5月18日 (土)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第138弾  2019年5月18日(土) たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第138弾  2019年5月18日(土) たかやん

朝勉465
5時・・・久しぶりにゆっくり起きた。たまには、ちゃんと寝ないとね。そして、今日も1時間英語だけの朝勉になってしまったのだった。

7時5分
久しぶりに空を東久留米に送っていく。8分の電車に乗りたいと言っていたのだが・・・駅に到着したのが8分。空は階段をダッシュで駆け上がっていったのだが・・・間に合わなかっただろうねえ・・・。

8時
恒さんとの朝練がはじまった。両膝にサポーターを巻いて、慎重にやっていたのだが・・・突然、痛めていた右膝ではなく、左ひざの筋肉に激痛が走り・・・練習は中断。それから、自分でテーピングを巻いて・・・練習を再開。半ちゃん・たえちゃんチームとダブルスをやり、岡さん・洪さんチームと戦って、2連勝したのだった。

準備運動
今日の失敗は準備運動をちゃんとしなかったこと。五中、六中でテニスをしていた時は、子ども達と一緒に必ず体操をしていたのだが・・・このところ、トレーニングは勿論、練習前の準備運動までスキップしていたのだ。気温が高くても、筋肉は温まってなかったのだろう。
ショートテニスはしていたのだが、それだけでは不十分だったのだ。高齢者は準備運動と整理運動をしなければならないのである。とほほほほ。


午後は塾。試験前なので中学1年〜3年までが集まって、テスト勉強に燃えた。1年生は初めての定期テストなので、試験勉強のやり方(問題集のやり方)を教えた。質問が飛び交い、アイヌ語の話をして・・・あっという間の3時間が過ぎたのだった。

通告
6月議会の通告の締め切りが23日なので、少し練ることにした。質問が多くなり過ぎないように、9月議会、12月議会も見据えての質問になりそうである。

174弾!
一昨日、駅立ちが終わったばかりだが、174弾の作成に取り掛かり始めた。書きたい・・と、思ったことを書かないとね。「一生懸命」は僕の生きた証だから・・・。

教育講演会
夕方からは東京での教育講演会に参加。4時間半の時間があっという間に過ぎていった。何歳になっても学ぶことの大切さを再確認したのだった。

教師を目指す人へのメッセージ   第425弾!     キノッピー

 昔、五中に木下保則という先輩がいました。子ども達は「木の先」と呼んでいましたが、僕は「キノッピー」と呼んでいました。僕が最初にキノッピーを意識したのは印刷室でした。僕の「一生懸命」と最後まで張り合えたのはキノッピーだけだったのです。当時の五中で年間100号を超える担任は僕とキノッピーしかいませんでした。
キノッピーは僕より8歳年上だったのですが「お、高邑さんは頑張るな」「たかやんには負けられないな」「今回の一生懸命はなかなかいい内容だな」とか言って、いつも褒めてくれました。
次にキノッピーを意識したのは、僕のクラスの国語をキノッピーが受け持ってくれた時です。「たかやん!キノッピー、何を言っても怒らないんだよ」子ども達はそう言ってました。「お、そういう考え方もあるな」「お、そうか、そうか、なるほど・・それもあるな」国語の授業を覗きに行くと、キノッピーは子ども達の考えを一度も否定しなかったのです。勿論、色んな意見を最後には正解の方向に持っていくのですが、どんな意見にも耳を傾け、否定しない授業に子ども達ははまりました。みんな、キノッピーが大好きになりました。そして、国語の成績が上がりました。そう、子ども達のA10神経群が反応したのです。
僕が六中に異動し、6年が過ぎた頃、キノッピーは六中の校長に赴任しました。
そして、着任早々3年生の暴行事件があり・・・、キノッピーはテレビカメラの前で謝罪しました。立派な謝罪会見でした。その事件には色々な布石が重なった悲劇だったのですが、キノッピーはまず被害者の子どもと保護者に寄り添い、そして、加害者のこどもと保護者にも寄り添いました。さらに、その子ども達の担任にも寄り添ってくれたのです。懐の広い校長でした。
キノッピーは毎朝、六中の周りのゴミを拾う校長でした。当然、硬式テニス部の子ども達の朝のゴミ拾いも目撃します。「朝が早すぎる!」と怒られていた子ども達は、突然「テニス部は頑張るな!」「テニス部は偉いな!」と誉められるようになります。校長と用務員さんから褒められるようになると・・・テニス部は「強い」だけではなく、「部活の見本」となっていったのです。そうして、六中硬式テニス部は「全国大会で優勝」します。
勿論、キノッピー校長は応援に来てくれました。僕は校長になっても、「キノッピー」と平気で呼んでましたし、キノッピーも僕のことを「おお、たかやん」と呼んでくれていました。僕と亮がホームレスになった時、「俺の家に住め」と家に呼んでくれたのもキノッピーでした。結局、パジェロを選択したのですが、そのことは今でも感謝しています。
僕らの関係は僕が教師を辞め、キノッピーが学校教育部長になっても変わりませんでした。
キノッピーは陵平の時も、テレビカメラの前に立ちます。二中の校長でも教育長でもなく、学校教育部長のキノッピーが謝罪会見をしたのです。僕は陵平の事件を調べている内に、陵平の両親の前で涙を流した人が二人いたことを知ります。一人は当時の学年主任、そして、もう一人が学校教育部長のキノッピーでした。陵平の苦しみを、陵平の両親の苦しみを想像するだけで、涙が出て来たのだと思います。キノッピーはそういう先生でした。
僕は21年間の教員人生で、キノッピーのような本物に出会って、そして愛されて、本当に幸せでした。
 
今日の写真1
膝の調子が万全ではなく・・・2試合とも苦戦しました。それでも石神井ペアーは2連勝。楽しい試合でした。

今日の写真2
久しぶりいダンロップのボールをネットで買ったのですが・・・こんなマークがプリントされていて驚きました。

今日の写真3
テニスが終わると、駐車場でポッキーが待っていてくれました。尻尾を振って来てくれるポックンの優しい目にいつも癒されているのです。

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・

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