8月11日 (土)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第223弾! 2018年8月11日(土)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第223弾! 2018年8月11日(土)  たかやん

ピーちゃん
大事に、大事に飼っていたスズメのピーちゃんが鳥かごから逃げた。いつの間にか、庭の鳥かごの扉が開いていたのだ。「ぴーちゃん!!」大きな声で叫ぶと、電線にとまっていたピーちゃんが、「ぴよ」っと鳴いて僕を見た。そして、他のスズメと一緒に飛んで行ってしまった。そこで目が覚めたのだった。真夜中の2時のお話。(因みに我が家で鳥を飼ったことはありません)

歩いた!
黒目川に散歩に行った。驚いたのは車いすの母さんが、突然立ち上がって、歩いて行ったこと。「お母さん、歩けるようになったの?」笑顔の母さん。何かおかしい・・・そう思った時に目を覚ましたのだった。朝5時のお話。

朝勉179
今朝の朝勉は「防災」「経済」「算数」「英語」「日本史」・・・みんなが寝ている間に、独り朝勉に燃えたのだった。

母さん
久しぶりに母さんの顔を見に行った。今日は夏期講習もお休みだったのだ。夏期講習があると、準備と講習で結構時間を使う訳で・・・母さんにもなかなか会えないのだ。母さんは「久しぶり」と言って、僕らの手を握った。僕らは母さんの部屋を掃除して、snowで母さんを笑わせて、帰って来たのだった。

買い物
塾用に小さな机とパソコンとテレビの接続コード、マイクロUSBとTypeCの接続コード、
USBハブを買った。これで僕のノートパソコンも機能が拡張されそうである。

語呂合わせ
アジアの河川を覚える為の語呂合わせ「校長のチューはホンマめっちゃええ感じでいーんです」が余りにもドツボにはまったので、今朝は「傘と百舌鳥で吉野ケ里」を作成。自分の中でちょっと曖昧だった、亀ヶ岡遺跡、三内丸山遺跡、登呂遺跡、百舌鳥古墳群、吉野ケ里遺跡の名前と位置が頭に入ったのだった。

縄文時代と弥生時代
縄文時代は平和な時代で10000年以上続いたとされる。竪穴式住居に住み、土器は使うが、人間同士で争う為の武器も戦争もなく、平和な時代だった。ところが、稲作技術が伝わると、よい田を持つ者と持たざる者、貧富の差が生まれ、他人の収穫物や土地、富や労働力を奪うものが現れ、戦争がはじまり、勝ったものが王になり、負けたものは奴隷になった。こうして弥生時代が始まったらしい。
要するに、貧富の差が戦争のきっかけとなるのは、昔も今も同じだということだ。僕らは危険な時代に生きているのである。

卑弥呼は「日の御子」あるいは「日の巫女」
後漢書東夷伝にある「東夷」は東の野蛮という意味だ。邪馬台国にしたって、「邪」の字を使っている、本当なら「大和国」だろう。卑弥呼は「日の御子」か「日の巫女」に違いない。当時の中国の日本に対する感覚が分かるのである。

駅前開発
三島市長の「殺せ」には笑った。元自民党の市長だから、駅前開発に「本気」なのは分かる。だけど、本当に情けない。カメラが回っているところでやったのだから、三島市民は恥ずかしいと思ってるだろうねえ。


教師を目指す人へのメッセージ   第137弾!   記憶に残る教師達11

キノッピー。昭和52年4月、僕が五中に行ったとき、埼玉大学出身の先輩が三人いました。甲神嵒、川島勝治、木下保則の三人です。僕ら新任はみなこの3人に憧れていました。キノッピーというのは木下保則のあだ名です。キノッピーは国語の先生で水泳部の顧問。子ども達と一緒によく校舎の周りを走っていました。キノッピーの趣味は筋トレ、国語準備室にベンチプレスを置いて、水泳部の子ども達と一緒によく筋トレをしていました。
 キノッピーの国語の授業は僕のクラスでも人気でした。キノッピーは子ども達の意見を否定しないのです。正解ではなくても、「おーっ、そういう考え方もあるな」と子ども達の意見を取り上げてくれました。板書は無茶苦茶綺麗だったし、授業は面白いし、子ども達からは絶大な人気を誇っていました。そして、「学級通信」です。印刷室に行くと、キノッピーと会うことが多く・・・五中時代は僕の数少ないライバルでした。
 そのキノッピーが六中に校長としてきました。嬉しかったですねえ・・・。僕を理解してくれる校長が来たのですから・・・キノッピーは六中テニス部のよき理解者でもありました。六中テニス部は当時の六中では少し浮いた存在でした。夜明けと同時に練習をはじめ、下校時間を無視して練習をしていたからです。でも、キノッピーは見ていてくれたのです。テニス部が毎朝、六中の周りの掃除をし、外トイレも掃除をしていたことを・・・掃除をして、コート整備をしていると、他の部活の朝練の時間になるのです。7時15分よりも前に生徒が来ていると、「時間を守れ!」と怒る校長もいましたが、キノッピーは「お!テニス部は頑張るな!」「いつも掃除してくれてありがとう!」と子ども達を褒めるのです。テニス部の子ども達は朝練の前に、学校の内外を夢中になって掃除していました。六中テニス部は10年以上学校の周りを早朝、掃除し続けましたが、そのことを認めてくれたのはキノッピーと用務員の二方さんと近所の人達でした。
 キノッピーは僕が小学生の亮と二人ホームレスだった時、「俺の家に来い!」と僕ら二人を受け入れようとしてくれました。我が家は何十人もの居候を受け入れていましたが、いざ自分が居候ということになると、しかも、校長の家に居候となると、流石に躊躇ってしまう自分がいて・・・僕らは六中の噴水の前でパジェロの中で生活することになったのです。パジェロの中で3か月過ごせたのは、キノッピーのお陰でした。自分の家に居候させるのも学校の噴水の前に3か月も生活させるのも、普通の校長ならアウトでしょう。僕らがあの大ピンチを切り抜けることができたのは、キノッピーのお陰なのです。本当に感謝、感謝です。
 その後、二中で陵平が亡くなった時、キノッピーは学校教育部長でした。当時の教育委員会のメンバーで涙を流したのはキノッピーだけだったと、陵平の両親から聞きました。いつも子ども達に寄り添って生きてきたキノッピーらしい話です。本当に素敵な先輩でした。
 
打ってはいけない!2322
どんなワクチンにもリスクがあります。製薬会社はワクチンで儲けたい。儲けたいから宣伝をします。「安全で絶対に効きます」と宣伝します。税金を使って「ただということにして」売れたら一番儲かる・・・製薬会社は国会議員に接触します。「安全」で「子宮頸がん」を防げる唯一のワクチンである・・・至れり尽くせりのロビー活動に負けた国会議員達は、国民の為ではなく、それを信じていてもいなくても、税金を使って、ワクチンを「無料」で打てる仕組みを作ります。そうやって、母親達が騙され、女子中高生達が「無料」でワクチンを接種させられたのです。
「子宮頸がんワクチンは唯一がんを予防できるワクチン」ではありません。確かに製薬会社はそう言って売り込みました。しかし、ワクチンの効用書にはそうは書いてないし、それを証明した人は誰もいないのです。一方でワクチンの副反応の被害は甚大です。痛みのある人生を生きるのは辛いものです。
打つまでは健康そのものだった女の子達の苦痛の叫びが届かないようでは人間ではありません!「精神的なものじゃないの?」「摂取により健康被害が生じたとは言えない」という医者や国は、「いじめがあったとは認められない」という、どこかの学校や教育委員会と同じで、被害者に寄り添う共感能力に欠けています。副反応に悩む子達は運動もできなければ、学校にも通えないのです。恋をして、悩むことも出来ないのです。それは人生を奪われたのと同じ事です。グローバリスト達から国民を守るための「安全第一」という「規制」を壊してはならないのです!岩盤規制が今の日本には必要です。子どもたちを守る規制がしっかりしていれば、この悲劇は起こらなかったのです・・。当時、中高生だった女の子達が二十歳を過ぎた女性になりました。一番、楽しい筈の時間が痛みの、その苦しみの時間に代わってしまったのです。その時間はもう戻りません。彼女たちに最大限の償いを・・・それが僕達大人の義務です。そして、同じ過ちを繰り返さない仕組みを作ることが僕たちの義務なのです。「規制緩和」なんか糞くらえ!です。

今日の写真1.2.3
若いお父さんと男の子を見ていると、10年前の自分たちを思い出します。空がまだ「パパ」と呼んでくれていた頃、空は僕に引っ付き虫のように張り付いていました。そりゃあ、「ママ」には敵わなかったけど、「パパ」も人気があったのです。今思うと、二度と戻ってこない貴重な日々です。

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・


20180811-1.jpg 20180811-2.jpg 20180811-3.jpg