6月19日 (水)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第170弾  2019年6月19日(水) たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第170弾  2019年6月19日(水) たかやん

川掃除のお知らせ
今月6月の黒目川の川掃除は23日(日)に決定しました。朝の9時に栗原一丁目公園に集合です。そこから、馬喰橋まで遊歩道を掃除します。馬喰橋から川の中に入り、土手を掃除しながら川を遡ります。栗原一丁目公園でごみを下ろし、さらに神宝大橋まで、土手、遊歩道、川の中を同時に掃除していきます。そこで、休憩して水分を補給したら、また栗原一丁目まで土手と遊歩道を掃除し、栗原一丁目公園でゴミを下ろして終わりです。
トング、ゴミ袋、軍手はこちらで用意します。途中までの参加も途中からの参加も大歓迎です。午後5時から石神集会所で反省会があります。反省会だけの参加も大歓迎です。
連絡先 090 6497 5737 たかやん  まで。

駅立ちのお知らせ
6月の駅立ちは24日(月)からの予定です。あくまでも予定ですが、24日(月)ひばりが丘北口で5時〜9時、25日(火)東久留米東口で5時半〜8時半、26日(水)保谷駅北口5時半〜8時半、27日(木)新座駅南口で5時半〜9時、28日(金)志木駅南口で5時半〜8時半、7月1日(月)清瀬駅北口で5時半〜8時半、2日(火)清瀬駅南口で5時半〜8時半、3日(水)朝霞台駅で5時半〜8時半です。駅立ち仲間のみなさん、よろしくお願いいたします。

朝勉497
今日も5時半過ぎから「経済」と「英語」。それしかできねえのかよ!と、自分に少し腹が立っている。授業力を延ばす為に、「数学」「化学」「歴史」もやれよなあ・・・・。

ストレッチ8日目
9時頃、控室でストレッチ。今日から2週目に入ったので、メニューを一つ増やした。床に寝ころび、両足を壁に付けて広げるというストレッチなのだが、これがまた痛い訳で・・・頑張るぞ!!

反対討論
今日は6月議会の最終日。午前中は議案の結論。我が「市民と語る会」は俊さんが1度、僕が1度、「反対討論」に立った。ちょっと喉の調子が悪く・・活舌が悪かったわたし。とほほほほほ。

賛成討論
午後、意見書になって、僕は「消費増税10%に反対」の意見書に賛成討論をした。そりゃあそうだ。消費税は「残酷な税」なのである。低所得者、失業者、年金受給者は勿論、赤字企業も払わなければならない税なのである。しかも、トヨタなどの輸出大企業が払っている消費税はトータルで0円。そう、大企業なのに、今まで1円も払ってないのである。それどころか、反対に「還付金」という仕組みで年間1000億以上が懐に入って行くのだからどうしようもない。彼らや彼らに応援して貰っている政治家たちが「もっと消費税率を上げろ」と主張する理由はそこにあるのである。消費税が10%から20%になれば、彼らが手にする「還付金」は倍になるのである。2017年4月〜2018年3月における上位企業3社の売上高と還付金は次の通り。
1.トヨタ自動車  売上げ12兆2000億  還付金 3506億
2.日産自動車   売上げ 3兆7000億  還付金 1509億
3.ホンダ自動車  売上げ 3兆7000億  還付金 1216億
これだけ儲けているのに、払った消費税は0円。社会福祉の為の消費税というのなら、この大企業は「全く社会福祉に貢献していない会社」ということになる訳で・・・
上位13社の還付金は1兆円を超えるのである。「消費税」という仕組みは誰にとって都合がいいか、分かるだろう。そして、その大企業はその儲けた金を「内部留保」として蓄えてしまっているのだ。国民の実質賃金が下がり続ける理由がそこにある。そんなことも知らずに、「消費税増税」はやむなし!と言っている人の何と多い事か・・・自分の脳みそで考えないとそうなっていくのだ。恥ずかしくないのかね。

15時頃
全員協議会の最中、ポケットの中のスマホがブルブルと何度も震えた。母さんの状態が悪いので、ポケットに入れていたのである。嫌な予感がしたので・・・そっと見ると「堀之内病院」と「兄貴」からの着信だったので、外に出た。兄貴に電話をすると、「2時半に心臓が止まった」「今は人工心肺で呼吸はしている」という。急いで、会議室に戻り、状況を説明して、早退させてもらった。家に電話をすると、空ママと空も自転車で病院に向かうという。堀之内病院に着くと、丁度空達も着いたところだった。

小島先生
兄貴を含めた4人で院長先生の小島先生から説明を受ける。胸にたまった水を抜く処置をするが、改善しなかったら覚悟を決めてください。とのことだった。母さんは「延命治療」は望んでいなかったので、明日決断を下すことになるだろう。

お母さん
去年の1月4日のことがあるので、手を握りながら「お母さん!」と呼んでみた。しかし、反応が全くない。空ママも空も母さんの手に触る・・・「いつもより冷たい」と空ママ。一緒に暮らしていたので、母さんの体調の変化に一番詳しいのだ。手足のむくみにもいち早く気づいた空ママ。そのむくみが命取りになるとは・・・水分を排泄できなくなった母さん。でも、顔はむくんでなく、穏やかな顔で眠っていた母さんに「後でね」と言って、家に戻ったのだった。


それでも塾はいつも通りスタートした。きっと母さんも「やりなさい」と言っているからだ。「生まれ変わったら、絶対に学校の先生になる」と言っていた母さん。子ども達の為に塾をやることを喜んでいる筈だ。
後半の子ども達には、母さんんが危篤であることを伝えた。「塾やすめばよかったのに」と子ども達。『いや、お前たちの顔を見ている方がいいんだよ。塾が終わったら、朝まで傍にいるから・・・』「そうなの?」『うん。』

オタンコ
五中4期生のオタンコが来てくれたらしい。20時までの面会で少ししか会えなかったらしいが、本当に有難い教え子である。所沢時代に、一緒に住んでいた母さんを、子ども達は「お袋さん」と呼んで、慕ってくれた。この間の危険な状態の時も来てくれたオタンコ。本当に幸せな担任である。
久美ちゃんからも、アッコからもラインが来ていた。男の子達からは勿論、女の子達からも人気があった母さん。孫からも愛されて・・・本当に幸せな人生だったと思う。

二人切りだね
お母さん、久しぶりにお母さんと二人きりの部屋でこれを書いています。さっき、亮が手を繋いで「ばあちゃん!」って呼んだら、反応したんだってね。父さんも「雪」には反応していたっけ。夕方は空も来て会えたし・・・我が家の子達はみんなお母さんに「さよなら」を言えたんだね。

23時20分
看護師さんが二人、母さんのおむつを交換してくれた。そして、椅子に座っている僕に、「ずっと椅子では辛いでしょうから、こっちに長椅子がありますから、辛くなったら、そこで横になってくださいね」と言ってくれた。病室だと隣に寝られるらしいのだが、この部屋は救急の処置室らしく、残念ながら隣に横になることはできないのだ。

23時55分
看護師さんが「救急車で女性が運ばれてきそうなので、お母さんがいた部屋の荷物を運んでもいいですか?」と言ったので、『あ、手伝います。』と母さんがいた部屋に行ったのだが・・・母さんの荷物はパジャマ2着と、いつも来ていた紫の長袖とこの間、僕が買ってきたシャンプーと靴くらいしかなくて・・・あっという間に片付いてしまった。優しい看護師さん達に『朝まで徹夜ですか?』と聞くと「夜勤はそうですね。」『夜勤は月に何かいくらいあるんですか?』と聞くと「月に6〜7回ですかね」という答えが返ってきた。大変なそして尊い仕事である。人の命に最後まで寄り添って生きている人達に感謝、感謝である。こういう人達にこそ、高い給料が支払われていいのである。

午前0時
母さんの手を握り「おかあさん」「おかあさん」と呼ぶが、反応はない。聞こえてくるのは人工心肺のスーシュン!という音とポコポコという音。そして、隣のナースステーションから聞こえる、看護師さん達の声。そんな中で、僕は母さんと最後の会話をしている。

ありがとう
お母さん、「僕を産んでくれてありがとう!」「僕のお母さんでいてくれてありがとう!」
「お母さんの子で本当に幸せだったよ、ありがとうね!」そう言ったら、「私は世界一の幸せ者」「本当に幸せ」「子どもに恵まれて」「沢山の人に愛されて」母さんはそう言ったよね。
あの時は泣けて、泣けて・・・涙声で話したけど・・・今日は普通に話している自分がいます。もう一度言うね、お母さん。『僕を産んでくれてありがとう!』『僕のお母さんでいてくれてありがとう!』『今度生まれ変わっても、お母さんの子どもで生まれてきたいな。』『小学校の素敵な先生の息子になるよ。』お母さんの教え子達は幸せだろうなあ・・・綺麗で運動神経抜群でとっても優しい先生に習ったら・・・「学校の先生になる」という子が続出するかも知れないね。

0時40分前
看護師さんが来て、書類にサインをする。サインをしてから、何の書類だったか分からないことに気がつく。言われるまま書いてしまったのだ。やはり気が動転しているのだろうか。勿論、看護師さんを信頼しているので、大丈夫ではあるのだが・・・何の書類か確認してない自分の神経が情けないのである。


教師を目指す人へのメッセージ   第457弾!    母さんの夢

 94歳になった僕の母さんの夢は「生まれ変わったら、学校の先生になること」です。『何の先生になるの?』と聞くと、「小学校の先生」と言います。『小学校の先生になって、何を教えるの?』と聞くと、「何でも」「色んなことを教えたい」『例えば?』「運動も勉強もなんでも」「戦争は絶対に駄目だってことも」『そうだよねえ。心配だよね。』「心配。戦争は絶対駄目。」戦前、戦中、戦後を生き抜いてきた大正女にとって、「戦争」程、嫌な出来事はなかったのでしょう。池袋の小学生達を連れて、福島県に疎開した母さん。食糧事情が悪い中で、子ども達の世話をする寮母さん達には、それなりの食糧があったそうです。でも、子ども達が食べられない時は、自分も我慢して、一緒に痩せていった母さん。子ども達に寄り添うということは、どういうことか、二十歳の母さんは知っていたのだと思います。
 そういう話を小さい頃から聞いて育った僕は、幸せです。母さんのお母さんはお寺の娘で、「生き物を殺してはいけない」。教えられたそうです。そのおばあちゃんの娘の母さんに育てられた僕もまた、「生き物を殺してはいけない」というDNAを持っているのです。我が家に入ってきた虫たちは勿論、テニスコートにいる虫たちも踏みつぶせない自分がいるのですから、教育の力って本当に凄いと思うんです。母さんが「学校の先生になりたい」って言っているのは、きっと母さんが素敵な先生に出会ったからなんです。そして、自分が出会った先生達は勿論、僕という息子の先生達を見て、「先生になりたい」そう思ったのではないか・・・そして、学年でトップの成績だったのに、家が貧しくて、女学校に行けなかった自分のような子に「勉強」を教えたいのではないか・・・そんな気がしてならないのです。
 母さんは今、僕の隣で眠りながら、きっと「先生」になるという夢を叶える準備をしているんだと思います。もう直ぐ僕らとはさよならをしなくてはいけないけれど、次の時代に生まれ変わって、きっと素敵な先生になるんだ!そう心に決めて、生まれ変わる準備をしているのです。
 今から数年後、運動神経が抜群で、「私は絶対に小学校の先生になる!」と目を輝かしている小学校1年生の女の子がいたら、僕の母さんかも知れません。そんな女の子に出会ったら、優しく接してやってくださいね。
 
今日の写真1
朝、いつものようにストレッチをしました。今日から、壁に向かって足を開くストレッチを追加です。

今日の写真2
3時半頃、母さんのところに兄貴と空ママ、空と僕が集合しました。みんなで声を掛けたり、手を握ったりしたのですが、母さんの意識は戻りませんでした。

今日の写真3
真夜中の母さんです。人工心肺の音がします。母さんの胸が上下しているので、生きているのですが・・・体中に水が溜まっていて可哀そうです。でも、顔は苦しそうではないので、それが救いです。入院してからも「痛い」は言わなかった母さん。苦しまないで欲しいですね。

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・






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