4月7日 (日)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第97弾  2019年4月7日(日)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第97弾  2019年4月7日(日)  たかやん

川口
来月14日(日)川口市の藤田貢の応援に行ける人、連絡ください。車を出して貰えると更に助かります。集合場所は我が家になると思います。内容はポスター張りです。連絡待っています!090 6497 5737 たかやん
賢二、文夫、一早、関口さん夫婦、ひとみ・・・あと1人で4台になるのですが・・・もう一台必要らしく・・・あと3人必要です。

駅立ちのお知らせ
選挙の合間を縫って、明日4月8日(月)から駅立ちをしたいと思います。8日(月)はひばりが丘北口、9日(火)は東久留米東口10日(水)保谷、11日(木)新座、12日(金)志木と行えれば嬉しいです。その次の週からは選挙がはじまるので、清瀬の北口と南口はそれが終わってからか、5月になると思います。

朝勉425
今日も英語会話が無い日なので、テキストの暗唱と、塾の準備に朝の時間を使った。明日から駅立ちも始まるから、朝勉は駅立ちしながらやるしかないなあ。

入学式
空を東久留米まで送って、僕らは少し遅れて来るまでスタート。駅近くの駐車場から歩いて高校まで向かった。校門を入ると、八石と五中の先輩がいて、思わず握手。そして、体育館に入った。

号令
違和感があったのが、入学式の司会の先生の号令。「全員起立」と言ったのだ。僕なら「全員ご起立ください」と言うところだが、保護者にも生徒と同じように「起立」「着席」と号令を掛けたことに違和感があった。号令で立たされたり、座らせられたりすることに抵抗がある訳で・・・「拍手も禁止」にも驚いた。勉強に力を入れてくれるのはいいが、高校にはもう少し自由な雰囲気が必要だと思うのだ。特に自由な雰囲気の高校で育った僕には違和感があったのである。

制服
卒業式の後は三人で母さんのところに行った。空を見て喜ぶ母さん。空もおばあちゃんの手を握って、嬉しそうに笑って・・・・そんな二人を見て、幸せな気持ちになった空父であった。入学式はいまいちだったけれど、二人の笑顔を見ていたら、凄く幸せな気持ちになったのだった。天気もよかったしね。


投票
夕方、二人で投票に行った。温かい一日だったから、投票率も高いと思っていたのだが・・・・どうやら、かなり低い投票率らしく・・・・

駅立ち
明日からの駅立ちの準備を少々。170弾と171弾を組み合わせる作業である。久しぶりの駅立ち。ひばりが丘北口ロータリーが完成してから、初めての駅立ちである。何が起こるか、誰と会えるか、今から楽しみである。

教師を目指す人へのメッセージ    第385弾!   成人式

久しぶりに会った。男の子、みんな大きくなった。女の子、見違えるほど綺麗になった。でも、話している内に昔の顔に戻って来て・・・式が終わり、市民会館の前で「先生」『おう、久しぶり。元気か?』「先生は?」『いや、もう30ですよ。』「うっそーっ!全然変わらない」『いやいや30ですよ。』「先生、名前分かります?」『分かるさ。順子だろ?』「うわーっ、嬉しい」『忘れる訳ないだろう』「先生!」『お、でっかくなったなあ・・・何センチあるんだ?』「はい、180センチです」『昔はチビだったのに・・・』1組の子達が段々集まってきた。「先生、今日は飲もうね」『そうだな。成人式だからな。』「もう誰にも遠慮しなくていいと」『久しぶりに、みんなでサッカー、バスケもやりたいな』「いやあ、いいですね。それ」『でも、女の子は着物か。』「先生、部活は?」『あるよ』「何時に終わるの」『うんと、テニス部が4時でバスケ部が6時かな。』「じゃあ、6時に体育館に集合っていうのは・・・」『いいよ。OK,それでいこう!』

6時、五中の体育館。まず来たのが酒屋の健ちゃんに東大生の大。次は拓大コンビの昭二と浩。忠実屋の道哉、それから看護婦の理子。山梨大の弘樹、NECの敦子。証券会社の久美子、城西大の峰且。電気屋のババツ。どんどん集まってきた。
バスケットをやる。『ビール賭けてやろう!』「いいですねえ」楽しくて、楽しくて、何をやっても笑いが止まらない。昔はこの子達と本当によく遊んだのだ。
7時半、高邑家。下の8帖はぎゅうぎゅう詰め。いよいよ飲み会の始まりだ。お好み焼きにビール、酎ハイ、ウィスキー。飲み物は全て酒屋の健ちゃん(ホラ、栗原の三又酒店)が「まかしといて」と言って、持ってきてくれた。つまみの用意も料理も全部子ども達がやってくれた。俺は何もしないで飲んで、食べて、大笑いして・・・馬場っちょ(テニス部のエース)「試合前になるとさ、いきなりおっかないんだよな。今でも覚えているぜ、6発だよ、6発。もう顎がおかしくなっちゃってさ。覚えてる?」『そんなに殴った?』「殴ったなんてもんじゃないでしょうが」「それで試合は勝ったの」「うん勝ったよ。気合入るじゃない。おっかなかったかんねえ。」『あれ、でもみんなのことは殴ってないよねえ』「あたしは殴られたよ。試験の発表の日。ホラ、無断で家に帰っちゃって・・・」『ああ、ありましたねえ、そんなことも』理子「ホラ、ぶーちゃん達もみんな一緒でさ。」『うん、そうだった。』「でも、やっぱり道哉の空飛ぶ眼鏡じゃない?」と峰且。大「そう、朝の基礎英語でさ、俺と道哉が喋っていたら、“廊下に出ろ”でバシ!」「その時、窓が開いていて、道哉の眼鏡は空を飛んで落ちた、と」「でも、壊れなかった」『そうそう』「賢一のトランプ事件は?」『ああ、あれは傑作だった。』「何もしてないのに殴られたんだ」「あれは?三中殴り込み事件」『ありましたねえ。』「先生、俺と殴り合ったんだよ。代わりばんこに・・・」『そうだったなあ』「昭たちとはプロレスやって」『若かったんだ。』「24位だったんじゃない」『うん、25だったかな。』笑いに笑い。喋りに喋って・・・2時半。俺は意識を失った。3時半、目が覚めると・・・部屋は綺麗に片付き、食器は全て洗われていて・・・「先生、布団敷いたからちゃんと寝てね」「じゃ、今度は3月29日だよ」『ああ、分かった。ありがとう!』「先生、おやすみなさい。頑張ってね!」感動の一日でした。
*1986年 五中 2年1組の「一生懸命」第149弾!から・・・・
うーむ、25歳の僕は何というパワハラ教師だったのでしょう・・・愛する子達をそんなことで殴っていたことが恥ずかしいのです。ただ、この日のことは、この日の幸福感は今でもよく覚えています。何をやっても楽しくて、幸せで・・・愛する子ども達と同じ空間に居られることの幸せを感じていたのです。教師をやっていて本当によかった・・・そう思った一日でした。
それにしても、ガチで子ども達と闘えた時代でもありました。僕も随分怪我をしました。骨折したり、脱臼したり・・・

今日の写真1
五中4期生のテニス部の子達です。成人式の子達が中学生の頃の写真です。石神井台の我が家に遊びに来たんでしょうねえ・・・。

今日の写真2
これも五中4期生の生徒会の子達です。所沢の我が家に遊びに泊まりに来た時の写真だと思います。航空公園が出来上がってない頃の写真です。

今日の写真3
その4期生の子達のお父さん達が五中の校庭に集まって、子ども達とみんなでソフトボールをやった時の写真です。五中の校舎の色がまだ落ち着いた色だった時代です。バッターは賢一のお父さん。フォームで分かります。

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・

20190407-1.jpg 20190407-2.jpg 20190407-3.jpg