6月25日 (火) 『一生懸命』幻のたかやん日記 第176弾 2019年6月25日(火) たかやん 『一生懸命』幻のたかやん日記 第176弾 2019年6月25日(火) たかやん 駅立ちのお知らせ 6月の駅立ちは本日25日(火)東久留米東口で5時半〜8時半の予定でしたが、延期しました。今週の駅立ちは、来週に延期したいと思います。 朝勉502 2時間くらいしか寝ていない、ボーっとした頭で「英会話」をやる。しかし、何をやっても頭に入らず・・・とほほほほ。情けないなあ。 東久留米 本当なら立っている場所に、空を送っていく。駅立ちは誰もしていなかった。 家に戻って、朝ごはん。ダッシュで総合運動公園に向かう。中三の娘が800Ⅿに出るのだ。娘が必死に走る姿をカメラに収めて、東上セレモニーに向かったのだった。 打ち合わせ 東上セレモニーでお通夜と告別式の打ち合わせをした。内容によって、余りにも値段が違うのに驚いた。贅沢なものは御免だし、かと言って、母さんの最初で最後の葬儀である。みすぼらしいものにはしたくない訳で・・・。悩みに悩みながら、色々と話を詰めていったのだった。 市役所 それから市役所に行き、死亡届を出して、火葬許可証を貰ってきた。命が1つ消えるということは本当に大変なことなんだなあ・・・ 昼 ノンアルコールで疲れを癒して・・・再び、陸上競技場へ。今度は1500mのレースの応援に・・やはり、五中のウニフォームを見ると、熱が入る訳で・・・・撮影しながら、大声で応援したのだった。 ストレッチ13日目 母さんがいない世界でもストレッチは出来る訳で・・・・。いい習慣は大事にしたいとねえ。 教師を目指す人へのメッセージ 第461弾! 母の教え 母さんから友達のことで怒られたことはありません。どの家の子と遊んでも大丈夫。近くの朝鮮人部落の子と仲良くなって、遊びに行っても、その子が遊びに来ても、全然平気でした。朝鮮人の「バタ屋」のおじさんから「甘食」を貰った時も、「ありがとうございます」って言って、食べさせてくれました。そういう背中を見て育ったから、僕には国籍による偏見が全くありません。どの国にもいい人と悪い人がいる・・・そう教わったのです。 僕は百人町では名の知れた悪ガキだったので、母さんはとても苦労していたと思います。高い木に登って、遊んでいたときに・・・PTAのおばちゃんたちが「あんな高い所に登ったら危険です。」「辞めさせてください」と我が家に抗議した時、「子どもは木から落ちません」そう言って、僕の木登りを笑って見ていた母でした。きっと、自分自身もお転婆で、木登りが大好きだったからでしょう。それで、高い所に滅法強い子が出来上がったのだと思います。 母さんには絵の才能がありました。小学校の時の通知表が「全甲」(今でいうオール5かな)なのだから、字も上手、絵も上手、音楽も出来て、体育は最高だったのでしょう。僕が残念に思うのは、母さんのその「才能」を受け継いでないということです。僕が母さんから受け継いだのは「運脳能力」と「音楽のセンス」だけで、あとは全くの不器用な少年でした。母さんのDNAをもう少し受け継いでいたら・・・もう少しまともな大人になっていたかも知れません。 ただ、「弱い者苛めをしない」「小さくても、生き物を殺さない」という心は、モロに受け継ぎました。理科の教師でしたから、解剖で多くの蛙達を殺しましたが、解剖の後は「頂きます」と食べることにしていたのも、母さんの影響だと思います。勿論、「弱い者苛め」だけはしたことがありません。小さい頃から、誰かを「虐め」たり「ハブる」ことはしたことがないのです。仮に自分が「ハブられ」ても・・・・僕をハブった子が「遊ぼ」「入れて」と言ってくれば、断ったことがないのです。それが僕の子どもの頃からの生き方でした。 母さんは、西戸山小学校のママさんバレ―チームに入り、活躍していました。全国大会にも出たことがあり、「最高齢の選手」として、新聞に載ったこともあります。同時にPTAでも子ども達の為に、ピアノの先生を呼んで「オルガン教室」を作ったり、講師を読んで、お母さん達の勉強会(婦人学級)を開催したりしていました。そして、テレビ局に呼ばれ、田中角栄と対談をしたのです。田中角栄幹事長と一緒にブラウン管に写る母さんを見て、誇らしかったのを覚えています。 母が亡くなって・・・母の教えをいくつか思い出してみました。 〇生き物を殺さない。 〇ごみを捨てない。 〇弱い者苛めをしない。 〇人を家柄や学歴で見ない。 〇人を外見(服装)で見ない。 〇人を国籍で見ない。 〇学べることは幸せなことだと常に意識する。 〇自分の人生は自分で決める 〇食べ物を大切にする。 〇絶対に戦争はしない。 〇職業に貴賤は無いことを意識せよ。 〇どうせやらなきゃならないことは、自分から進んでやる。 僕が子ども達に教えてきた、全ての元は「母の教え」にあるような気がします。 今日の写真1.2.3 すべて、2年前の母さんとの写真です。92歳の時の母ということです。今日、気がついたことがあります。近所で歩いているおばあちゃんを見つけると、温かい気持ちになる自分がいるのです。自分の足で歩いているおばあちゃん。カートを押しているおばあちゃん。みんな可愛く見えて、抱きしめたくなります。お母さんが居ない世界の第1日目がこうして始まりました。 *この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・ |