顧問の潤先生の指導力を感じます。

今日の写真2
リレーのアンカーで走る空です。最後に一人抜いて・・・抜かれなかったので、凄い。親ばかってやつですね。水泳から長距離チームへ、そして短距離チームへ。子ども達の可能性って凄いんですねえ。

今日の写真3
五中4×100mRのメンバーの足です。みんな鍛えられた綺麗な足をしています。高校に行って、もっと逞しい足になるのでしょう。顧問の潤先生のような足になったら凄いなあ・・・。

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・

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