11月22日 (金)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第326弾!  2019年11月22日(金) たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第326弾!  2019年11月22日(金) たかやん

駅立ちのお知らせ
本日22日(金)の志木駅南口での5時半〜8時半の駅立ち、無事終了しました。来週、25日(月)は清瀬駅北口で5時半〜8時半、26日(火)は清瀬駅南口で5時半〜8時半の予定です。楽しみにしていた朝霞台は12月1日(日)が朝霞市の選挙の投票日なので、選挙が終わってからに立つ予定です。
本日も沢山の笑顔をありがとうございました。

川掃除のお知らせ
今月の川掃除は明日23日(土)に行います。9時に栗原一丁目公園に集合です。そこから土手を掃除して、下流の馬喰橋まで行きます。そこから、川の中と土手の二手に分かれて、栗原一丁目公園まで川を遡り掃除して、公園にゴミを一旦置いて、神宝大橋まで掃除をして・・・休憩。そこからは全員で土手を掃除して、再び栗原一丁目公園に戻ってゴミを下ろし解散です。黒目川を綺麗にすることは勿論ですが、海に流れ出るプラごみを少しでも減らし、マイクロプラスチックを減らす運動に参加しませんか。途中からの参加、途中までの参加も大歓迎です。
*雨の場合は朝7時の段階で判断します。夕方、5時から石神集会所で反省会がありますが、雨の場合、反省会は15時からになります。連絡は090−6497−5737 たかやんまで。

3時50分
今朝は目覚まし無しで4時前に目が覚めた。5時半から志木駅南口なので、少し早めに起きたのだ。ひばりが丘、東久留米、保谷までは近いのだが、新座、志木、清瀬、朝霞台はちょっと遠く、特に志木と朝霞台は我が家からは遠いのである。

5時半
志木駅南口での駅立ちがはじまった。思ったより、駅前の工事が進んでなくて・・・もの凄く狭い場所での駅立ちになってしまった。こんな場所でど真ん中に立ったら、絶対に邪魔になると思ったので、そこは柔軟に考えて、階段から降りて来る人達の流れを見ながら移動することにしたのだった。

朝勉
志木駅南口は思ったよりも静かで、「英会話」のtrainingは断念。朝勉は家に戻ってからになった訳で・・・なんか、10時を過ぎると、もう朝勉とは呼べない気がしたのだが・・・やらないよりはいいので、パソコンを使って、色々やったのだった。

大輔と実樹
7時前に大輔が登場。そして、7時頃実樹も登場。二人は僕の「たかやん幟」の左右に立って、1時間ちょっと「にいざ民報」を配布していた。二人は偉いなあと思う。毎週金曜日、駅立ちをするのだから・・・志木駅南口は駅立ち泣かせの駅である。平松大佑以外はスルーされるのが当たり前・・・そんな駅なのだ。大佑と一緒に立つと、ダブルスコアー以上の差を付けられる訳で・・・・本当に凄いのである。それでも、バックパックは大分軽くなった。300部には遥かに届かなかったけど・・・。

ポスター
今朝も山本太郎と一緒の駅立ちになった。「あれ」という顔をする人は多かった。初めて「一生懸命」を手にしてくれた人は10人程だったかな・・・

ハグ
最後の最後に文が来てくれた。二中時代の教え子で、たかやん塾の卒業生でもある。最高の笑顔で登場した文と思い切りハグして、一緒に写真を撮って・・・ハイタッチして送り出したのだった。昨日の駅立ちはめぐで、今朝の駅立ちは文で終了したのだった。新座駅では俊彰とめぐ、志木駅では大輔と文。二中時代の子達にも会えて、本当に幸せな1週間だった。

180弾!
雨が降って、時間があったので180弾!の作成に取り掛かることにした。まだ駅立ちの最中だが、来月号を考えるのだからせっかちである。学級通信と同じで、書くことが止まらない病気かも知れない・・・

名札
夜は塾。クラスで名札を預けたら、また無くなってしまったという中三の娘。「もう何回目だろう・・・」クラスで預けて無くなったのに、「みんなに言う?」と担任は言ったらしい。クラスで生徒の物が無くなって、それも複数回無くなって・・・・そんな聞き方があるだろうか。本当にそう言ったのだとしたら、国語力もなければ、共感能力もない。厳しく言うと担任力0に等しい。そもそも、何で子ども達は名札を付けさせられているのだろう。高校大学で名札を付ける子はいない。この時期になれば、いくら記憶力のない教師でも子ども達の顔と名前は一致するだろうに。名札をつけなくてよければ、無くなることもない。頻繁に自分の物だけが無くなる子達にとって、そのシステムはいかがなものか・・・。


教師を目指す人へのメッセージ  第610弾!     課題 (12月議会の一般質問)

 昨日の朝、新座駅南口に立っていた時、ある方に「新座の中学校の課題なんとかしましょうよ」そう言われました。余りの課題の量に子ども達が参っている。保護者の方達もそう思っているのです。学校では当たり前のことが、外の世界から見ると「普通じゃないよね」「どうしちゃったんだろう」と見えるのです。
 僕は23歳の時から、43年間、ずっと子ども達と一緒に学んできました。昔から、「宿題」はありましたし、課題のようなものもありましたが、問題を感じたことはありませんでした。最初の20年間は。
僕が初めて課題が「異常」だと感じたのは3校目の21年目のことです。2校目までは試験範囲の中に教科書と学校で買った「問題集の該当ページ」は試験範囲として、試験一週間前に配布されていました。でも、その問題集をやったかどうかが問われることはありませんでした。当時の評価は「相対評価」が主流でしたが、仲間たちは「テストの結果」と「授業態度」を中心に評価をしていたようでした。僕はと言えば、一人だけ「絶対評価」でした。仲間達と足並みを揃えることはしなかったのです。90点平均を取ったら、どんな子でも5をつけていたのです。平均で70点以上取れば4というように、最初の授業で評価の基準を生徒達に伝えることで、問題が起きることは一度もありませんでした。もっとも県立高校に提出する「内申」だけは、同僚たちと同じように「相対評価」をしましたが、それ以外の評価は今と同じ「絶対評価」にしたのです。ところがその学校は違ったのです。課題の提出が評価の絶対条件だったのです。試験が終わった日に、子ども達は徹夜をするのが当たり前になっていました。
 「相対評価」は90点取っても「3」がつくことがある評価です。逆に60点でも「5」がつくこともあります。相対評価はその子の全体の位置が評価されるからです。そして、教師の主観が評価に入り易いのも相対評価の欠点です。テストの点数が悪くても、お気に入りの子には評価を上げる、逆にテストの点数が良くても、授業態度が悪ければ、それを理由に評価を下げる。それが出来てしまうのが「相対評価」の大きな欠点でした。学校のレベルによって、同じ5という評価でも学力差があることも高校側は問題にしていました。
 さて、今の学校は「相対評価」から「絶対評価」になりました。こんなに素敵なことはありません。力さえあれば、何人に5を付けてもいいのです。教師が分かり易い、いい授業さえすれば、子ども達の評価は全体的にどんどん上がることになります。今の県立高校の入試システムは内申がそのまま点数化していますから、いい授業をして、子ども達の力を伸ばしてやりさえすれば、それが子ども達の大きな援護射撃になります。周りを蹴落として自分が5を取らなきゃという「相対評価」ではないのですから、仲間と一緒に頑張って一緒に成績を上げることができます。子ども達が健全に育つ可能性が高い訳です。
 ところが、折角そういうシステムになったのに、「大量の課題」が子ども達を苦しめています。友達ではなく、教師が足を引っ張っているのです。今の課題の怖いところは、平均点が95点を超えていても、課題の提出日を間違え、1日遅れただけで5から4へ。酷い時は5から3に落とされることがあることです。課題だけではなく授業態度、授業中の挙手の回数まで評価の対象になるのですから、子ども達の学校での緊張感は大変なものになります。多くの子ども達にとって、試験前に家で課題をやることが「勉強すること」になっていくのも当たり前です。テストでいくらいい点数をとっても、課題を出さなければ評価を下げられるのですから。さらに高校側が部活動や委員会活動も点数化するとしたことで、部活動の評価を上げる為に自分が部長になろうとして同学年の部長候補を虐めてやめさせようとしたりすることまで起きています。子ども達は評価を少しでも上げる為にボランティア活動を行い、常に教師に対して「いい子になろう」と努力するようになってきています。私の息子はある教科で100点を取りましたが、評価は4でした。彼が一番得意な教科で、課題も全て出していたのに4。小さい頃から賞を取っていた教科でしたが・・・4。そこに教師の主観が入っていたことは間違いないでしょう。折角の「絶対評価」なのに、教師の主観が入ってしまう。それでは絶対評価の意味がありません。
 僕が心配しているのはそれだけではありません。大量の課題提出が先生達の「多忙化」の一因になっているからです。テストの結果だけで判断すれば、時間的にも精神的にもかなり楽になります。学力格差がある子ども達も自分が必要な勉強ができるようになります。
テストの絶対評価に「課題提出」や「授業態度」プラスして考えるのなら、気楽に出来るのですが・・・「減点」していくとなると、どちらもピリピリします。過去に荒れた経験のある学校や教師達程、「内申」を利用して、生徒指導をする傾向にあります。子ども達の「よい所」を見つけるのではなく、「悪いところ」に目がいくようになると・・・生徒との信頼関係はどんどん無くなっていきます。それが癖になってしまうと、笑顔がなくなり「腕組み」をし、「目つきが悪くなり」「人相も悪く」なっていきます。子ども達は段々息苦しくなり、教師の前では笑顔でいても、裏では「虐め」や「不登校」に繋がっていくのです。
「新座の中学校の課題なんとかしましょうよ!」朝の新座駅での市民の方の声をこの12月議会で取り上げます。

今日の写真1
志木
駅南口駅前は工事をしているので、車をどこに停めるのか迷いました。いつもは銀行の駐車場に停めるのですが、今回はずっと大きな幟を車に乗せて来ているので、なるべく近くまで来たかったのです。何とか南口の傍まで近づいて・・・5時半にはスタートできたのでした。ほっ!

今日の写真2
5時半。僕が立っているところから見える風景です。前の南口とは全然違う場所に見えます。右側が見えないので圧迫感があります。広くてもラッシュ時は大量の人が押し寄せてくるので、この幅で人が押し寄せると、どんな感じになるのかな・・・と、思っていたのですが・・・自分が動くことで全然大丈夫でした。


今日の写真3
7時前から8時過ぎまで、僕の「たかやん幟」の左右で大輔と実樹が頑張っていました。彼らは毎週金曜日。僕は月に一度の金曜日なので、必ず一緒になります。会派は違っても、駅立ちをしている人を見ると・・・嬉しくなるのです。

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・・

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