8月13日 (月)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第225弾! 2018年8月13日(月)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第225弾! 2018年8月13日(月)  たかやん

朝勉181
今朝も何故か3時に起きてしまった。どうも夜中に起きる癖がついてきたらしい。静かに、静かに朝勉開始。「日本史」「経済」「算数」「英語」そして「ナンプレ」

朝練
何故か空は7時前に家を出て、朝練に行った。ずっと走っていたので、勉強とピアノだけだと体がなまるのだろう。「200mは走れたんだけど、100mしか泳げなかった」と空。どうやら、部活の後にプールに入ったらしい。潤先生の粋な計らいである。

プール
そう言えば、五中でも六中でもテニス部はよくプールに入った。リレーなどもやったが、メインは水球だったような気がする。肉弾戦になり、バスケのセンスがあるチームが勝つ訳で・・・ゲームと関係のないところで、誰かを沈めるのが楽しみだった。当時は4泳法全てが泳げ、潜水も軽く50m以上いけたものだが、今は全くいけるきがしない。とほほほほ。

ナンプレ
まずい。変なものにはまってしまった。脳みそが面白い!と思ってしまうので、時間がとられてしまう。そんなことをやっている暇はないのだが・・・まずいぞ・・・

ナンプレ2
どうやらこれが「数独」らしいと気がついたのは今朝のこと。「数独」は石神井高校テニス部の2年先輩だった「鍛治さん」が日本に広めたという話はかなり前に聞いていたのだが、なるほど、鍛治さんらしいというか、凄いところに目を付けたものである。鍛治さんは僕らの代のテニス部ではヒーローである。インターハイは勿論、国体にも出て、全国ベスト8という戦績の持ち主なのである。鍛治さんはスマッシュの名手でコートのどこからでもスマッシュを打てた。それを見ていた僕も高校時代はロブが上がった瞬間、スマッシュと決めていて、大学でもロブを上げる相手は楽勝だった。大学1年でレギュラーになれたのも、まあ、鍛治さんのお陰である。
鍛治さんが凄いところは、それだけではない。あれだけ勉強をしなかったのに、1浪で慶応に入ったのだ。これにはみんながビックリで・・・「鍛治さんが慶応に入ったんだから、俺たちも全員、慶応には入れるぞ!」と、後輩には夢を見させてくれた人だった。そういう訳で、僕の滑り止めは「慶応」だったのである。慶応も舐められたものである。

夏期講習
13時半からは夏期講習。土日と休んで再開である。今日の4時間もホワイトボードを使ったり、パソコンを使ったり、色々やってみた。時の流れを感じるのである。
今日の語呂合わせは「渋いお天気中部の川。」信濃川、富士川、大井川、天竜川、木曽川・・・  
と「なますこ盆地」長野盆地、松本盆地、諏訪盆地、甲府盆地・・・地図を頭に入れて覚えると使えるのである。


夜の塾では面白すぎる質問に絶句。「ねえ、井原三角って誰?」『井原西鶴だろ・・・・』
「新井白石ってどんな石?」『石じゃなくて、人だよ。』「え?石じゃないの?」『長年やってきたけど、井原三角も新井白石の石も初めてだぜ・・・』


教師を目指す人へのメッセージ   第139弾!   記憶に残る先生12

鈴木松江。昭和52年4月、僕が五中に行ったとき、石神井高校の5年先輩を発見しました。
五中3期生の担任でした。林間学校も一緒に行ったのですが、はやり思い出があるのは3年2組の担任になってからでしょう。その時、僕は2年1組の担任でした。松江さんは、兎に角、掃除には厳しい先生でした。やんちゃな男の達でも掃除をサボったりすると容赦しません。「ここに座りなさい!」職員室で元気な男子が正座させられ、次の瞬間・・・松江チョップが・・・いやいや、ここには書けません。(笑)
 松江さんの授業はべらぼうに上手でした。板書も上手、脱線も上手で、子ども達を話に引きずり込むのが上手でした。僕自身、何度か松江さんに数学の質問をしたことがあります。その時の明解な解答に驚いた記憶があります。
 それでいて、子ども達からは「松江」と呼び捨てにされても、平気でいる先生でした。男子からは恐れられ、女子からは慕われていました。
 そこで、僕の登場です。小学生の男子がよくやるように、好きな女の子にちょっかいを出す・・・それをやりたくなったのです。他の先生ではダメで・・・どうしても松江さんにやりたくなってしまったのです。
 それが「蛇事件」です。理科準備室で大事に飼っていた「青大将」を生きたまま紙袋に入れて、松江先生の職員室の机の上にそっと置いておきました。そして、松江先生が授業から戻ってくるのをじっと待ったのです。その瞬間はやってきました。
 「ギャーッ!!」という声が職員室中に響き渡りました。「キャーっ!」ではありません。「ギャーッ!!」です。「誰?」次の瞬間、職員室中の目が僕に集中しました。僕は恐る恐る、松江先生の前に・・・「もう、許せない!」松江先生の顔は青ざめていました。僕は必死に謝りました。『もう二度としません。』「当たり前です」『松江先生のお願い、三つまで聞くから、許して!!』「・・・・・」そうやって、松江先生のお願いを三つ聞くという約束で僕は許して貰いました。因みに、そのお願いは今も有効で、あと一つ残っています。松江先生とは五中の10期生でも同じ学年、六中でも同じ学年で仕事をしました。本当に素敵な担任でした。涙もろくて・・・子ども達に慕われ、子ども達の為によく泣いていました。市教委に誘われた時、松江さんに相談をされました。『子ども達の為に、学校に残ってよ。』『子ども達が悲しむよ。』と僕は言ったのですが、どうしても・・・という、市教委の事情で松江先生は市教委へ。その後、校長になり、教育委員長になり・・・僕と議会で対面・・・担任することが生きがいだった僕らには、考えもつかないことでした。人生、何があるかわかりませんね。松江先生は昔も今も僕の自慢の先輩です。

打ってはいけない!2323
どんなワクチンにもリスクがあります。製薬会社はワクチンで儲けたい。儲けたいから宣伝をします。「安全で絶対に効きます」と宣伝します。税金を使って「ただということにして」売れたら一番儲かる・・・製薬会社は国会議員に接触します。「安全」で「子宮頸がん」を防げる唯一のワクチンである・・・至れり尽くせりのロビー活動に負けた国会議員達は、国民の為ではなく、それを信じていてもいなくても、税金を使って、ワクチンを「無料」で打てる仕組みを作ります。そうやって、母親達が騙され、女子中高生達が「無料」でワクチンを接種させられたのです。
「子宮頸がんワクチンは唯一がんを予防できるワクチン」ではありません。確かに製薬会社はそう言って売り込みました。しかし、ワクチンの効用書にはそうは書いてないし、それを証明した人は誰もいないのです。一方でワクチンの副反応の被害は甚大です。痛みのある人生を生きるのは辛いものです。
打つまでは健康そのものだった女の子達の苦痛の叫びが届かないようでは人間ではありません!「精神的なものじゃないの?」「摂取により健康被害が生じたとは言えない」という医者や国は、「いじめがあったとは認められない」という、どこかの学校や教育委員会と同じで、被害者に寄り添う共感能力に欠けています。副反応に悩む子達は運動もできなければ、学校にも通えないのです。恋をして、悩むことも出来ないのです。それは人生を奪われたのと同じ事です。グローバリスト達から国民を守るための「安全第一」という「規制」を壊してはならないのです!岩盤規制が今の日本には必要です。子どもたちを守る規制がしっかりしていれば、この悲劇は起こらなかったのです・・。当時、中高生だった女の子達が二十歳を過ぎた女性になりました。一番、楽しい筈の時間が痛みの、その苦しみの時間に代わってしまったのです。その時間はもう戻りません。彼女たちに最大限の償いを・・・それが僕達大人の義務です。そして、同じ過ちを繰り返さない仕組みを作ることが僕たちの義務なのです。「規制緩和」なんか糞くらえ!です。

今日の写真1・2
今年、最初で最後の「アイスクリームとあんみつ」と所沢でのご馳走です。旨かったあああああああ。

今日の写真3
母さんとのふざけたツーショットです。兎に角、母さんが笑うのを見たくて・・・毎回、
やってしまうのです。
*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・


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