1月23日 (水) 『一生懸命』幻のたかやん日記 第23弾 2019年1月23日(水) たかやん 『一生懸命』幻のたかやん日記 第23弾 2019年1月23日(水) たかやん 川掃除のお知らせ 今月の川掃除は今度の日曜日、27日(日)です。9時に栗原1丁目公園に集合です。11頃まで行います。スタートは栗原1丁目公園で馬喰橋まで土手を掃除し、そこから川の中に入り、神宝大橋まで向かいます。(川の中に入りたい人は前もって言ってください。胴長を用意します。)途中までの参加も途中からの参加も大歓迎です。午後5時から石神集会所で反省会があります。反省会だけの参加も大歓迎です。 090−6497−5737 たかやん 朝勉348 今朝も「歴史」と「経済」と「英語」を少々。 レーニング156 今日もスクワットとチューブトレーニングそして、ストレッチを少々。 面接 今日も家族全員5時過ぎには目が覚めて・・・・。空ママはお弁当作り、空は朝シャワー、僕は朝勉・・・ 8時過ぎ 高校に到着。久しぶりに空とグータッチ。今日の面接で全てが決まるかと思うと、空も僕のパワーが欲しかったのだろう・・・。『がんばれ!』(うん) 午前中 空ママの体調が悪く、掃除をしたり、片付けをしたり・・・マンションの理事会の仕事をしたり・・・ 12時 昨日受験したS高校の合格発表。パソコンで見ると・・・合格していた。空は取り合えず、4月から高校生にはなれそうである。S高校は校長の話が面白く、英語に力を入れてくれそうなので、空には合っているかな・・そう思っている。 13時過ぎ 市役所に到着。13時半からの代表者会議に遅刻はできない。控室で着替えて、議長室に向かう。一番乗りだった。 議会人事 4人の議員が次の3月議会ではいなくなることになり・・・・結構、大変なことになりそうである。委員会のメンバーが代わるだけではなく、副議長や常任委員長まで変わる可能性が出て来た訳で・・・。 15時過ぎ 代表者会議が終わり、母さんのところへ。母さんの手をポンポンしていると、母さんは寝てしまった。そして、ふと気がつくと、僕の顔を見て最高の笑顔を見せてくれた訳で・・・・ まだ? 母さんのところから家に電話をする。『空、帰ってきた?』「まだ」携帯を持たない空の面接がいつ終わったのかが分からないのである・・・ちょっと心配になって、『高校を見てから帰るね・・・』「分かった」 不安 高校の門は閉まっていた。受験生が中にいる様子はない。面接の後、いったいどこへ行ってしまったのか・・・だんだん不安になってきた。面接ができなくて・・・いやいや、空を信じよう。ちゃんと帰って来る筈だ。 まだ?2 18時を回った。いくら何でも遅すぎると、心配になってきた。朝の8時半から夕方の5時半まで面接があるなんて、考えてもいなかったのである。空は6時半頃に戻ってきた。ホッとする空父と空母。9時間の面接に仲間と共に耐えた空に拍手である。 止まらない・・・ 空は夕飯の間、話し続けた。面接であったこと。先輩のこと。面接で出会った友達のこと。そして、面接で会った先生のこと・・・空の話は止まることがなかった。 塾 夜は塾。小学生と数学、英語、理科に燃える。頑張る小学生達に拍手である。そして中二と「理科」「社会」に燃えたのだった。 阿呆か・・ 辺野古の埋め立てが酷い。赤土に関してはもう見苦しいとかいいようのない国の答弁である。プーチンには馬鹿にされ、沖縄県民の意志は無視するのだから阿呆とか言いようがない。 入学金 空の行きたい高校の入学金は34万円。授業料は年間74万円。施設設備費が13万円。色々入れると126万2650円。ふーっ!絶対に合格して欲しいけど、我が家の家計は厳しくなる訳で・・・・いや、それでも絶対に合格して欲しい!!空父は頑張るよ!大丈夫だからね、空。 教師目指す人へのメッセージ 第308弾! 視野2 僕は二中を辞めてから、直ぐにカナダに行きました。トロントの近くの教え子の家にホームステイしたのです。カナダ人の友達も直ぐできて・・・近所の人達とも仲良くなったのですが・・・何しろ田舎だったので、広い空が「もう沢山だ!」と感じるようになってしまいました。 そして、ニューヨークの教え子のところに飛んだのです。ニューヨークは楽しかったですね。僕自身、東京生まれの東京育ちだったこともあってか、カナダの「ど」がつくような田舎よりも「都会」の方が気持ちが楽だったのかも知れません。カナダでは「日本人?」という感じでしたが、ニューヨークでは僕が何人なのか、誰も全く気にしてませんでした。要するに、それこそ色んな国の人がゴチャゴチャしていた訳で・・・そのお陰でニューヨークに溶け込んでいる自分がいたのです。 田舎から出てきたアメリカ人観光客に声を掛けられ、ストロベリーフィールズの場所を説明したり、地下鉄の駅を教えたり・・・・そんな体験も新鮮でした。 六中のテニス部の子達から「早く戻って来て」というメールが来て・・・僕は日本に戻りました。そして、関東大会、全国大会に行って・・・・無職の数か月は終わりました。 地方公務員から「無職」という経験はなかなかいいものでした。ここから、「復活」するぞ!・・そんな気持ちになったのです。無職でも家はありましたから、何とか生きてはいけました。 その年の秋、僕は石神で「たかやん塾」をはじめました。親友、至の家で「たかやん塾」はスタートしたのです。生徒は太陽、のぼる、まい子、法子の4人でした。そこで太陽は理科で80点以上伸びて・・・他の子達の成績も伸びて・・・数か月の石神での「たかやん塾」は終わります。家賃も何もない、ありがたい「塾」のスタートでした。 それから僕は新堀で「りじゅん」という「うどん屋」をはじめます。お好み屋さんだった1階を改装しました。僕の21年間の退職金の大部分はそこで消えてなくなりました。 「りじゅん」は「理科準備室」の略です。普通の人は滅多に経験しない「うどん屋」という仕事を経験できたことも僕にはいい経験でした。 そして、同時に2階で「たかやん塾」をはじめます。もう、滅茶苦茶です。1階は「うどん屋」2階は「学習塾」という日本でも世界でも、多分一つしかない事業?を僕は経験します。そして、数か月後、その「無理」に気がつき・・・「うどん屋」を断念、「塾一本」の生活に入ります。 それはボランティアで六中テニス部を教え、夜は「塾」という・・・生活は楽しかったけれど、経済的には苦しい生活のはじまりでした。教師をしていた時には味わったことのない、「経済的な不安」を感じた時期でした。 今日の写真1 母さんの手はいつもと同じでした。温かくて、優しくて・・・何があっても、僕を守ってくれた手の温もりは昔も今も同じでした。 今日の写真2 母さんのところから、空が受験した高校に向かいました。面接に失敗して、どこかで落ち込んでいるのだろうか・・・正門は閉まっているし・・・この時点で、空がまだ中にいることなど、想像できなかった訳で・・・空のことになると、どうしても心配性になってしまう自分がいます。 *この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・ |