3月25日 (月)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第84弾  2019年3月25日(月)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第84弾  2019年3月25日(月)  たかやん

川掃除のお知らせ
昨日、24日(日)黒目川の川掃除は無事に終わりました。参加してくれたみなさん、ありがとうございました。来月はまだ未定です。また連絡します。

川口
来月14日(日)川口市の貢の応援に行ける人、連絡ください。車を出して貰えると更に助かります。連絡待っています!090 6497 5737 たかやん

駅立ちのお知らせ
選挙の合間を縫って、4月8日(月)から駅立ちをしたいと思います。8日(月)はひばりが丘北口、9日(火)は東久留米東口・・・保谷、新座、志木と行えれば嬉しいです。その次の週からは選挙がはじまるので、清瀬はそれが終わってからになります。

朝勉412
今朝は4時半から高校の化学を少々。英検のお勉強を少々。

味噌汁
今朝も冷凍庫にあった味噌玉を使って、みそ汁を作る。久しぶりに「もやしの味噌汁」である。安くて美味しい味噌汁で、目を覚ましたのだった。

マジか・・・!
この間、作成した「一生懸命」が消えて無くなっていて困った。ただ、脳みその中には入っていたので、再生することは可能だったので・・・修正しながら再生したのだった。その作業は思ったより時間がかかり・・・とほほほほ。

郵便局
黒目川で拾った「免許」と「保険証」を持ち主に速達で送った。免許と保険証は財布と一緒に川の底から拾われ、ドロドロだったのだが、水で綺麗に洗って、乾かして・・・手紙と一緒に送ったのだった。

郵便局2
黒目川で拾った、銀行の通帳2通を郵便局から速達で送った。1通に会社名が書いてあったので、ネットで調べて電話で連絡をしたのだ。「ありがとうございます!」と言われ、本当に嬉しかった。川掃除がひょんなことで誰かの役に立てて嬉しい限りである。お金は警察に届けるが、警察に行くと時間がかかるし、色々面倒なので、お金以外のものは直接送るようにしているのである。

辺野古
沖縄の綺麗な海に米軍基地を新規に作ろうとする「安倍晋三」とその一味には「考える力」がない「どうしようもない馬鹿だな」・・・そう思っていたが、どうやら違うようだ。彼らには「国民のことを考える力」がないのであって、自分や自分の仲間たちのことだけはしっかりと「考えられる力」があるのである。名護市長(自民)への土建業者からの「寄付」が凄い。流石自民党である。自分が儲けることしか考えてない奴らと仲がいい。そう考えると、全てのことが説明できる。弱いところに、自分の言うことを聞かない人達に「全て責任転嫁する」政権に未来はない。

採点ミス
彼方此方の入試で採点ミスが話題になっている。まさか、こんなに近いところで採点ミスにぶつかるとは・・・でも、今回の採点ミスは神様からの贈り物だと思うことに・・・・。ひっくり返して合格しても面白くも何ともないから・・・。

塾1
前半は中二の娘。「眠い・・・」を連発するが、中三の数学に入った途端、目の色が変わった。式の展開から因数分解へ。いい顔をしているぜ。子ども達の集中力には本当に驚かされるのである。

塾2
塾の後半は新中一の息子と新中二の息子達。教科は「数学」「英語」そして「理科」4月から正式に入塾する子達なのだが、呑み込みがはやいというか、才能があるというか・・・どれだけ伸びるか、今から楽しみである。

教師を目指す人へのメッセージ    第372弾!   家庭訪問

 昔当たり前のようにあった「家庭訪問」がどうやら、なくなりつつあるようです。親の負担が大きいとかなんとか・・・まあ、親の声がきっかけ?なのでしょうが、「教師の負担」も減るので、どっちにとっても都合がいいのかも知れません。
しかし、公務員が机の上でしか仕事をしなくなったら終わりなのと同じで、教師が学校の中だけで仕事をするようになったら終わりです。(教師も公務員ですねえ・・・)
 一番怖いのは教師の呼び出しに「親は学校に来て当たり前」勿論、「生徒は学校に呼び出して当たり前」「親や生徒は時間通りに来て当たり前」「教師は学校に居ればいい」という感覚を持ってしまうことです。
児童生徒の虐待や苛めを見抜けない教師が増えたのは、そういう感覚が当たり前のようになったことと関係があります。
 「家庭」を見せたがらない親は「見られたら困る」のです。「先生」が家庭訪問に来るなら、「掃除」をすればいいだけです。それが「負担」でしょうか。「家庭訪問があると、掃除をするきっかけになって、家が綺麗になる」という考え方もあるのです。
教師サイドから見て、学校という閉鎖された空間から、子ども達が普段生活している「家庭」という空間に顔を出すことが、それ程「負担」でしょうか。親と直接話をすれば、「家庭での虐待」が分かるかも知れません。「学校での苛め」が分かるかも知れません。「先生が知らない友人関係」が分かるかも知れません。親は学校に来るとき、自分を作って来ます。それが普通です。でも、家ではなかなかそうもいかないのです。だから、家庭訪問には意味があるのです。子ども達がどんな空間で生活をしているのか、それを知ることには意味があります。それが「負担」になるのなら「虐待」や「虐め」を見抜く先生になるのは無理です。
今、アクティブラーニングという言葉が持て囃されていますが、「学校の敷地内に籠っている教師が」アクティブラーニングという言葉を遣うことに抵抗がないのでしょうか。家庭訪問の時間は10分〜15分かも知れません。それでも、子ども達が普段生活している場所の空気を吸って、匂いを嗅ぎ、親の目を見て話をすることは教師にとって、とても大切なことなのです。教室で「授業だけやっていればいい」そんな教師が増えてきたから、「虐めは確認できませんでした」という学校が多いのです。そう、受け身の教師達には「虐めは見えない」のです。そういう教師達は「虐めに気づけない」のです。だから「確認できない」だけの話です。
若い内から「学校の敷地内に籠る教師」にだけはならないでくださいね。教師も校外に出てアクティブに学ぶことが大事ですよ。

今日の写真1・2
川掃除をしていると、可愛い動物たちとも会うことができます。このニャンコは僕にお腹を撫でさせてくれました。

今日の写真3
川掃除をしていると、ふと立ち止まって、桜の蕾を見る余裕がでることも・・・・そんな日曜日でした。

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・

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