2月1日 (金)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第32弾  2019年2月1日(金)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第32弾  2019年2月1日(金)  たかやん

駅立ちのお知らせ
28日(月)から駅立ちの予定でしたが、都合により延期します。169弾!は、近日中にHPには掲載しますので、よろしくお願いします。

朝勉357
今朝も数学に燃える。完全に数学にはまってしまった・・・とほほほほ。

レーニング164
スクワット・チューブトレーニング・素振りだけのトレーニング。ランニングもテニスもなし。そうすると血糖値は下がらない訳で・・・わかっちゃいるけど、やめられない!!

中学受験
多くの子ども達が緊張しながら、受験に向かった日。親は祈るような気持ちで見送ったことだろう。同じ受験生の親として、その気持ちがよく分かる。頑張った全ての子達の笑顔を見たいものである。
しかし、そこは「テスト」である。うまくいった子もいれば、難しい問題にお手上げの子もいただろう。面接で緊張し、泣いてしまった子もいるかも知れない。
倍率がある以上は頑張った子全員が合格することはない。「受験」の理由もいろいろだと思う。今の公立中学に失望して受験させる親もいれば、自分の出身校だからと受験させる親もいるだろう。学校見学に行き、先輩達の余りの素晴らしさに受験を決めた親子もいるだろう。中学受験に賛否はあるだろうが、「選択」できるということは幸せなことである。「受験」という険しい道を「選択」出来ることが幸せなのである。今の世の中、親に経済的余裕がなければ、受験はできない。塾に行かせることもできなければ、高額の通信教育を受けることもできない。「受験」という「選択」が出来る子と出来ない子がいることが悲しい。
受験できることは幸せなことなのである。貧しい家の子でも「受験」が出来る国にしたいものである。貧しい家の子でも行きたい大学があれば、親の経済力を気にせずに「受験」できる国にしたいものである。勉強さえすれば、誰もが「受験」でき、「進学」できる国にしたいものである。

第三者委員会で検証
10歳の女の子が父親に殺された。学校が「秘密は守ります」と言って書かせたアンケートを、父親に「見せろ」と凄まれた学校が、それを市教委に任せ、その市教委がアンケートのコピーを父親に見せてしまったのだ。こんな阿呆な学校、市教委の何を検証しようというのだ。学校と市教委の「教師達」の無知と無責任は「第三者委員会」なるものを作るまでもないだろう。
10歳の女の子の叫びを、「学校」と「市教委」の「教師達」が無視したのである。子ども達を守るのではなく、自分達を守る為に・・・彼女を殺したのは父親だが、それに手を貸したのは「無知」で「無責任」な「教師集団」である。
何かが起こると「第三者委員会」を作って、誤魔化そうとする。今回の事件は、警察案件ではないのか。学校と市教委の「守秘義務」はどこへいったのだ。反吐がでるぜ・・・。

明石市長
あの泉市長が辞職を発表した。7年間も買収交渉が出来なかった市の職員に対しての暴言が問題になったのである。あの暴言の前の言葉を全てカットして流した「音声」は意図的であったことは間違いない。力のある市長が部下の録音で辞職に追い込まれる・・・録音した部下の顔が見たいものである。何故、7年間かけても危険な交差点の買収が進められなかったのか、聞いてみたいものである。


19時からは塾。中二、中三と実に充実したいい時間が過ごせたと思う。何が幸せかって・・・子ども達と一緒に学び、子ども達の成長を感じられることが幸せなのである。

夜勉
塾の後、久しぶりに空と数学の問題を考えた。ホワイトボードは僕が使い、数学の問題を説明していく空父。別の解き方がある!と食らいつく空。そして、その後は空先生の英語の授業がはじまった訳で・・・それがまた難しいのである。空の英語力の高さに驚いた空父であった。中三の頃の空と僕とを比べたら、月とスッポンである。


教師目指す人へのメッセージ    第317弾!   担任の仕事

 10歳の女の子が「先生、助けて!」と言った時、一番最初に彼女に手を差し伸べられたのは担任だった筈です。悪魔のような父親から、彼女を守れたのは実は担任の先生だったのです。彼女を守るのは「児童相談所」でも「市教委」でも「学校」でもなく「担任」だったのです。裏を返せば、それだけ「児童相談所」も「学校」も「市教委」も子ども達にとっては「信頼」できる組織ではないということです。
 担任という仕事はそういう仕事なのです。何が何でも子ども達を守る・・・それが担任です。親から虐待されている子ども達がこれだけ大勢いるのですから、「虐め」は勿論、親からの「虐待」から子ども達を守るのも担任の仕事なのです。その仕事を「校長」や「市教委」に投げてはいけないのです。
 自分のクラスの子どもは「本当の自分の子」くらいの覚悟が必要だということです。少なくとも僕は21年間、そういう気持ちで担任をしてきました。「そんな馬鹿な」という人もいるかも知れませんが、本当のことです。担任という生き物は、それだけ子ども達に入れ込むものなのです。本当の親と同じように接することはできないけれど・・・本当の親になれるくらいの気持ちを持つのが「担任」という仕事です。
 若いみなさんには分からないかも知れませんが、少なくとも子ども達は「担任」にそういうものを求めています。
 僕は小中学校の担任の先生達に、「人生」を救ってもらいました。その恩返しは、先生達には出来ません。僕が担任した子ども達にしか返せないのです。それが「教育」です。先生から頂いた「愛」を自分の子ども達に伝えていく・・・それが「教育」なんです。

カタール
森保ジャパンはよく戦った。勝つ時があれば負ける時もある。それがスポーツの世界である。ずっと勝ち続けることはできない。ブラジルも、アルゼンチンもフランスも・・・当たり前だ。相手も必死に勝とうとしているのだから・・・今回の敗戦は次回の糧になるだろう。一喜一憂しない監督を見て、僕はそう思った。個人的には西野監督が大好きだが、森保監督には西野監督にはない魅力を感じるのである。

今日の写真1
北大の2年先輩の幸弘です。2年先輩なのに「幸弘」と呼んでしまうところが僕なのですが・・・幸弘には可愛い妹がいました。僕が大学生の時、高校生だったと思います。彼女の笑顔しか覚えてないのですが・・・亡くなったという葉書が来て・・・呆然としている自分がいます。幸弘に何か伝えたいのに、それができない自分がいます。きっと、19歳の頃の自分に戻ってしまっているのでしょう。自分よりも若い人達がいなくなるのはいけません。どうも納得できない自分がいます。

教の写真2
いつだったか、黒目川の川掃除に参加してくれた「よしのり」です。よりのりは僕の駅立ちの師匠です。「駅立ち」って言葉で言うのは簡単ですが、それを「続ける」のは大変です。それを続けてきた人だから、尊敬できるのです。人を尊敬するのに年齢は関係ありません。若くても「尊敬に値する人」は世の中に大勢います。よしのりもその一人です。

教の写真3
この写真を見て、東久留米東口だと気がつく人は凄いです。駅立ちをしていると、こうして愛する娘達に会えることがあるのです。だから、駅立ちがやめられないのです。わけあって先月は立てませんでしたが、そろそろ行こうと思っています。

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・

20190201-1.jpg 20190201-2.jpg 20190201-3.jpg