5月11日 (土)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第131弾  2019年5月11日(土)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第131弾  2019年5月11日(土)  たかやん

川掃除のお知らせ
明日12日(日)黒目川の川掃除を行います。9時に栗原1丁目公園(栗原橋から見て下流右側にある公園)に集合です。途中までの参加も途中からの参加も歓迎です。栗原1丁目公園から馬喰橋まで土手を掃除し、馬喰橋から川の中と土手に別れ、神宝大橋まで遡り、そこで休憩。そこから栗原一丁目公園に戻ります。11時くらいになる予定です。軍手、トング、ゴミ袋はこちらで用意します。気楽に参加してください。夕方17時から石神集会所で反省会があります。今回は川口市議会選挙の反省会も兼ね、ゲストも来ます。どなたでも気軽に参加できます。参加希望の方は090−6497−5737 たかやんまで。

駅立ちのお知らせ
昨日10日(金)の志木駅南口での5時半〜8時半の駅立ち、無事に終わりました。来週13日(月)がひばりが丘北口で5時〜9時、14日(火)が清瀬駅南口で5時55分〜8時半、15日(水)が清瀬駅北口で5時55分〜8時半、そして、16日(木)朝霞台駅に5時55分〜8時半に久しぶりに立つかも知れません。駅立ち仲間のみなさん、よろしくお願いします。

朝勉458
今朝も5時半起き。空を東久留米に送り、朝練に向かう。久しぶりにテニスである。
向かう途中で五月号の暗唱をする。今日は最低限の朝勉であった。

4セット
8時から、宮下さんと練習し、それからシングルスを2セット、ダブルスを2セット部通しでやった。シングルスは駄目だったが、ダブルスは絶好調で、高邑・宮下で6−0、6−0で
勝利したのだった。サービスを鍛えれば、シングルスでも勝てそうである。

保護者会
午後からは空の高校の保護者会。高校の傍の交差点を歩いていると、車からクラクションを鳴らされた。(ん?どうした?)と車を見ると・・・斎藤一男先生と奥さんが笑っていた。こんな場所で・・・・凄い偶然である。『コロッケパーティーやろうねえ!』と僕は手を振ったのだった。
2時から全体会があり・・・話は一応聞いていたのだが・・・・僕はそこでも、隙間時間に5月号の暗唱に燃えたのだった。
それから、学級懇談会があり、空の担任の先生の話を聞いて、少し安心した。空の担任の先生は30歳で、教科は理科。僕の半分未満の若さであるが、しっかりとした口調で話をしていたので安心した。

PTA
そして、PTAの役員決めがあった。クラスで4人立候補しなければならないらしく・・・僕は最初に「PTAは全員加入が原則ですか。それとも任意加入ですか」と聞いた。すると、先生は「強制ではありません。」と言うので、やってもいいかなあ・・・と、どうしても決まらなかったら立候補しようと思っていたのだが、空のクラスは4人立候補する人が出て・・・めでたく懇談会は終わった。他のクラスでは「出席した人の中から決めるのはおかしい」と主張する人がいて、来週またやることになったとか・・・小中学校だけではなく、高校でもPTAの役員決めは担任の先生にとって、「悩みの種」らしい。しかも、1年生で役員になると3年間やるというのだから大変である。


夜は塾。テスト前につき、希望する中学生が集まった。数学・英語・社会・理科の質問に片っ端から答えていく。それだけで、90分があっという間に終わってしまったのだった。


教師を目指す人へのメッセージ   第418弾!   いじめ2

 さて、昨日の続きです。新設校の1年目。五中の3年4組の担任になった僕に、「学級経営」のアドバイスをしてくれた先輩はいませんでした。当時の五中は「クラスのことは担任に任せる」「他のクラスのやり方には口を出さない」という暗黙のルールがあったのです。それは、「新座中」と「三中」で学級経営や生徒指導のやり方が全く違っていたことも関係あるかも知れません。先輩達もまた「新設校」でどうしたらいいのか、悩んでいたに違いないのです。“新任に3年生の担任と2学年の理科をやらせる“という、信じられないような「いじめ」も実は、先輩達に「余裕がなかった」からだと、最近になって気がつきました。当時の僕には30歳の立派な「先輩」でも、今の僕から見たら30歳の「若造」です。二つの学校が合わさるという、非日常のことが起きたのですから、1年生の担任以外は先輩達だって「命懸け」だった筈です。特に、3年生の担任は・・・神さんも含めて、必死だったと思います。4組の僕にアドバイスをする余裕がなくて当たり前だったのです。
 アドバイスは教科でもありませんでした。まあ、兎に角「自学」するしか方法がなかったことも、それ以降の自分の理科教師としての成長を考えると、正解だったような気がします。
 更に考えると、初代校長だった敞一郎もまた、新設校の五中を何とかしなきゃいかん!という思いで、必死だったと思うのです。23歳の僕にとって、父親のようだった敞一郎だって、今の僕より20歳も若かったのですから・・・若造です。新任の僕に任せて「学級崩壊」したりしたら、とんでもない「責任」を負わなくてはならなかったと思うのです。
 しかも、その若造は1年で五中を去り、「教育長」になってしまったのですから、24歳の僕が敞一郎に向かって「ふざけるな!」と校長室で怒鳴ったことも頷けます。たったの1年で五中の基礎を作り、「後はお前たちに任せた!」敞一郎はそう言って、五中を去って行ったのです。新任の僕に3年生の担任をやらせておいて、「じゃあねえ」と行ってしまった苛めっ子校長に泣いて怒った当時の僕の気持ちは、敞一郎に伝わったでしょうか・・・。
 ここ二日の題は「いじめ」でしたが、こうして書いてみると、客観的には100%「いじめ」ですが、当時の僕も、僕を「優しく」育ててくれた「先輩」達も、「いじめ」という認識はなかったのだと思います。そして、その「優しさ」が今の僕を育ててくれたのだと思い、感謝しているのです。敞一郎先生・・・ありがとうございました!いつも「校長」とか「敞一郎」とか呼んで、生意気いって、すみませんでした。

今日の写真1
今朝、僕と一緒にテニスをやってくれた仲間達です。

今日の写真2.3
たかやん塾を卒業した「イケメン兄弟」です。立派になって、笑顔で登場してくれました。

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・


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