2月14日 (木)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第45弾  2019年2月14日(木)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第45弾  2019年2月14日(木)  たかやん

苦しい・・
バレンタインデーだというのに、朝から苦しい自分がいた。どうしても、母さんのことを考えてしまうのだ。子ども達のことも心配だけれど・・・どうしても、母さんに集中してしまう訳で・・・

朝勉370
苦しいときでも、朝勉はやめる訳にいかず・・・今日も経済のお勉強で誤魔化したのだった。

トレーニング179
今日もランニングはせず、スクワットとチューブだけ。血糖値は久しぶりに119を記録。何日ぶりの110台である。

入院
午前中にかかりつけのお医者さんと相談し、母さんは堀之内病院かイムスふじみ野病院に入院をお願いすることになった。第一希望は堀之内病院で第二希望がイムスふじみ野病院ということになった。兎に角今の「脱水」の状態が改善されれば、少し戻るかも知れないということだった。

あっことオタンコ
お昼過ぎに、五中4期生のアッコとオタンコが夫婦揃って母さんのお見舞いに来てくれた。「お母さん、お母さんと麻雀した人連れて来たよ!」とアッコ。母さんと握手するオタンコ。「手が温かい」と喜ぶオタンコ。「お母さんは幸せだね」とアッコ。二人とも我が家に入り浸っていた子達なのである。家族のようなものなのだ。確かにお母さんは幸せだ。息子の
教え子達がこうして、心配して駆けつけてくれるのだから・・・

入院手続き
堀之内病院で入院手続きをした。採血をして、点滴をしている間、隣のベッドにはインフルエンザの患者が二人。母さんはマスクをして貰っていたけれど・・・大丈夫かなあ・・・免疫力が落ちているだろうから、心配になってきた。

亮と久美子
仕事帰りの亮も堀之内病院に駆けつけてくれた。本当に優しい孫である。そして、五中4期生の久美子も寒い中、自転車で「会いに行ってくる」と病院に駆けつけてくれた。かわいい孫と息子の教え子に愛されて、母さんは本当に幸せである。


7時からは塾。お姉ちゃんがインフルAに感染し、来られなくなってしまった子がいて可哀そうだった。その穴を埋めたのが中二の男の子。只管数学に燃えてみた。元々頭脳明晰の子なので、図形問題をどんどんこなしていって・・・・1か月分の数学を2時間でクリヤーしたのだった。


教師目指す人へのメッセージ    第333弾!   「が」と「でも」

 高校入試が終わり、西戸山小学校の6年3組の担任だった桑名喜久枝先生のところに合格の報告に行った時の話です。「開成に合格しました」とヒグ。「凄いじゃない!」と喜久枝先生。「新宿高校です」と創。「凄いじゃない!」と喜久枝先生。「御茶ノ水合格しました」と正子ちゃん。「凄いじゃない!」と喜久枝先生。「戸山合格しました」とみはるちゃん。「凄いじゃない!」と喜久枝先生。そして、僕が「石神井合格しました」と言うと、「石神井もいい学校よ」と喜久枝先生。僕はこの時、凄く寂しい気持ちになりました。顔は笑っていましたが、心は少し引き攣っていたのです。石神井は僕が行きたくて、行きたくてしょうがない学校でした。男なので「御茶ノ水」には入れませんが、開成よりも、戸山よりも、新宿よりも行きたい学校が石神井だったのです。当時の僕は開成以外はどこにでも入れる学力がありましたが、自分が選択した学校は石神井だったのです。そりゃあ、「偏差値」で見たら「開成」にも「戸山」にも勝てないけれど、テニスでは一番だったのですから、僕にとっては一番でした。その嬉しさを先生に伝えたかったのに、石神井「も」いい学校よ。と言われてしまったのです。
 僕は石神井「が」よかったのに、石神井「も」いい学校と言われて、悲しくなりました。先生に悪気はなかったのだと思います。確かに、偏差値でみたら「開成」「戸山」「御茶ノ水」「新宿」は石神井より優秀な学校だったかも知れません。でも、僕は「石神井」に行きたかったので「石神井」「が」よかったのです。「も」と「が」の違いは、それ程の違いがありました。その辛さを知っているのに、僕の中にも「も」や「でも」がいつの間にか入り込んでいたかも知れないことに、最近気がつきました。
 担任や、親が「が」いいと思えれば、子ども達は幸せな気持ちになります。逆に「でも」いいじゃない・・・「だって」いい学校よ。と言われたら・・・子ども達はどんなに惨めな気持ちになるでしょう。15歳の自分が傷ついた言葉を65歳になって、思い出しました。
みなさんも普段から「助詞」に気をつけてくださいね。
 
今日の写真1・2
お母さんのところに来てくれた五中4期生のアッコとオタンコです。教え子がお袋を慕って来てくれる・・・こんなに幸せなことはありません。

今日の写真3
入院した母さんの手を握る亮です。母さんは幸せです。こうやって、孫が来てくれて、手を握ってくれるのですから・・・。亮には厳しい母さんでしたが、その厳しさは「愛」という厳しさだったのでしょう。

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・

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