4月16日 (火)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第106弾  2019年4月16日(火)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第106弾  2019年4月16日(火)  たかやん

朝勉434
5時半に目が覚めて・・・6時45分から英会話をやって・・・朝ごはん。それから、空と一緒に東久留米に向かったのだった。空と一緒に電車に乗って、空は漢字、僕は英語・・・そらとじゃあね!って言って、僕は清瀬で降りた。

清瀬駅
見たことのない市長候補と市議会議員候補がうじゃうじゃと立っていて・・・驚いた。清瀬駅には随分立っているのだが、見たことのない人ばかりだったからだ。その中に何人かの顔見知りを見つけたので、挨拶をした。そして、「宮原りえ」の選挙事務所に向かった。

運転手
僕は今日一日、駅立ち仲間の「宮原りえ」さんの選挙カーの運転手になった。選挙カーの運転手をするのは久しぶりである。そして、選挙の雰囲気も久しぶりで・・・娘のような相棒と妙に気が合って・・・実に有意義な一日になったのだった。


選挙カーの運転でクタクタになって帰ってきたのだが・・・子ども達の顔を見たら、直ぐに元気になった。やっぱり子ども達の力は凄い。7時から10時まで滅茶苦茶楽しい時間が過ぎていったのだった。幸せ、幸せ・・・うふ。



教師を目指す人へのメッセージ    第394弾!  ラーメン屋

ハレー彗星
76年ぶりに地球に近づいて来るこの天体が、今話題になっている。五中の科学部も来年の3月には望遠鏡を持ち出して、観察しようとしている訳だが・・・俺はこの76年という周期に何とも言えないものを感じている。俺は来年の3月には32歳になる。次に見るのは・・・108歳。こりゃ無理だ。でも、お前たちは90歳だから、何人かは見ることが出来るかも知れないね。大正11年生まれで、57歳で死んだ父さんは、勿論見られなかった。要するに、戦争で死んだ人達はみんな見ていない訳で・・・一生に2回見られる人もいれば、1回も見られない人がいる訳で・・・何か不公平だなあなんて、思ってしまうのです。

ラーメン屋
数日前、高邑家での会話。朋『紀、仕事うまくいってるかい?』紀「うん、まあまあだけどね。俺がやりたいことと今一違うんだよなあ・・・」朋『ふーん。快治は卒業したらどうすんの?』快「うーん、全然考えてないんだよなあ」紀「快治、お前何やってる訳」快治「はい、調理科なんです」紀「へーえ。それで高校なんだ」朋『総合技術っていってさ、高卒と調理士の資格、両方いっぺんに取れるんだよ。いいだろ?』紀「ふーん。それいいじゃん!」朋『快治、全然考えてないの?』快治「うん、全然」朋『ねえ、3人でラーメン屋やらない?』紀「なにー!ラーメン屋!」快治「面白い」朋『ここでラーメン屋やったら、儲かると思わない?』紀「そりゃ、言える」『うんと安くて、旨くて・・』紀「出前なんかビューっと行っちゃって・・・」快治「いいねえ」朋『五中の子にはうんと割り引いてさ』紀「それで夜は塾をやると」快治「できない奴ら集めて教えると」笑い。朋『そう、できない奴だけ集めて・・・』紀「儲かるねえ」快治「儲かります」朋『それで儲かったら?』紀「儲かったら?」快治「何をやるか」朋『仲間を集めていろんなことをやりたいねえ』紀「ピアノ教えて、習字教えて」朋『そうねえ。仲間集めりゃ、何でもできる』快治「テニスクラブなんかもいいんじゃないすか?」朋『いいですねえ。小さいうちから教えてね』紀「それもうまくいったら?」快治「それもうまくいったら?」朋『うんと儲かったら・・・やっぱり・・・』紀「俺が剣道部の顧問で」快治「俺が野球部の顧問」朋『昭がサッカーを教え』紀「直子が国語、賢一が社会」快治「大ちゃんを東大から呼び寄せ」朋『秀行を京大から呼ぶと・・・そうだ、弘子を外語大から読んで、光一も理科の先生でいける。』快治「ぞくぞくと集まって来ますねえ。美原にコンピュータもね」紀「時代ですから」『そう、コンピューターも、やっぱりね。』快治「できそうじゃん?」紀「できそう」朋『できそうだろ?』紀「それで父やんは?」快治「父やんは、校長と!」朋『当の然ですよ。』紀「勿論、制服なんかなくて」快治「きまりなんかなくて」朋『Be a gentlemanだけでいくと』紀「ビ ア ジェントルマン?」『紳士たれだよ。』紀「おーいえーっ!」朋『ねえねえ、ラーメン屋、マジでやってみない?』快治「俺は乗るよ!」紀「俺も乗っちゃう。準備しますか?」快治「しちゃいます?」朋『ラーメン屋やって学校をつくりますか?』という訳で、俺は今ラーメン屋になる気でいる。
*『一生懸命』幻の学級通信 第117弾! 五中10期生の2年1組 1985年11月2日

この夜の会話は何となく・・・いや、よく覚えています。この時の若者たちの夢が叶うことはありませんでしたが、僕はその後「ラーメン屋」ではなく「うどん屋」になりました。勿論「学校」を作ることはできませんでしたが、「塾」をつくり、多くの子ども達を育てました。子ども達と「未来」を語るのが好きでした。子ども達と「夢」を語るのが好きでした。30年前の昔も、今も・・・その気持ちは何も変わっていません。子ども達がこの夜の「語り」を覚えているかどうかは分かりませんが・・・・。

『一生懸命』幻のたかやん日記  第106弾  2019年4月16日(火)  たかやん

今日の写真1.2.3
僕が選挙カーに乗るということは「演説するよーっ!」ということで・・・宮原さんは、ありとあらゆる場所で「演説」をしました。橋の上でも・・・・・。最初の頃は『長すぎるよー!』「もっと話したい」『ダメーっ!』「・・・・」それが、段々短くいけるようになって・・・僕は何十枚も演説をしている写真を撮りました。明日からが楽しみです。

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・

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