12月29日 (日)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第363弾!  2019年12月29日(日)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第363弾!  2019年12月29日(日)  たかやん

たかやんの応援団の皆様へ
いつも応援ありがとうございます。たかやんの応援団では、来年2020年2月9日(日)告示、2月16日(日)投票の市議会議員選挙で9日(日)の朝、ポスターを張ってくれる方、9日(日)〜15日(土)の間、選挙カーを運転してくれる方、ウグイス(カラス)、選挙事務所スタッフ、電話かけなど選挙をお手伝いしてくれる方(ボランティア)を募集しています。また、お知り合いの方を紹介して頂ける方も大歓迎です。連絡をお待ちしています。たかやんの応援団団長、一瀬猛彦(五中1期生)090−6497−5737(たかやん)

川掃除のお知らせ
来年1月は12(日)の予定です。9時に栗原1丁目公園に集合です。詳しくは後程
連絡先 090−6497−5737  たかやん携帯まで

ポスティング1日目
今日から本格的なポスティング開始ということで、やっぱり4時過ぎに目が覚めてしまった。駅立ちとは違ったワクワク感があったのかも知れない。暗い内から行こうかなとも思ったのだが、暗いと地図が見えない訳で・・・お日様が昇るのを待ったのだった。

栗原5・6丁目
自転車で栗原に向かった。途中で五中10期生のエイトの家に寄って、久しぶりにお母さんの笑顔を見て、元気を貰って・・・栗原5丁目へ。最初に行ったのは五中4期生の敦子の家。お母さんに会って、ツーショット。周りの家にポスティングした後、同じクラスの宏美の家へ行って・・・宏美とお母さんにも会えて「すっぴんだから駄目」と写真は取れなかったのだが、結構話が出来て・・・『あの頃の俺は25、26歳、生意気だったよねえ・・・お前も超生意気な15歳だったけど』「成熟してたって言ってよ」と大笑い。宏美は六中で教育実習に来てくれた訳で・・・それから、亮のところに寄って、安全確認をした後、栗原6丁目へ。五中7期生の右文のお父さんの清右さんに会いたかったのだが、留守で会えず・・・それでも、ポスティングをしていたら、六中緑ジャージの渡辺義正君に「たかやん先生ですよね?」と声を掛けられて・・・『え?なんでここにいるの?』「越してきたんです。両親はまだ西堀に居ます」『なるほど・・・いやあ、嬉しいなあ・・・』その後、五中4期生のババツの家に行くと・・・丁度ババツとお母さんが出てくるところで・・・何だかもう、家庭訪問をしている気分になって・・・五中1期生の泉の家に行って・・・8期生の理佳子の家に行って・・・栗原公園の前で瑞穂ちゃんにバッタリ!!暫く話をしてから・・・家に戻ったのだった。この間、3時間・・・それが又超楽しい3時間だった訳で・・・3時間の駅立ちと比べると、動けるし、温かいし、話が出来るし・・・超楽しかった訳で・・・・

栗原1丁目
3時間かけても栗原5・6m目は全然まわり切れなかったのだが、午後は栗原1丁目に向かった。そこではなるべく「家庭訪問」はしないことにして、ポスティングだけに集中したのだが・・・それでも「たかやん!」と教え子や教え子のお母さん達とバッタリ会ってしまう訳で・・・でも、一番嬉しかったのは、全く教え子の家とは関係の無い住宅でポスティングを試みようとしたとき、若いお父さんに『よかったら、これ読んでください・・・』「あ、いつも駅で頂いています」『ひばりですか?』「そうです。頑張ってください。応援しています!」と言われた時。今までの駅立ちをちゃんを見て、応援してくれている若い世代が居てくれたことが嬉しかった。そうやって、3時間頑張ったのだが、まだまだまわり切れなかった訳で・・・結局、今日は6時間のポスティングしたぞーっ!
家に戻って、血糖値を測ると・・・84しかなく・・・慌てて、リンゴを食べたのだった。

準備
それから明日のポスティングの準備。何だかポスティングが面白くなってしまったのだ。駅立ちと違うのは、「家庭訪問」の記憶が蘇ってくるところだ。五中の家庭訪問など、40年以上前のことなのだが、不思議なことに覚えているのである。今日のポスティングでバックパックにもポスティングに合うバックパックと合わないバックパックがあることが分かったり・・・着て良いジャンパーといけないジャンパーがあることが分かったりして、いい勉強になった。駅立ちはそれなりの経験を積んだのだが、ポスティングは初心者だったのである。明日も天気に恵まれるといいなあ。午後からは冬期講習なので、午前中しかできないが・・・明日も栗原5・6丁目を中心にポスティングに燃えるとしよう。

高校数学
ポスティングの準備をしていると、空が数学の質問をしてきた。関数の場合分けの問題で、なかなかのレベルだった。それが面白くて、二人でああだこうだ言いながら、ホワイトボードで関数を楽しんだのだった。空は今日も軽く10時間は机に向かっているんじゃないかな。疲れるとピアノを弾いて・・・またホワイトボードに向かって・・・・

教師を目指す人へのメッセージ  第646弾!    訂正

「あたし、知りゃあいいのなんて言ってないからね」『言ったじゃねえか・・・』「言ってない」『言いました。』「知ればよろしゅうございますかって言ったんだよ。」『ばか言ってるよ。』「お母さんに怒られるから、ネ、お願い」『だって、その通りに書いたんだもん・・・』「駄目、言葉遣いが悪いって怒られる・・」『自分が悪いんだろ』「お願い!訂正して!」食い下がる尚代。『分かったよ。訂正すればいいんだろ』「うん」嬉しそうな尚代。廊下に出て7組の千葉純一を見つけると、走りこんで後ろから蹴りを入れる尚代であった。『お前、それでも女か!!学級通信に書いてやる!』「あー駄目、お願い。書かないで・・・」『書いちゃうよーだ。』という訳で、昨日の『一生懸命』のノーチャイムの3行目。「えーっ、じゃあどうやって時間を知りゃあいいの」は「えーっ、じゃあどのように時間を知ればよろしゅうございますか」に訂正します。チャン、チャン。

パジャマ
3時間目の女子の体育はサッカーとドッチボール。『負けたチームは半袖だぞ!』「えーっ・・・」10分後、負けたのは俺のチームだった。しかも、0−2。2回戦、何とか2−1で勝ち、『ホラ、お前らも脱げよ・・・』そこで見たものは・・・
まず、理沙のシャツを見てビックリ・・・紘子のシャツを見てもっとビックリ・・・
『何だそりゃ!パジャマか!?』ま、兎に角、相手チームのシャツはバラエティーに富んでいた。宮下先生が見たら腰を抜かすかも知れない・・・そんなシャツばかりで・・・
しかし、運動量はなかなかのもので、これが女かと思うくらいの凄まじい勢いでボールに突進し、蹴り、ぶつかり、投げていたのには感心したのだった。たった50分だったけど、汗びっしょり・・・2キロは痩せたような気がした担任であった。
『一生懸命』幻の学級通信 第212弾! 新座市立第六中学校2年4組1993年2月16日
*当時の六中はジャージや制服の下に何を着ているかなんて、チェックしてなかったんでしょうね。

今日の写真1
久しぶりに五中10期生のエイトに会いました。五中で1番足が速く、全中で大活躍した選手でした。浦和学院に行っても足の速さは1番で、テニスでも県大会で優勝するなど、有名な選手でした。今は、僕の方が強いかも・・・おほほほほ。

今日の写真2
五中4期生のババツとお母さんです。「応援するわよ」『ありがとうございます』実は亡くなったババツのお父さんの遺言があって、僕は血糖値に気をつけるようになったのです。駅立ちをするようになったのはババツの一言でしたから、本当に感謝感謝なのです。

今日の写真3
五中5期生のデカです。赤団の応援団長で体育祭に燃えに燃えました。ドトールの専務になって、レンジローバーという超高級車に乗っているデカ。日本の高級車とポルシェにも乗っているというから驚きだ。『流石応援団長だねえ・・』「いえいえ、先生達のお陰です。本田先生とたかやんにはビシバシ殴られて鍛えられましたから・・・」『え?俺、デカのこと殴った?』「はい。本田先生とたかやんには・・ビシバシと・・・」『誠は殴るだろうけど、何で俺が殴るの?』「応援団のことで・・・」『えーっ!デカとはいい思い出しかないんだけど・・・』「俺もですよ。いい思い出だけです。」『そ?それならいいけど・・・』まったく、若い頃の自分に言ってやりたい。可愛い子ども達を殴るんじゃない!って・・・。

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・・

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