4月1日 (月)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第91弾  2019年4月1日(月)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第91弾  2019年4月1日(月)  たかやん

川口
来月14日(日)川口市の藤田貢の応援に行ける人、連絡ください。車を出して貰えると更に助かります。連絡待っています!090 6497 5737 たかやん
賢二、文夫、一早、関口さん夫婦、ひとみ・・・あと1人で4台になるのですが・・・もう一台必要らしく・・・あと3人必要です。

駅立ちのお知らせ
選挙の合間を縫って、4月8日(月)から駅立ちをしたいと思います。8日(月)はひばりが丘北口、9日(火)は東久留米東口・・・保谷、新座、志木と行えれば嬉しいです。その次の週からは選挙がはじまるので、清瀬はそれが終わってからになります。

朝勉419
いよいよラジオ英会話がスタートした。6時45分から15分間集中し、全て暗唱してから空を東久留米に送る。空も今日から5日間続けての朝勉(朝8時半から、夕方4時半までの英語の授業)が始まる。負けてはいられないのである。

補助金
学校に到着し、直ぐに事務室で補助金申請の書類を提出した。マイナンバーを記入する場所があり、住民票と免許証のコピーで受理してもらった。こんなところで、マイナンバーが使われているのよねえ。一度提出すると、再提出はないらしいけれど・・・・。

9時半
高校の体育館で新入生の説明会が始まろうとしている。僕らは保護者席の最前列、僕らの前の席は生徒席。坊主頭の野球部らしき子ども達と、真面目な感じの女生徒達が笑顔で話をしいる。

10時5分前 
体育館に入って来る新入生の中に空の姿を発見。少し緊張した顔をしている。英語の授業の途中で、体育館に集められたのだろう。中学から上がってきた子達は笑顔で話しているが、高校からの子達は緊張している・・・当たり前か。

校長の話
「新入生諸君、入学おめでとう」「ここの学校はあたしが言うのもなんだけど、いい学校です」「あたしがここに来たのは25年前でした」「進学実績は史上空前です」「ここの勉強は厳しいです」「地獄に来たと思って頑張ってね」「北海道大学3名」「東北大学4名」「先輩達のデータを追い越して行かなきゃ駄目だよ」「入学式の前から英語の授業をやる学校はないと思う」「私も早稲田ですけどね」「早稲田がナンボのもんだ」「早稲田は3科目ですよ」「諸君の代は早稲田に100人受かって貰わなきゃ困る」「来年は東大に3人は入れたい」「今日二人ほどマヌケな奴がいてね・・・車道を歩いていたんだね。車道は歩いちゃだめだよ」「歩きスマホなんて馬鹿がね、いるんだよ」「兎に角、安全が第一だからね」「みなさんには大きな夢を持って欲しい」「みんな知ってるよね、be ambitious, boys!」「君たちにも大きな志を持って欲しい。」「東大目指さなくても、北大目指してね」「一番大事なのは読書です」「活字の向こうに天才がいる」「ヘーゲルの思想に触れることができるんです」「図書館の殆どの本は私の本だからね、持って帰ってもいい。無くなってもいい。」「英字新聞なんかもね、君らが新聞読んでいるとね、凄く嬉しくなる」「一番大事なのは自学自習です」「自分で勉強して、自分で覚えてしまいなさい」「あたしは明治大学の2部の時はね、夜間部の時、一番勉強したんだ」「ここの授業で全部授業で頭に入れてしまうんだよ」「ここの学校の先生は若いけれど、みな優秀です」「君ら、本当にいい学校に入ったんだよ。」「私の話は終わりです」
校長先生の話は面白かった。
生徒が退場した後、保護者だけのガイダンスになった。校長先生の話の後、教務部長のお話があり、評価は絶対評価でつける。80点以上は5、65点以上80点未満で4、45点〜65点で3、30〜45点で2.0〜30で1である。出たーっ!これぞ、俺のやり方である。いいじゃん、いいじゃん。もっとも、13科目中7科目1がついたら、進級させない。欠課が4分の1以上ある場合は「時数不足」とする。遅刻、早退は2回で1日分の欠席とみなす。とまあ、厳しいものもあったのだが・・・評価の基準が分かりやすいのが一番である。子ども達は平均で80点を超えることを目指せばいいのだから・・・・。

校長室
保護者向けのガイダンスの後、校長先生と話をした。「北海道出身なんですか?」「そうですよ。」「僕、北大の水産学部だったんです」「そうなの?僕は函館の水産学部に友達が一杯いますよ」「先生はどちらですか?」「滝川です」「そうだったんですね」「函館の話は尽きませんよ。いつでも校長室に来てください」そう言って、校長先生は僕に名刺を渡したのだった。
いつでも遊びにいらっしゃいと言われたら、行かなくっちゃね・・・。

令和
この選挙の真っ最中に、あの会見は何だろう。「元号を決められる程、俺は偉い」・・・そう言いたいのだろうが・・・元号(皇室)を選挙に利用しているとしか見えなかった。国民に寄り添ってきた「天皇」と国民を裏切ってきた「総理大臣」。二人の生き方は余りにも対象的である。

教師を目指す人へのメッセージ    第379弾!   4月1日
 4月1日は教師にとって特別な日です。特に、新しい学校に赴任した時の4月1日は緊張します。
昭和52年の4月。僕は23歳。中村敞一郎に呼ばれ「お前、3年の担任やれ」そう言われた日もこの日でした。「3年の担任」と言われた時のショックは想像以上のものでした。(自分にできるだろうか)、(子ども達が僕の言うことを聞いてくれるだろうか)・・・(そもそも、僕は3年生の授業を出来るだろうか)・・・そんなことが頭をよぎりました。
昭和62年の4月1日。僕は33歳。校長は宮越東海先生。「担任は1年生」「硬式テニス部を作っていいぞ。」そう言われて、嬉しかったのを覚えていますが・・・当時の六中は「管理教育」が幅をきかせていて、閉口しました。それでも、いい仲間、いい生徒達と出会えて、六中は徐々に自由は校風になっていきました。
その10年後の4月1日。僕は43歳。「担任は3年生」校長室で校長と教頭から「硬式テニス部は作らせない」「子ども達と仲良くするな」と言われた時のショックは計り知れないものでした。
当時の二中は六中の1年目より、更に「管理的」で・・・子ども達が「内申」を気にして、「授業中の挙手の回数」まで気にしていることに驚きました。そして、号令がないと「挨拶」が出来ない子ども達を見て、(なんとかしなきゃ・・)そう思ったことを今でも覚えています。勿論、それは子ども達が悪いのではなく、二中の「管理的な教育」が問題でした。
管理職には睨まれ、職員室でも浮き、子ども達だけが頼りの1年間でした。それでも3年2組の子達を無事卒業させて、44歳の僕は21年間の教師生活を終えました。その日から21年の月日が経ち、今の僕がいます。昭和52年の4月1日から、今日までで21年の倍、42年の月日が経ちました。教師とやっていた時間と同じ時間を僕は生きてきたことになります。そして、今でも子ども達に寄り添って生きています。
みなさんもきっと、同じような「不安」の中で、4月1日を迎えると思いますが、子ども達と寄り添って生きてさえいれば、怖いことはなにもありませんよ。

今日の写真1
我が家の末の息子です。もう7歳になったのですが、赤ちゃんのままです。お腹を出して、完全に寝ています。

今日の写真2
いよいよ大規模改修工事の足場工事がスタートしました。足場の責任者に「地元の方ですか?」と聞くと、「はい、六中です」というから、『え?何ジャージ?』「赤っす」『テニス部でいうと誰がいた?』「伊藤なおやとかです」『なにーっ?俺のこと知らない?』「たかやん?」
『そう』「俺、先生に理科習いましたよ」『えーっ!』「下野っす」『いたーっ!久しぶりーっ!』「俺、足場の責任者っす」『そうなの?俺、マンションの責任者だから・・・。』「そうなんすか、よろしくお願いします」『うん、こちらこそ、よろしくね。』

今日の写真3
この足場、3人がかりであっという間に4階、5階くらいまで組み立てられていきました。僕の教え子は一番高いところで、命綱もつけずに作業していました。その姿を見て、誇らしく思えました。本当に(格好いいなあ!!)そう思いました。

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・

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