12月5日 (木)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第339弾!  2019年12月5日(木)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第339弾!  2019年12月5日(木)  たかやん

たかやんの応援団の皆様へ
いつも応援ありがとうございます。たかやんの応援団では、来年2020年2月9日(日)告示、2月16日(日)投票の市議会議員選挙で9日(日)の朝、ポスターを張ってくれる方、9日(日)〜15日(土)の間、選挙カーを運転してくれる方、ウグイス、カラス、電話かけなど選挙をお手伝いしてくれる方を募集しています。また、お知り合いの方を紹介して頂ける方も大歓迎です。連絡をお待ちしています。
たかやんの応援団団長、一瀬猛彦(五中1期生)090−6497−5737(たかやん)

4時半
誰かが僕の顔を舐めている。勿論、ココアだ。寒いから、布団の中に入れて欲しいのだろう。布団をめくると・・・嬉しそうに入ってきた。なかなか温かいぞ・・・

朝勉
昨夜も空と「真夜中塾」をやり、頭の中は数学で一杯。という訳で、朝から数学をやったのだった。なんか、楽しいぞ・・・。

7時過ぎ
空を東久留米に送る。空はかなり余裕をもって、階段を上がっていったのだった。睡眠時間は短い筈なのに・・・頑張るねえ。

9時
控室に到着。少しtrainingをして、スーツに着替える。そして、議場に向かったのだった。

10時22分
まだ、和平が質問をしている。今日から一般質問がスタート。トップバッターが和平。このところずっと1番で質問している。一番で質問するということは、通告を1番に出したということで、やる気が伝わってくるのである。因みに、一番最後は「市民と語る会」の坊主。彼はやる気はあるのだが、いつも通告を出すのがギリギリな訳で・・・今回も最後になってしまったのさ。とほほほほ。

坊主
ところで、俺はいつから坊主になったのだろう。最初に坊主になったのは、高校2年の秋。1年先輩の純二と「負けた方が坊主な」という賭け試合をしたのだ。インターハイ選手の純二に負ける気は全くしなかったのだが、修学旅行から戻ってきた次の日に 試合をするという純二の姑息な作戦にひっかかり、5−7で負けて・・・野球部の部室でそのまま坊主にされて・・・それが、17歳の頃。その後は10年くらい床屋に行った記憶がなく・・・五中に赴任したときは長髪だったような記憶がある。
次に坊主になったのは、テニス部全員坊主にした時、一緒にやったような気が・・・それから、夏になる度に坊主になっていたような気がする。六中に行ってからは、坊主というより、頭を剃ったりしていたので、今の髪型に近かったと思う。そして、もう人生の半分以上、坊主なのである。坊主は楽でいいよねえ・・・。

11時半過ぎ
鈴木秀一さんの大きな声が議場に響き渡っている。本日の3人目。傍聴は18人。なかなかいい感じである。やはり、傍聴がないのは寂しい訳で・・・羨ましい限りである。

隙間時間
議会が早く終わったので、家に戻って、庭テニス。そして、縄跳びをして・・・体を温めたのだった。

ギター
テニスの後はギター。少し指が昔に戻ってきたかも知れない。声の方は今一だけどねえ・・・。昔みたいに高温が出ない訳で・・・とほほほほ。


夜は塾。高1の娘との個別塾。学校やバイトの愚痴を聞いてからのスタートになった。それにしても、小学校時代に皆勤だった娘がまさか中学校で不登校になるとは、誰も思わなかったに違いない。元気いっぱいで、明るくて、そして優しい心を持っている娘は今も中学時代の傷を抱えて生きている。友達や担任や顧問から受けた心の傷は深い。僕の仕事は娘に寄り添うこと。中学時代に学ぶはずだったことを二人で学び、そして確実に高校の単位を取る手助けをすることである。
後半は受験生の娘達と中一の息子の塾。数学と英語を軸に、質問に答えたり、授業をやったり・・・それがまた楽しい訳で・・・

深夜塾
「お父さん」『ん?』空が化学の質問をしてきたのは0時半過ぎ。そこから、化学基礎塾がはじまった。『何が分からないの?』「PHと電離度、中和のところ」『なるほど・・・』そこから、二人で問題を一緒に解きはじめ・・・空が「分かった」「できた」と言ったのは1時半近くになっていた。中学受験でも高校受験でも僕に質問をしたことがなかった空が、高校生になって僕を必要としてくれている。それが嬉しくて、張り切ってしまう空父であった。
今日も一日、幸せだったよ。お父さん、お母さん、嵒さん、神さん、おやすみなさい。明日もよろしくお願いします。

教師を目指す人へのメッセージ  第622弾!   担任の仕事

僕は21年間の教師生活で「担任」に拘ってきました。その気になれば「教頭」は勿論、「校長」にも簡単になれたでしょうが、どうしても「担任」という仕事の魅力には勝てませんでした。「学年主任」も「進路指導主任」にも全く魅力を感じたことはありません。
だって、「担任」という仕事は僕の「天職」だったからです。
「担任」という仕事は「子ども達の為に生きる」ことが幸せに感じる人がなるものです。
「担任」の為に、「学校」の為に生きるような子ども達を求める人には向いていません。意味が分かりますか?「担任」や「学校」に自分を合わせる・・・そういう子ども達を求めてはいけないということです。大事なことは「子ども達に自分を合わせる」ことであって、「自分に子ども達を合わせる」ことじゃないんです。それが分からないと本物の「担任」にはなれません。「担任」の資格・意欲・覚悟がない人が「担任」をしている学校、クラスが多くなっているように感じるのは僕だけではないでしょう。教職を経験してなくても、嘗て、本物の「担任」と出会ってきた人たちは、みなそう感じる筈です。
「先生」「先生」と呼ばれている内に、自分が偉いと勘違いして、子ども達をコントロールしようとする人達は「担任」は勿論、教師に向いていません。
そういう人達は「内申」や「成績」という言葉を頻繁に使って、子ども達を脅すので直ぐに分かります。そういう人は、自分の思い通りにならないと、平気で子ども達に暴言を吐きます。自分では「暴言」ではなく「指導」だと思い込むのも、そういうタイプの教師の特徴です。そういうタイプが多い学校は、子ども達にとっては勿論、僕のような「担任」タイプの先生達にとっても生きづらい、働きづらい場所になります。
学校中が下らないルールや決まりごとで溢れている学校がそういう学校です。
「不登校」や「心の病」で子ども達も先生達も学校に行くのが辛くなるのは当たり前です。そして、当たり前のことですが、「学力」も平均に届きません。授業力がないのに、大量の「課題」を子ども達に課すのですから、学力が伸びなくて当たり前です。
 授業に自信がある「先生」は子ども達の進度が違うことをちゃんと理解しているので、
それぞれの子にそれぞれの課題のやり方を教えます。決して自分の授業力のなさを「課題」を大量に出すことでカバーしようとはしないものです。
授業に自信のある「先生」は出来ない子を出来るようにすることに「全神経」を使います。そして、出来る子がもっと出来るようにすることに脳みそを使います。特に出来ない子が出来るようになることに最大の喜びを感じるのです。「担任」って、そういうものなんです。
いいですか、本物の「担任」は天地がひっくり返っても、出来ない子に「何故課題を出さない!」「早く課題を出せ!」「課題を出さないと評価を下げるぞ」「どうなってもいいのか!」「高校に行けないぞ」「高校で通用しないぞ」そんな言葉を吐くことはありません。その言葉は完全にパワハラです。
本物の担任は「大丈夫だよ」「一緒に頑張ろうね」「高校にも絶対に入れるよ」「安心して、こうやってやれば出来るからね」「絶対に諦めないよ」「朝、早く来て一緒にやろう」「クラスのみんなで一緒にやろう」「放課後も一緒に勉強しよう」
そういう言葉を言うのが本物の「担任」です。
これを読んだあなたが、本物の「担任」であることを、そして、子ども達の人生をサポートする、本物の「担任」になることを、そして、そういう若い先生を育てる「校長」になることを祈っています。

今日の写真1
朝9時過ぎの控室です。僕はtrainingが終わったところ。これから和平がトップバッターで質問をする・・・そんな時間帯です。和平は一人会派になって、どんどん質問力、そして議員力が上がっているように思います。

今日の写真2
昼休みの控室です。この控室も大佑、和久がいなくなり5人の部屋が3人になりました。
この3人で写真を撮ることはもうないかも知れませんね。

今日の写真3
我が家の駐車場から見た西の空です。朝もいいけれど、夕方もまた味があります。空が綺麗だなと感じられる余裕があることが幸せなのかも知れませんね。

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・・

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