10月25日 (金)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第298弾!  2019年10月25日(木) たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第298弾!  2019年10月25日(木) たかやん

朝勉
今朝もみんなが寝ている間、朝勉。6時から基礎英語を聞きながら・・・最後に「英会話」をやって、それから高校数学で楽しんだのだった。

大雨
朝からかなりの雨が降っていた。東久留米に行く車が多く、空はかなり余裕を持って家を出たのだが・・・・駅に着いた時は結構ギリだった。傘を差しダッシュで東口に向かい、元気よく階段を昇っていった空であった。


9時からは近所の山田鍼灸治療院へ。大雨の中長靴を履いて行った。「昔、大雪だから長靴で登校しようとしたら、通学靴じゃないと駄目だって、怒られたんですよね」『意味わからねえよなあ。昔から頭の悪い教師はいたからなあ・・・六中の靴は俺が自由にしちゃったけどねえ・・・』「そうなんですか」『六中生諸君、君たちが今三中のように白い靴で登校しなくて済んでいるのは六中テニス部の先輩達のお陰なんだぜ。そう言ってやりたいねえ。』
色々お喋りをしながら、鍼が終わると・・・体がスッキリしたのだった。

3年連続
富山県の教諭が過労死した問題。3年間連続で勤務時間外労働が月に100時間を超えたらしい。今、教師の長時間労働が問題になっている。過労死した方も3年の担任でソフトテニス部の顧問で、と昔の自分と重なるところがあって、悲しくなった。僕の場合、時間外労働は月に200時間を軽く超えていて、それが15年は続いた訳だけど・・・・楽しくてやっていたから、別に何てことは無かった訳で・・・でも、無理してやっていたら、辛かっただろうなあ・・・そう思うのです。

会議
15時からは会議。ところが時間を過ぎてもヒロさんが来ない。電話をしても反応なし。そんなことは今までなかったので、心配になり・・・事務所まで行くと・・・のび太(ダックス)の声はするが、ヒロさんは出てこない。心配になって、心配になって・・・奥さんに見てきて貰うと・・・・「ごめーん!会議明日だと思って寝てた!」と元気なヒロさんの声が・・・・大事な人を失ったかと思って、ヒヤヒヤしたのだった。ああ、よかった!!

S先生
和光三中に昔S先生という女の先生がいました。五中の軟式テニスの時代、和光三中には負けた記憶はなかったのですが、五中が硬式テニス部になってから・・・和光三中が全国制覇したという話を聞いた記憶があります。五中軟式テニス部は市大会、班大会、県南大会までは優勝していましたが、県大会では直ぐ負けていたので、ビックリでした。
そのS先生に3年間担任してもらったという卒業生の話を聞いて笑いました。「S先生は豪快で、家庭訪問して朝まで飲んで泊っていった」というのです。『それじゃまるで俺じゃん!』「豪快ですよねえ」『女の先生でねえ・・・凄いわ。』「よく怒られました。怒られた記憶しかありません」『でも、そういう記憶っていい楽しい記憶だね。』「はい」
僕も家庭訪問で泊った経験はありますが、女の先生でそれをやるのは並大抵のことではありません。本当に豪快な先生だったんですねえ。S先生はお元気でしょうか。多分、僕よりかなり先輩だったかなと・・・・。

学年1位
『テストどうだった?』「数1が学年1位だった」『凄いじゃん。』「でも、まだKに負けてる」どうやら、クラスで1位の女の子とテストの合計点で戦っているらしい。『英語じゃなくて、数学で学年1位は凄いんじゃない?』「簡単なところだから・・・」『英語は?』「今日も返って来なかった」『あら・・・・』どこの学校にもテストを直ぐに返せないのがいるのよねえ。俺はテストを作るのは遅かったが、何があっても、テストだけは即返していた。テストをテスト後の授業で返せないっていうのは、要するに仕事をサボっている訳で・・・・まいっか。
兎に角、どんな教科でも「学年1位」を取ると、自分の意識が変わってくるのは確かなことで・・・俺も「学年1位」を取って、みんなに「凄いねえ」って言われて、自信がついたんだった。


夜は塾。90分の内、85分はずっと話をした。自分の小学校中学校時代の超悪ガキだった頃の話。中二になって、河合隆慶に出会って、突然「やる気」になった話。偏差値が急に40から63に上がった話。3年になって、友達に恵まれ更に上がった話。その頃の夢。高校生になって、トップで合格したけど、1年でクラスで最下位になった話。高校時代に吐きそうな練習をしたので、大学受験で一日13時間勉強しても、ちっとも苦しくなかった話。
大学に入って、テニスばかりいた話。その頃の夢。そして、大学3年生になって、突然教師になろうと思った話。でも、物理的に無理だった話。それを何とか乗り切った話。教員採用試験に合格するも、合格通知が届かなかった話。
新座五中に赴任し、まさかの3年生の担任になった話。そして、2年生も教えることになった話。3年4組の初日の話。
体育館に生徒に呼び出された話。そして、子ども達との受験の数々の思い出・・・そりゃあ、話が途切れることは無い訳で・・・子ども達はとってもいい顔で聞いてくれたのだった。『さ、今日から一緒に頑張るぞ。今日の今日からね。』

教師を目指す人へのメッセージ  第582弾!    文化祭

前日、つまり昨日、8時近くまで5人は頑張った。一番遅れていた4組の為に、お腹が減るのを我慢しながら5人は本当に頑張った。一将、良子、正雄、勝崇・・・そしてサザエさん。お疲れ様でした。
舞台発表がはじまった。生徒会本部の劇には笑った。会長のサルが凄かった。2年生の劇もなかなかよかったぞ。
*1991年頃までは六中にも文化祭があったんですよねえ。みんなで遅くまで準備して・・・みんなで学校に泊ったこともありましたねえ。今じゃ、考えられないことでしょうけれど・・・当時はアリ?でしたね。

こころ
昨夜は体調が悪かった。喉が腫れ、熱があった。でも3キロのランニングは休めない。やけくそになって最初から飛ばした。後ろから誰かがついてくる。3周、4周、5周・・・振り返らなくても分かる。こころだ。あの足音。あの息遣い・・・。俺にぴったりついてくる。記録を狙っているのがわかる。こころが何を考えているのかが分かる。(今日は体調が悪い)という言い訳が俺の心から消えた。気合が入った。急に足が軽くなったような気がした。
8周、9周、10周・・・一番苦しいところを乗り切った。11周、12周、13周・・・俺も苦しいけれど、こころも苦しい。そう思うと苦しみが半分になるから不思議だ。ラスト2周、こころの息遣いが消えた。11分57秒・・・こころは12分01秒、自己ベストだ。もし、最後まで息遣いが聴こえるようになったら・・・こころ、燃やしてくれるぜ!
*3キロを12分。五中の陸上部の子達と比べたら、屁みたいな記録ですが、六中テニス部の「猛練習」の後、クタクタになった状態での3キロですから、よく走っていたと思います。この日のことは今でも覚えています。

文化レベル
弁論とピアノの演奏を聴いて悲しくなった。静かに出来ないのである。ザワザワした中での音楽なんか聴きたくないのである。マナーが育ってないのである。我慢というヤツができないのである。六中の文化レベルは極めて低い。見てくれがどうであれ、これじゃあ「文化」とは程遠い。家でも学校でも子ども達にマナーを教えてないんだろうなあ・・・ばっか野郎!
*馬鹿野郎はないですが・・・「規則を守る」ことばかりを教えていると「マナーを知らない」子達ができることは確かなことです。

チャンポン
昨夜は久しぶりにチャンポンを作った。これがまた美味いのなんのって・・・俺って、料理のセンスがあるのである。今まで色んなチャンポンを食べてきたけれど、昨夜のチャンポンが一番美味かった訳で・・・。
*もう何年も作ってませんね。当時の教え子達は僕のチャンポンの味を覚えているらしく・・・「たかやんのチャンポン食べたい!」と、今でもリクエストが来ます。
『一生懸命』幻の学級通信第113弾! 新座市立第六中学校1年4組  1991.10.2  から
*1991年の1年4組が蘇ってきます。季節も同じくらいになってきて・・・余計思い出せるのです。

今日の写真1
午前中の黒目川です。台風19号の時と比べると、水量は少ないので大丈夫だと思いました。雨水管からの排水口の水位が気になりましたが・・・・。

今日の写真2
雨でやることがないので、箪笥の整理をしていたら、Tシャツがわんさか出てきて・・・これでも全部ではなくて・・・捨てるか、誰かにあげるか(貰ってくれる人がいればだけど・・・)どうしよう・・・。

今日の写真3
先日買った本です。前に読んで余りにも面白かったので、読み返しています。何故、韓国ドラマにはまり、ハン・ヒョジュやイ・ジゥに魅力を感じるのか、何故、同時に韓国や北朝鮮に嫌悪感を感じるのか・・・よく分かる本です。

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・・

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